第9話:半信半疑

「あ、内海さん!」


 朱色の鳥居をくぐり、枯葉が綺麗に避けられた長い石階段を登り切ると、竹箒を持った瑞樹が出迎えた。

 彼女は会うなり頭を下げて、


「すみません、楽さまがまた何か無茶振りしたみたいで……」

「そうだね……本当に無茶言うよね……」


 はは、と勇吾は乾いた笑いを漏らした。

 楽ノ神からの突然の電話が切れた後、結局、購買には間に合って焼きそばパンも最後の一個が手に入った。

 しかし、授業には当然遅刻。

 後ろのドアからそうっと入っていったら、


「そんなに腹が減っているなら、もっと早くに買いに行けばいいのにな? それとも、授業が終わるのが待ち切れなかったか?」


 と、その授業の担当である特に厳しい(そして嫌味ったらしい)と評判の教師から痛烈な皮肉を浴びせられ、クラスメイトからも苦笑され、放課後まで針のむしろを体験することになった。

 煌からは「ちゃんと飯食ったんだよな?」と親みたいな確認までされて、本当に居心地が悪かった。

 勇吾の表情を見て状況を察したのか、


「楽さま、本殿の方にいますけど……会っていきます、よね?」


 恐る恐るというように窺っている。過去にこう言ったことは何度もあったのか、その様子はイタズラをした友達の代わりに叱られる子どものようだった。

 そんな彼女を見て逆に同情を誘われた勇吾は、


「そのつもりで来たからね。大丈夫、心配しなくていいよ」


 安心させるために笑みを作った。多少思うところはあれ、瑞樹に対して言うことではないし、文句は本に直接言わなければ。


「そうですか……じゃあ、案内しますね」


 ほ、と安堵したように息を吐いた瑞樹はくるりと背を向け、石畳の参道の奥に荘厳と立つ三玉神社の御社殿へと歩き出した。

 後に続いて歩きながら、勇吾はふと疑問を口にする。


「本殿って、神様が祀られてるところだよね?」

「普通はそうですね」

(普通?)

「僕みたいのが入っていいの?」

「もちろん。三玉神社は神徒の基地でもありますから、拝殿も幣殿へいでんも本殿も、神徒なら基本的に出入り自由なんです」


 瑞樹は竹箒を建物の柱に立て掛け、脱いだ草履を綺麗に揃えて拝殿に入っていく。

 勇吾も賽銭箱の脇を通り靴を脱いで上がりながら、昨日楽ノ神が言っていたことを思い出す。


(「神徒集団『盤楽遊嬉』の主神だよ」)


 集団と言われるくらいだから、勇吾の他にもたくさんいるのだろう。

 神の力を授かり超常を扱う神徒たちが。

 名前の意味はわからないが、四字熟語の名前だけで心がときめくのは男子の性だろうか。

 瑞樹は声の調子を変えずに続ける。


「ただ、あんまり奥には入り込まない方がいいですよ。見ることはないと思いますが、めちゃくちゃ太い注連縄しめなわを見つけたら引き返してきてくださいね」

「どうして?」

「ご神体の座す祠があるんです。神力に満ちていて、神力に馴染みがない人とか、慣れてない人は気が狂うこともあるので」

「へ、へぇ……」


 背筋が冷える。一体どうなってしまうのか想像もつかないが、ひどい目に遭うことだけは伝わってくる。

 そんな話をしながらも、ぎしぎしと板張りの床を踏みながら廊下を伝って奥へと進んでいく。

 確か、賽銭箱を正面にしてまず最初にあるのが、拝殿。拝礼をするための建物。入る時にちらと見えた空間は綺麗に掃除されて清潔感があった。

 その奥に、幣殿。供物を一度納めるための建物。瑞樹の言う神徒が出入りすることに由来しているのか、供物らしき袋や箱の他に、どう見ても不釣り合いな数のダンボールが積み上がっている。一瞬、見覚えのある大手通販サイトのロゴが見えた気がしたが気のせいだろう。きっと。

 そして、普通の神社であればご神体を祀る本殿が、その先に——


「……あの」


 厳かな雰囲気を漂わせる本殿の大扉の前に立ち、取っ手を握った瑞樹は、何故かすぐに開けずに勇吾を振り返った。

 何かを躊躇うような、微妙な表情を浮かべている。


「どうしたの?」

「……どうか……引かないでくださいね」

「え?」

「ここは……楽さまの、お部屋なので……」


 ギィイ、と扉が開かれる。

 予想よりもかなり明るい内部に目を細める。

 それになんだか青白くて、チカチカする。

 そして飛び込んできた光景は、


 ……ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……

 ……ギュィイイイイシュパン……ギュィイイイイイシュパン……

 ……ピコン! ピコン! ピコンピコンピコン! ……


「もおおおおおピン連打やめろよ味方ぁ! そんな遠くでダウンすんなよー!」

「ちょ、楽さまもめっちゃ遠いよ! アタシまだカバーいけないよ!」

「え、マジ⁉︎ あ、待ってワンパ来てる! いやツーパ⁉︎」

「それ漁夫〜! 引いて引いて‼︎」

「無理無理無理無理助けに来てみっちぁあああああぁぁぁクッソ!」

 バンッ!

