第6話:心願成就?

「……あれ」


 目が覚めると、見覚えのない和室の天井があった。

 それが幼い頃に行った旅館の天井に似ていたので、勇吾はぼんやりと、旅館なんていつぶりだろう、と思った。

 体を包む分厚い布団が心地いい。

 障子の合間から覗く空は未だ暗かった。だからまだ眠っていいのだと思ってもう一度目をつむり——スーッという襖が開く音に目覚めさせられた。


「目ぇ覚めました?」

「……あ」


 現れたのは、水差しとグラスの乗ったお盆を持つ香川瑞樹だった。綺麗な巫女服に着替え、表情も元気そうだったが、首元や手など肌が見えるところからは包帯が覗いている。

 それで勇吾は瑞樹と共に乗り越えた荒御魂との戦いと——昨日の夢を思い出し、


「……これも……夢?」

「何言ってんですか。現実ですよ」


 呆れながら枕元にお盆を置いた瑞樹は、そのまますとんと腰を下ろした。

 そして、


「それで、自分が誰だかわかりますか? 私のことは覚えてますか?」


 ずずいと勇吾の顔を覗き込んで問いかけた。意識が明瞭かどうか確かめるためだろうが、瞳孔の形までハッキリ見えるほど近寄る必要はない気がする。


「僕は……内海勇吾。君は……香川瑞樹、さん」


 視線から逃げるように顔を逸らしながら答えると、瑞樹は満足そうに頷いた。


「なるほど。あなたは内海さんと言うんですね。改めて、初めまして、ですね」

「は、はぁ……はは」


 ニコッと笑う瑞樹に反射的に愛想笑いする。この至近距離で勇吾に出来ることはそう多くなかった。

 彼女はそんな勇吾を見て可笑しそうに吹き出した。


「アハッ、なんですか、すっごい他人行儀じゃないですか! 私たち、一緒に戦いを潜り抜けた仲なのに!」

「え、あ、いや、そうなんだけ、ど」

「あ! もしかして照れてるんですか? 巫女さんに迫られて恥ずかしいんですか〜⁉︎」

「あ〜いや、ええっと違うっていうかそうじゃなくはないっていうか——」

「——なーんて」

「え」


 すいっ、と体を上げて、瑞樹は悪戯っぽく——少し申し訳なさそうに両手を振った。


「わかってますよ。すみません、いきなり近付いて。はしたない振る舞いでした」

「あ……うん……いや、そんな謝らなくていいんだけど……」

「いえ……」


 そこで謎に黙り込んだ瑞樹に焦った勇吾は、他の話題を振ろうとして脳内を探り——何より先に聞くべきことを思い出した。


「そうだ煌は⁉︎ ——ッでぇ……!」


 反射的に体を起こそうとして、落雷のように走った全身の痛みに堪らず悲鳴を上げ、再び布団に倒れ込んだ。

 声もなく悶える勇吾に瑞樹は呆れ顔で言う。


「まだ動いたら痛みますよ。連司れんじさんも『半日は確実に寝とけ』って言ってましたし」

「……」


 痛みで返事も出来なかった。

 それならもっと早くに言って欲しい。あと連司さんとは誰なのか。

 今の動きで気付いたが、どうやら着替えさせられているらしい。

 少し身じろぎすると、疼痛と共に糊のきいた浴衣の冷たさと、ぴったり巻かれた包帯の柔らかなざらつきを感じる。

 勇吾の心配が伝わっているのか、瑞樹も真面目な表情で口を開く。


「ご友人は戦いの後、気絶した内海さんと一緒にここに運ばれて治療を受けました。ただ彼は関係者ではないので、治療が一通り終わった後、お家に送り届けました。命に別状はないそうです」

「……そ、っか」


 煌は無事。

 その事実は、張り詰めた緊張を完全に解くに足りた。

 彼を巻き込んだという罪はきっと心の底にこびりつくだろうが、彼が死ななかったというだけで——贖罪の機会があるだけで、すっと心が軽くなった。


「よかった。ありがとう、助けてくれて。レンジさん? って人にも、後でお礼を言わせてくれる?」

「もちろんです。もう寝てるので、会えるのは明日になりますが」

(もう寝てる?)


