第8話:唯々諾々

 気が付くと、雨が上がった直後の、キラキラと朝日に照らされたアスファルトの道に立っていた。


「勇吾、おはよ」


 その先で優しく笑いかけるを一目見た瞬間から、勇吾は「ああ、これは夢だ」とわかった。

 今着ているはずのない制服。

 今来るはずのない場所。

 今いるはずのない人間。


「ん、おはよう、瀬利」


 そして勝手に動く口が、この夢が過去の記憶の再生であると証明していた。


「今日は朝練ないの?」

「うん、昨日の雨でグラウンドがまだぬかるんでるみたいだから。午後も自主練かなあ」

「相変わらずすごいね。あたしだったら一日お休みだ〜ってはしゃいじゃう」

「はは、夏大会近いからね。体作りもちゃんとしておかないと、後輩に示しがつかないし」

「まだ2年生なのに、顧問の先生にも頼られてるって言ってたもんね……やっぱり勇吾はすごいなぁ」


 眩しいものを見るように目を細める瀬利に、勇吾は照れ臭くて頬を掻いた。

 二人並んで歩く。

 この日は、久しぶりに一緒に登校した。

 昔は幼稚園も、小学校も毎日一緒に通った。あまりにも一緒にいる時間が長いことで「付き合ってるんじゃないか」と周囲にからかわれたこともあったが、互いに気性の荒い性格というわけでもなかったため受け流していたら、今度は「熟年夫婦」と呼ばれ気付けば一目置かれていた。

 中学校に入ってからは、勇吾が部活や委員会に所属したことで二人の時間は激減。それでも遠くから応援してるよ、と言ってくれたことで心置きなく集中することが出来ていた。

 ただ心の隅では、言葉にはせずとも、瀬利を寂しがらせてるのではないかという傲慢な心配もしていた。

 彼女はあまり積極的な性格ではないために、自分のクラスで孤立しているのではないかと案じていたのだ。


「瀬利は最近どうなの?」

「どう……って、普通だよ?」

「普通じゃわかんないって! 友達とか、いるんだよ……な?」

「い、いるもん……! 数えられるくらいいるもん!」

「あはは、そっかそっか。なら安心だ」

「もう、馬鹿にして……」

「馬鹿になんかしてないよ……ごめんごめん」


 むくれる彼女に両手を合わせて謝ると、むん、と鼻を鳴らした後に「……いいでしょう」と許してくれた。それがどうにも可愛らしくて、勇吾は緩んだ口角を隠すために立ち並ぶ街路樹に視線を逸らした。

 数えられるくらい、という言葉が、果たして片手なのか両手なのか、それとももっとなのか、勇吾は結局知らずじまいだった。

 ふと、瀬利が呟いた。


「……あ、そう、だ」

「どした?」

「……勇吾……あの、ね、あたし……」


 ひどく言いずらそうだった。何か隠し事でも——まさか。


「あっ!」

「え?」

「い、いいんだよ! 僕、別に恋人とかいても気にしないって言うかスーッと消えるし何ならアッもし今から会うとかなら僕全然遠くから」

「な、何言ってるの……⁉︎」


 彼女は素っ頓狂な声を上げて後ずさった。勇吾としては全くもっておかしなことを言った気はしていないというか、有り得ると思って言ったのだがどうやら、


「違うの?」

「全ッ然違うよ……!」


 瀬利の白い頬が瞬く間に真っ赤に染まり、目元には涙が浮かんだ。

 それ自体は、照れ屋・恥ずかしがり屋・引っ込み思案という三拍子が極まっている彼女からは普段から当たり前に見られる光景だったが、


「もう言わないっ」

「え、ちょっと! 教えてよ!」


 ふいっと顔を背け、早足で歩き出した彼女の言葉に滲んでいるのが怒りであると気付いたのは、それからしばらくしてのことだった。


 一番最初は、そこ。


 ***


 昼。

 勇吾は教室の自分の席で、


「……」


 購買のコロッケパンを貪りながら、スマホの通知欄を見つめていた。

 何より気になっていたのは、煌の安否だった。

 瑞樹は治療して家に帰したと言っていたが、自分の目で見ないとどうにも心配が消えない。

 三玉神社から自宅に帰ったのはギリギリ日を跨ぐ前だった。すぐに連絡を取っても良かったが、眠らせた状態で家に帰したようだったのでもしかしたらまだ眠っているのでは控えたのだった。