「うわあああ楽さまーッ‼︎」


「……ん?」


 勇吾はわからなかった。

 ここは神社の本殿のはず。

 中央に置かれているのはご神体ではなく大きな

 その脇に鎮座するのは虹色に輝くゲーミングパソコンの筐体。

 周りに散らばるのは大小様々なクッション、ジュースのボトルにスナック菓子の袋。

 一人一台設えられたモニターの前にぺたんと座っているのは、二人。

 片方は大ぶりなヘッドホンを着け、ボサボサの長い金髪を後ろに流し、ふかふかの部屋着を着てあぐらをかいている猫背の女性。

 その隣で、ブルーライトに照らされた銀髪に同じ形のヘッドホンを着けて台パンしているのは、


「楽さま、試合終わりましたー⁉︎ 内海さんが来ましたよー!」


 パチン、と本殿の電気をつけながら声を張り上げる瑞樹。

 ヘッドホンで聞こえにくいからなのだろうが、二人の騒がしい声とコントローラーのカチカチとした乾いた音以外は静かな部屋に、快活な声がよく響いた。

 金髪の女性はいち早く気付くと、着けていたヘッドホンを肩に下ろして振り返ると、


「ん? ……おお、みぃちゃんか。ほれ楽さま、お客さんだって」

「結局フルパじゃないと連携取れないって——ぁあ?」


 眼鏡をかけた女性に肩を叩かれて振り向いた楽ノ神は、一瞬ひどく不機嫌そうな顔をしていたが、勇吾の顔を見た瞬間、


「おおっ勇吾〜! 待ってたよ〜!」


 ぱぁあっ! と表情を輝かせヘッドホンとコントローラーを放って駆け寄ってきたかと思えば、シュバ! と両手を差し出し、


「はいっ‼︎」

「……、はい」


 天真爛漫という言葉がぴったり似合う笑顔を見せつけられ、文句をつける隙がなかった勇吾。

 リュックを開け、一応潰れないように上の方に入れていたラップに包まれた焼きそばパンを手渡す。

 うっひょお〜! と嬉しそうに受け取った神は、


「やっぱこれなんだよね! 今日は藤太もいないしどうしようかと思ったけど、勇吾がいてくれてほ〜んとに助かったよ〜! 感謝感謝」


 興奮で一気に捲し立てると、その場でラップを引っぺがして頬張り始めた。

 んまぁ〜い! と子どものように喜ぶ神を見ていると、文句をつける気もなくなってきた。

 これも神力の影響なのだろうか。

 あっという間にぺろりと平らげた楽ノ神は、


「ごちそーさまぁ。あ〜害悪プレイヤーへの怒りも綺麗サッパリ〜」


 満足げに言って、丸めたラップをパソコンの隣に置いてあったゴミ箱にシュート。

 口元についたソースを指で拭って舐め取ると、


「——そんで、決めたのかな?」

「!」


 唐突に、勇吾に問いかけた。

 その橙色の眼差しは、初めて目にした瞬間と同じ、神秘的で存在感のあるオーラを放っていた。

 さっきまでのワガママ無茶振りゲーマーとしてではなく、神社に座す一柱の神として問いかけているのがわかると、勇吾は自然と背筋が伸びた。

 ハッキリと答える。


「——はい。神徒として、僕も戦います。戦わせてください」


 それを聞いた楽ノ神は、口の端をにぃと釣り上げた。


「そうか、ならば歓迎しよう——」


 両手を鷹揚に広げて、


「今日からキミは、ボクの『盤楽遊嬉』の神徒であり、同志であり、戦友だ」

「……!」


 その深い橙の瞳にゆらりとした光を幻視した瞬間、勇吾は肌に風を感じた。

 もちろん本当の風ではなく、楽ノ神が放つ神力である。

 かの神が放つそれは、逆らえないと飲み込ませる威圧感に加え、この神のそばにいれば大丈夫、という不思議な安心感があった。

 春の日差しのように暖かく、湯のように満たされる心地に包まれる。

 気付くと勇吾は、すとんと腰を落とし、片膝をついて、頭を下げていた。

 うやうやしく、かしずくように。


「──ほんじゃ、仲間になったところで、早速任務に行ってもらおっかな〜」

「え」


 さっと顔を上げると、楽ノ神は既に勇吾に背を向けて、モニターの前に座ってコントローラーを手に取っていた。


「任務、って」