 ここに住んでいるのだろうか。というかそもそも、


「ここはどこなの?」

「ようやくですか。三玉神社ですよ。初詣とかで来たことありません?」

「あぁ……え、三玉神社なの、ここ⁉︎」


 意外な名前が出て声が上擦る。……とはいえ、巫女がいる場所といえば候補はかなり限られる。

 三玉神社。

 勇吾たちが住む地方都市、三玉に唯一存在する神社である。

 宗教に興味がないので何の神を祀っているのかは知らないが、初詣は毎年家族と共に訪れ、夏祭りには友人と共に遊びに来ることもあった。

 中学生くらいの巫女さんなんていたっけ、と一瞬記憶を探ったが、年に何度か来るとはいえ巫女の顔など覚えていないので思い当たることはなかった。


「じ、じゃあこの部屋は」

「社務所内のご祈祷控室です。普段はご祈祷を受けられる方にお待ちいただく部屋なんですけど、今日は空けてもらってます」

「あ、そうなんだ……何だか申し訳ないな」

「いいんですよ。そんなことより!」

「?」


「詳しく知りたくないですか? さっきの力のこと!」

「!」


 ぶわ、と鳥肌が立った。

 戦いの間、結局詳細を聞けずじまいだった力。

 神力しんりき

 消耗し切った体力も気力も無視して体を動かし、普通の人間に不可能な動作を実現し、無から光を生み出して最終的に荒御魂という異形を討ち取った力。


「し、知りたい」


 起き上がりたいのをぐっと堪えつつ、瑞樹の言葉に頷く。

 話に前のめりな勇吾の表情がお気に召したのか、彼女は得意げに続ける。


「そうでしょうそうでしょう。では早速ですが、初めに言っておくことがあります」

「うん」


「神様はいます」


「うん……うん?」


 一旦、思考停止。


(僕、何の話を聞くんだったっけ?)

「神様とは、普段は天界に住まい、私たちを見守っている方々です。時折地上に降りてきて、人間に『神力』という超常の力をお与えになることがあります。すると人間は『神徒しんと』と呼ばれる神のしもべとなり、神様の力を扱うことが出来るようになるのです!」

「……、……ほへぇ」


 気の抜けた返事しか出ない。

 自信満々に語る瑞樹には悪いが、勇吾の脳はシャットアウト寸前だった。

 神様はいる?

 神力を与える?

 神徒?

 神の僕?

 出る言葉が神ばかりで神のゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。


「全ての知性体は目には見えない『うつわ』を持っており、通常は生命力で満たされていますが、神力が注がれると失われる生命力の代わりに『うつわ』を満たすようになります。神力が『うつわ』に入っている間は神様が扱うのと同じ力を扱えるようになり、最終的には」

「ち、ちょ、ちょっと待って!」


 すらすらと語られる説明についていけなくなった勇吾は堪らず話を止めた。


「はい?」

「いや、はい? じゃなくて」

「力について知りたくないんですか?」

「いや、知りたいけど」

「じゃあなんで止めるんですか!」

「よくわかんないからだよ!」

「ええ?」


 その言っていることがよくわかんないという風な瑞樹の表情に勇吾は頭を抱えたくなった。

 傷ついていない左手でこめかみを掻きながら、


「え〜と……そもそも、神様がいるっていうのがわかんないんだけど」

「え、いますよ」

「その、宗教的な……見えないけどいるよ〜みたいな意味だよね?」

「じゃなくて、いますよ、神様」

「ここが神社だからって取り繕わなくていいんだよ?」

「だから本当にいますってば」

「いやあのね、僕が言いたいのは——」


「ここに いるよ?」


「————」


 いつの間に瑞樹の背後に立っていたを、勇吾は一瞬見逃した。

 この場に——この世にいるはずがないと、生まれてからずっと思い込んでいたから。

 それは歴史の教科書で平安時代の公家の子供が着る服によく似た、真っ白な衣服を身につけていた。

 短いウルフカットのようなくせっ毛の髪は、透き通るような銀髪。

 声は柔らかく穏やかで、いつまでも聞いていたくなるような安らぎを感じさせる。

 存在の全てに「身を委ねてもいい」と思わせる魅力を放つそれは、確かに勇吾と同じ人型ではあったが、同じ人間というにはあまりにも纏う気配が似つかわしくなかった。

 言葉で表すことすら恐れ多かったが、あえて表現するなら、『神々しい』。

 男にも女にも見えない姿形を持つそれが、人間ではない、人間以上の存在——『神』なのだと、直感的に理解させられた。


「きゃっ——! んもう、らくさま! 神力を消して背後に立たないでくださいっていつも言ってますよね⁉︎」

「ご〜めんごめ〜ん。驚くトコが面白くってさあ。許して♡」

「も〜……」


 驚かされてぷりぷりと怒る瑞樹と、それを見て楽しそうに笑うそれの様子が、勇吾にはひどくおかしな光景に思えた。

 だって、『人間に怒られる神』なんて、想像しづらい。


「あははは——さて」


 瑞樹をからかって満足したらしいそれが、勇吾を見た。

 直視した。


「——初めまして、内海勇吾。ボクは楽ノ神ラクノカミ

「あ……」


 知らず、声が漏れる。

 その瞳は、生物を暖かく包み込むような、柔らかな橙色をしていた。

 見つめているだけで無駄に力んだ体の力が抜けて、安心する。


「『楽』を司る神にして、神徒集団『盤楽遊嬉ばんらくゆうき』の主神だよ。よろしく☆」

「……は……い」


 ぱちこん、とウインクした『神』に、勇吾は震えた声で応じるので精一杯だった。

 そんな彼をおかしそうに見つめる楽ノ神は、続けて告げた。


「で、ところでキミさ〜、」


「神様にならない?」




【第7話に続く】

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