第10話:籠鳥檻猿
「なんで……ここにいるの……?」
怯え切った声を聞いて真っ先に思ったのは、
(何かおかしいぞ)
という違和感だった。
目の前の少女は瑞樹の陰に隠れたまま、オドオドとこちらの様子を窺っている。
その姿は、夢の中で神様みたいなオーラを放っていた彼女とは程遠い。
普通の、引っ込み思案な少女そのもので。
「あ……ええ、と」
勇吾は困惑しながらも口を開く。
「……内海勇吾です。今日からここに所属することになりました……初めまして?」
「……」
どうにか笑顔を作って挨拶をしてみるが、彼女の目は警戒心に満ちていた。
警戒したいのはこっちなのだが。
「要さん、どうしたんですか? 私の後ろなんかに隠れて。……もしかして、内海さんに何かされました?」
「なんでそうなるの⁉︎」
途端に瑞樹から疑うような視線を向けられ、流石に声を上げないわけにはいかなかった。
「え、だって要さんが珍しく怯えてるんですよ。何かあると思うじゃないですか」
「そ、それは知らないけどさ……」
「——あ、要ここにいた! 探したよ〜」
混沌を極め始めた本殿に更に現れたのは、要と呼ばれた少女と同じセーラー服を着た、温和な雰囲気を醸すショートカットの女子だった。
瑞樹の後ろから顔を出していた要が、「
「藤太くんがリボン回収してくれてたよ。結んだげる〜」
「あ、紬、でも、今」
「いいからいいから」
慌てた様子の要を宥め、すたすたと後ろに回った紬は、慣れた手つきでサラサラと彼女の黒髪を手櫛で梳かし、スカートのポケットから取り出した鮮やかな赤色のリボンを通すとあっという間にハーフアップに結い上げた。
「ほら出来た〜」
「あ……ありがと……」
「わあ、流石紬さん、綺麗なリボン結びですね!」
「でしょ! めっちゃ練習したの〜。瑞樹ちゃんもやったげよっか?」
「すみません、これ和紙なので……」
(……何が起きてるんだ?)
唐突にほのぼのとした空気が流れる本殿の中にいて、勇吾は状況に呑み込まれて呆然としていた。
それは瑞樹に人を呼んで欲しいと頼んでいた実千流も同じだったようで、
「あの……荒御魂……任務……うう……」
と、気の毒なほどに狼狽えていた。
その姿に痛ましさすら覚えた勇吾は、
「僕、呼んできましょうか……?」
「あ、いいすか……」
ほっとした表情を浮かべた実千流は、「この子です」と、パソコンの脇に放り出されていたスマホから『さよりん』の写真を見せてくれた。
女優かモデルと見紛うほどに綺麗な女性が、ピースをして笑顔を浮かべている。肩に流した明るい茶髪をふわふわと巻いて、淡い赤の口紅が白い肌によく映えている。勇吾のような高校生男子には少々近寄りがたい、絵に描いたようなキラキラした『女子大生』だった。
「今は社務所で待機してます。荒御魂が出たって言えば伝わると思うんで……お願い、します」
「わかりました」
申し訳なさげな実千流に頷いて、本殿を出ようと踵を返した時。
「待って」
「!」
紬から解放された要が、大扉の前に立ちはだかっていた。
怯えはなくなったようだが警戒心は依然としてあるようで、明確な害意はないものの、この先には通さないと言うように見つめている。
形の良い唇を歪ませて、
「私が行く。あなたは……行かなくていい」
「え、でも……」
「要は行かないよ」
「ッ‼︎」
鋭く息を吸い込んだ要が、勇吾の肩越しを睨んだ。
視線の先には、相変わらずゲームに興じている楽ノ神の背中。
モニターの中では現在進行形で戦闘が起こっていて、楽ノ神のコントローラーは忙しく動いているのに、その声音は別人のように少しの揺らぎもなく。
「要は待機。荒御魂退治には、さよりと勇吾で行ってきて」
「え、僕も?」
「っでも」
寝耳に水の指示に口が空いた勇吾を無視して、
「充填率二桁も行かない程度の荒御魂、私一人で——」
「これ、命令ね」
「っ——」
続けかけた言葉を飲み込む要。その様子を見るに、飲み込まされた、と言う方が正しいか。
「後で話したいこともあるし。何のことか、わかってると思うけど」
「……ぅ……」
「要、ボクの言うこと聞くんだもんね」
「……」
楽ノ神の言葉はどこまでも静かで、平坦だった。だからこそ、逆らったらどうなるかわからないと言う凄まじいプレッシャーが、その場の全員を支配していた。
勇吾は、その背に夢の中の要を思い出した。
行動の全てに信憑性があり、説得力があり、強制力がある。
今なら、それは神力によって引き起こされているものだとわかる。
「返事は?」
「……了解、した……」
「よ〜し」
絞り出すように命令を受け入れる要の言葉を聞いた楽ノ神は、ぐるん。
「勇吾」
「っ……! は、はい」
顔だけをこちらに向けて呼びかけた。コントローラーを操作し続けるまま、である。
橙色の瞳が不気味に揺らめいた。