「荒御魂討伐だよ。ウチの神徒集団は、それが第一の使命だからねえ」


 呆けた声で呟いたそれに、神はゲーム画面を凝視しながら答える。


「こ、これから探すってことですか?」

「それはこの子の役目」


 楽ノ神が叩いたのは、隣にいた金髪の女性の肩だった。

 それを受けてコントローラーを置いた女性は、眼鏡越しの、濃いクマで縁取られた目を向けると、


「……ども。根津ねづ実千流みちるです。『盤楽遊嬉』でオペレーターを担当してます……よろしく、っす」

「内海勇吾です。よろしく、お願いします……?」

(あれ、さっきより大人しい……)


 扉を開けた瞬間の騒がしさとは一転して、暗く低い声だった。何かしただろうか。


「極度の人見知りなんです。慣れれば明るい人ですよ」

「あぁちょ、みぃちゃん……! 久々の新人なのに……」


 瑞樹にさらりと暴露され泡を食った実千流は、手元の大きめのクッションに慌てて顔を埋め、抗議の目線を送る。


「いや、まあ……自分のペースでいいと思いますよ」

「その同情もダメージデカいんよ〜も〜恥っず……」


 目元も隠してしまった。慰めようと思ったが逆効果だったようだ。わからない。


「実千流さんはこんなですけど、『盤楽遊嬉』のオペレーターとして、神力の感知とそれに伴う神徒の配備を担当してるんですよ。その捜索範囲は、三玉市内の三分の一をカバーするくらい広いんです」

「いや全然大したことないっすよ……そんなに持ち上げないで……」

「もうちょっと自信持ってくださいよ! あなたは神徒集団で無くてはならない人なんですから!」

「それが照れくさいって言ってんの〜……!」


 駄々っ子のように首を振る実千流と姉のように小言を言う瑞樹を見ていると、本当に三玉を荒御魂の脅威から守る神徒の集まりなのか疑わしくなってくる。

 ——が、その時。


「——……」


 す、と顔を上げた実千流の瞳が、隣でゲームに興じている楽ノ神と同じ橙色に輝いていた。どこか別の場所を見ているように、中空に視線を固定している。揺らめく瞳から散っている光は、神力だ。

 表情からは弱々しさが消え、代わりに何者かをいるかのような超然とした気配を纏い、勇吾は思わず息を呑んだ。

 その唇が小さく動く。


「種別……荒御魂。タイプ……群体。推定神力充填率……八パーセント。出現地点……S-11」

「あれ、感知に引っかかった割に、そんなに強くなさそうですね……」


 瑞樹が応じると、実千流は瞳の色はそのままにふっと表情を緩めて頷き、


「そだね。でも場所が場所だし、群体タイプは厄介だから早めに倒しといてもらった方がいいかもな……みぃちゃん、さよりん呼んできてくれる?」

「わかりました! ——きゃっ⁉︎」


 さよりん、という人物を呼びに行こうと部屋の外に向かった瑞樹が、短い悲鳴を上げた。

 二人のやり取りをぼうっと眺めていた勇吾は、何かあったのかと瑞樹の方を振り返る。

 彼女の視線の先、大扉に手を掛けて立っていたのは、


「出たの? わたしが行く」


 そこに、立っていたのは。

 長く艶やかな黒髪を真っ直ぐに下ろし。

 スラリとした体にシワひとつないセーラーの制服を着こなし。

 瞳に仄暗さを湛え、冷たい雰囲気を纏った少女。


 忘れるはずもない。

 忘れるわけがない。

 あの夜。

 あの夢の中で。

 勇吾に神の力を授けた少女が、目の前に立っていた。


「君、は」

「……?」


 掠れた声を聞いた彼女は、そこでようやく勇吾の存在に気付き、視線を移し、


「……え」


 固まった。

 そして、さ——……と表情が青ざめたかと思えば、


「……な、」


 ススススス、と瑞樹の後ろに隠れると、


「……なんで、ここにいるの……?」


 と、問いかけた。

 何故か、ひどく怯えた様子で。


「……え?」


 呆けた声が出た。


 別人?




【第10話に続く】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る