 次の日、朝の教室に煌は現れなかった。

 担任は出欠確認で返事のなかった煌の机を見て、「手島は休みか」の一言で流した。

 好きな授業を受けても、体育の短距離走で新記録を取っても、全く集中出来ないまま、昼になった。

 欲しい通知はいつまでも現れない。

 メッセージアプリの既読もつかない。

 普段から未読無視を平然とする煌だが、今回だけは、既読だけでも早くつけて欲しかった。


「煌……」


 周りに聞こえるか聞こえないくらいの音量で呟いた時。


「呼んだか」

「!」


 顔を上げると、煌がいた。

 表情はいつもと変わらない飄々とした雰囲気だが、顔に貼られた大きな絆創膏、制服から覗く包帯やガーゼが痛々しい。それを見てようやく、彼の姿を見ていたクラスメイトのざわめく声に気が付いた。

 勇吾は挨拶よりも先、


「煌! 大丈夫⁉︎ その怪我──」

「ああ、見苦しくて悪い。なんというか」


「階段から落ちてな」

「え」


 思わぬ一言に、続く言葉を失った。

 煌は言いにくそうに顎を掻いて、


「どうも、家の階段から落ちたらしい。情けない話なんだが」

「落ちた……?」

「どうやって落ちたか、その後どうしたかがさっぱり思い出せない」

「……!」


 勇吾は目を丸くしたが、同時に訝しんだ。

 経験したものと大きくかけ離れていることに。

 一瞬、自分の記憶も本当か疑わしくなった。

 しかし今も内で感じる神力の揺らめきと、制服の内ポケットに入れたままの瑞樹のお札が、昨日の記憶を確実にしていた。


(煌の記憶が飛んでるっ……瑞樹たちが何かしたってこと?)

「本当に大丈夫なの?」

「午前中に病院で診てもらったんだが、何ともなかった。見た目が派手なだけだ。心配すんな」

「そ、っか……良かった……」


 すうっと肩の力が抜ける。

 声を聞く限り元気だったし、彼の言う通り安心していいようだった。

 そして、昨日のことを話すのをやめた。

 記憶がないのなら尚更、変に突っ込んで混乱させる訳にはいかない。

 元は、自分が子どもの声と聞き間違えたことをきっかけに起きた事件だ。

 あの常識を大きく超える一件は、経験せずに済むのならそうしたいと思う。

 煌も、怪物に襲われて怪我を負ったよりも、階段から落ちて怪我をしたという方が——本人としては恥ずかしいかもしれないが——まだマシだろう。

 このまま忘れていてくれるなら、それに越したことはない。


「じゃあ午後の授業は受けるんだ?」

「ああ、親からもどやされたよ。元気なら行ってこいって」

「あはは、そっか……でも、本当に無理はしないでよ?」

「わかってるよ」


 煌はいつも通り素っ気なく言って、自分の席に戻っていく。

 その背中を見て勇吾は考えていた。

 煌に昨日の記憶がないのは——もちろん良くはないが——まだいい。

 正直、昨日の時点では楽ノ神の誘いには乗らないつもりでいた。

 神様を目指すなんて荒唐無稽な話、素直に信じられなかったから。


 しかし、考えが変わった。

 友人は荒御魂の手にかかって死にかけている。

 勇吾が神様を目指す、目指さない関係なく、勇吾の手が届く人たちが傷つく可能性がある。

 その危険を、この手で除くことが出来るなら。


(僕は、この力で——)

 ぽんぽろろんぽんぽんぽんぽんぽんぽん♪

「ぬわっ」


 突然震え出したスマホを危うく取り落としかける。

 こんな時間に——それももうすぐ授業が始まるって時に、一体誰が。

 画面を見ると、


「非通知……?」


 非通知設定と表示された着信画面。

 このタイミングだし、出るのはやめておこう、と思ったが——


(……なんか……嫌な予感がする)


 勇吾は何故か、出なければとんでもない不幸が飛んでくるような気がした。

 何よりその予感は、体の内の神力が訴えてくるものだった。

 ということは。

 まさか。


「——もしもし?」


 教室を出て、スマホに耳を当てる。

 そこから飛び出してきたのは、


『あもしもし勇吾⁉︎ ボク楽ノ神ですけど!』

「はあっ⁉︎」

『放課後こっち来るよね? 学校の購買で焼きそばパン買ってきて! そこのパンめっちゃ美味いから!」

「え⁉︎ いや、なんで僕の番号——」

『んじゃまた後で!』

「えっちょま」


 ブツップーップーッ。


「……」

 無言でスマホの画面に目を落とす。

 切る間際、微かに『あ〜間に合ってよかった〜』という声が聞こえた。

 スマホの時計は、十二時五十七分。

 午後の授業は十三時から。

 購買の営業時間は十三時まで。

 つまり、あと三分。


「——神様ってこんなのしかいないのかぁっ‼︎」


 駆け出しながら叫ぶ。

 人通りが少なくなった廊下に声が響き渡る。

 怪訝な顔をされようが知ったことではない。


 何たってこちとら今、神様にパシられているのだ。




【第9話に続く】

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