「さよりんに色々教えてもらいな? 要と同じくらい強いから」
「……は、い」
頬を引きつらせながら応えると、楽ノ神はにっこりと笑い、
「じゃ、行ってらっしゃい」
モニターに顔を戻した。
瞬間、本殿の空気が弛緩したのがわかって、
「〜っは、あぁ……」
楽ノ神のオーラに呑み込まれていた瑞樹が、張り詰めた息を細く吐き出した。
それを合図に、
「……要、どうしちゃったの〜? 何かあった?」
「も、漏らすかと思ったァ……」
紬と実千流も緊張が解けたように息を吐く。
そして、
「……っ」
「要!」
ぺたん、とその場にへたり込んだ要の肩を、紬が慌てて支える。
その顔は蒼白に染まり、頬には汗が伝っている。
流石に心配になったが、これ以上ここにいたらまた楽ノ神の『アレ』が出るんじゃないかと恐ろしくなった勇吾は、
「……じ、じゃあ、行ってきます」
ぎこちなく言い残して、本殿の外に出ることにした。
「行ってらっしゃぁい……」
「わ、私も送っていきますね……」
固い笑みを浮かべている実千流に見送られ、瑞樹も足早に勇吾の後についてきた。
来た道を戻りながら、神の怒りって意外と簡単に買えるんだな……と勇吾は学んだ。
そしてあの夢は、他人の空似が出てきただけの夢だったんだと思うことにした。
でなければ、あの時抱いた感情に、整理をつけられなかった。
***
「さてと」
「……」
大扉が閉まった本殿の中。
実千流と紬にも部屋を出るように
パソコンも電源が落とされ、辺りにはしんとした静寂が落ちている。
要は地べたに座り込んだまま、俯いていた。
これから何の件で詰められるのか、知っていたから。
やがて、パソコンの筐体にしなだれかかっている神は話し出す。
「
「……」
「戦いの方は、正直どうだっていいんだけどさ」
「……」
「ボクがそれより気になったのは、要が勇吾にやったことなんだよね」
「……それ、は」
彼の心臓に刀を刺して、自分の神力を注ぎ込んで、神徒にした。
「あれって本来、ボクらにしか出来ない——権能だよ?」
立ち上がった神が、ゆったりと歩み寄る。
ぺたん、ぺたんという湿った足音が近寄って、止まる。
要の視界に、真っ白い爪先が並んでいる。
「要さあ、神力溜まり切る寸前だったでしょ」
「……」
黙った。
どうせ隠し事は出来ないが、意地でも黙った。
それを神は興味深そうに見下ろしている。
「でも、上手く隠してたね。ボクもみっちーも全く気付かなかった。——けどさ」
神はふわりと片膝をつき、俯く要の耳元に唇を寄せると、
「 どう して そんなこと したの ? 」
「……う、ぐ……ッ!」
ずし、と。
さっきよりも神力がこもった力ある声が、要の体にだけ伸し掛かる、激しい重圧へと変わる。
みしり、みしりと全身の関節が軋む音が聞こえる。
耐えるように、固く握りしめた拳を太腿に押し付ける。
その拳に、汗が落ちる。
震える口をこじ開けて、
「……まだ、成れない……ッ」
掠れ声で呟く。
その言葉を聞いた神は思い出したように「ああ」と呟き、
「そっか、そうだったね。キミは神徒のままでいなきゃならない目的があるんだったか」
ふむ、と神は放つ重圧を少し弱めると、その場であぐらをかき、腕を組んだ。
「ボクに言ってくれても良かったんじゃない? 隠す必要なんて」
「そんなこと言われてない」
「——」
「神力を誰かに渡すことも、誰にも禁止されてない」
顔を上げた要は、神を真っ直ぐに睨みつけていた。
その体を、紫色の光が覆う。
瞳は鮮やかな紫色に染まり、彼女の感情に呼応するようにぱちっ、ぱちっ、という光が火花のように弾けて散っていく。
神には劣るものの、他の神徒とでは比べるのも馬鹿らしくなるほどの純度を誇る神力が、周囲に広がり始める。
コップが倒れ、ペットボトルが凹み、モニターがギシ、ギシ、と軋む。
要の、空間が歪むほど苛烈な様相を目の当たりにした神は、一度、二度、とゆっくり瞬きをして、
「——もういいや」
フッ、と神力を納めた。
「怒るのだるいし、怒ってもしょうがないし、もうおしまい」
「……」
その言葉に、要も自らの神力を納める。
合わせて周囲の異常も消え失せ、辺りは再び平常を取り戻した。
楽ノ神は彼女に呆れるように肩を竦め、
「馬鹿みたいに神力使うかと思ったらちょっとの神力も逃さなかったり、要ってほんとワガママ。そこもいじらしいけどさ」
「……わたしを許すの」
「うん、許すよ。ただし」
ぽん、と楽ノ神は要の頭に手を置いた。
満面の笑みを咲かせて、
「次のデカい討伐では前線張ってもらう。あっさり死なないでよ?」
「……っ」
表情を曇らせ下唇を噛んだ要の頭をふわふわと撫でながら、可愛いねえ、と神は嘯いた。
【第11話に続く】
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