第5話:一件落着

〈 い た い  い た い  いた い 〉


 甲高い悲鳴じみた雑音が、夜の静寂を針のように刺し続けている。

 荒御魂と遭遇してから、どれほどの時間が経っただろう。

 スマホを見る余裕もないが、体感じゃ五時間は経った気がする。

 無限にも思われた消耗戦だが、ようやく一筋の光明が見えてきた。

 明らかに、荒御魂の動きが鈍くなっている。

 見た目はほとんど変わらないが、腕の振り抜きや振り下ろし、追いかける速度が目に見えて落ちていた。

 お陰で勇吾と巫女——香川瑞樹も、体力に余裕を持って行動することが出来ている。


(そろそろ、力尽きてくれるかな……)


 最早手慣れて途中から作業となった光玉を作っては投げ作っては投げを繰り返しながら、勇吾はぼんやりと考えていた。

 その動作に最初ほどの危機感はない。

 体力と神力にはまだ余裕がある。問題は気力だった。

 集中力を長く保つには気力を消費する。体が疲れていなくても、精神が疲れていれば単純作業であってもいずれ綻びが出る。

 荒御魂の撹乱係である瑞樹も、動きが単調になって、表情にも疲れが出ている。この数時間、瑞樹との連携は良くなってきているものの、会話はなくなっていた。


「……あ」


 ふと、光玉に込める神力が少ないと気がついた。だからもう一度さっきと同じだけの力を込めて投げる。

 今ではほとんど狙わずとも、急所と思われるぬいぐるみ本体に当てられるようになっていた。今度も狙い違わず、軽い破裂音とともにぬいぐるみの頭に命中し——


〈 いた ……ィ 〉

「?」


 巨体がぐらりと傾く。足代わりの腕が、千鳥足で歩くようによろめく。


〈 イタ イタイ イタ イタイイ イタイタイタイ ィア イアイア イ 〉


 ぐら、ぐら、と揺れながら、勇吾や瑞樹を追いかけるでもなく、形だけの痛がりと言葉だけの悲鳴を機械的にこぼし続けている。

 今までと大きく違う反応が、勇吾に嫌な予感を過らせる。


(なん、だ?)

〈 イタ —— ィ ア 〉

 ぴた。


 唐突に、動きを止めた。

 二人も釣られるように息を止め、それを注視する。

 と、


〈 —— ハ 〉


 ぬいぐるみの体が震え出す。

 痛みにも、恐怖にも、怒りにも、悲しみにも見えないそれは、


(何か、堪えてる……?)


〈 ハ …… ハ …… ハ 〉


〈 ハ 〉

「っ⁉︎」


 不気味な静止。

 ぞわりと怖気が走った。

 瞬間、


〈 キャハハハハハハハハハハ !!!!! 〉

「う、わっ」


 緑色の輝きが一気に膨れ上がる。

 風など少しもなかった周囲に暴風が吹き荒れ、あまりの激しさにたたらを踏む。

 これまでの荒御魂が発した音が機械音だとするならば、この音は正しくだった。

 突然の変化に戸惑っていると、


〈 ウレシイ トモダチ タクサン ウレシイ ウレシ イ !!! 〉

「あ——」


 眼前に、先程よりも二回り以上も大きくなった荒御魂の巨腕が迫っていた。

 避けられないし防げない、と直感する。

 その肩を、


「ボーッと——するな!」

「うぇっ」


 どんっ! と突き飛ばされ、緑の奔流が通り過ぎる。

 それはぶつかった先の資材に軽くへこみを作った後、跡形もなく霧散する。


「い、ったぁ」


 覆い被さった巫女の下で呻き声を漏らす勇吾を、


「この局面で油断するとかバカですか!」


 体を起こした瑞樹が糾弾する。


「え、何が……」

「今のあの子は手負いの獣! 神力の出力も上がってる——ここが正念場なんですよ!」

「いや、手負いとか、そんなの知ら——」

「知らないからって理由で死んで後悔しないんですかッ⁉︎」

「っ……!」


 言われ、言い返そうと開けた口を閉じる。

 死んだ後などわからないが、今の自分は確実に後悔すると言えるから。

 バツが悪くなって、呟くように謝る。


「……ごめん」

「謝るのは後でいいです。あの子を倒さないと」

「うん」


 瑞樹の手を引かれて立ち上がり、神力の光を火の粉のように撒き散らす荒御魂を望む。


〈 ア キャ ハハハハ ハアハ—— 〉


 こちらの様子は最早気にも留めていないようだった。

 狂ったように笑いながら、周囲の資材や地面を滅茶苦茶に叩いている。

 元々どういう思考回路をしているのか見当もつかなかったが、理解をするよりもああいうモノだと受け入れた方が早そうだった。


「あの状態はたまたまでしょう。次に私たちを見たら、また襲ってきます。今のうちに手を打たないと」


 瑞樹は額に浮かぶ汗を拭いながらも、瞳は少しも荒御魂から離さないまま言う。

 勇吾も荒御魂の暴れっぷりを遠くに見ながら、


「——うん、僕がやる」

「はい、それがいいと——え?」


 思わず勇吾を見る瑞樹。

 彼は視線を外さないまま、


「今なら多分、倒し切れる」


 そう言うと、隣から訝しげな視線。


「……ほんとです、それ?」

「うん」

「自信ありますね……まあ、いいでしょう。任せます」

「ありがとう」


 今いち納得行かないながらも了承した、というような風の瑞樹に礼を言って、勇吾は右手に力を込める。

 すぐに紫色の光が灯って、じわじわと大きくなる。

 すると、


〈 ア ミツケタ 〉


 神力を察知したか、荒御魂は暴れるのを止めてこちらを向く。

 ぬいぐるみのつぶらな瞳が爛々と輝き、出力が上がった神力でより膨れる双腕は、触れたら火傷しそうな勢いで燃えている。

 熱そうだ。記憶の中の炎が想起されてどうにも近づきにくい——が。


(僕の考えてる通りなら)


 手の中でふわふわと揺らめく光を見る。

 暖かそうだった。想起されるのは、電球の光。

 触れなくはない程度の熱。

 大したダメージを与えられなくて当たり前だ。

 相手を傷つけるのに、傷つけられないものを使ってどうする?

 だから望む。

 思うだけでは足りないから、口に出す。


「燃えろ」


 ぼうっ——と、光が燃え上がって、手のひらの上で、紫の炎が生まれる。

 じり、と皮膚が焼ける痛みを、唇を噛んで耐える。


「あなた、それ……!」


 瑞樹が息を呑む音が聞こえる。

 どうしてわかったの⁉︎ という声が聞こえてくるようだった。

 その火傷を案じる声もまた、痛いほどに。


「——っ」


 それには応えず、右手の炎を保持したまま駆け出す。

 何か余計なことをすると、炎があっという間に消えてしまいそうだったから。


〈 —— ソ レ 〉


 迫る勇吾の手を見た荒御魂は、遭遇してから初めて、


〈 ヤ 〉


 後ずさって、


(やっぱり、『これ』は怖いんだ——!)


 確信を得て、勇吾はぐんと走るスピードを上げる。

 今なら、頭の中で思い描いていることを実行出来る気がした。

 目指したのは、荒御魂のそばに佇むクレーン。その支柱。


(跳んで——)


 地面を蹴った。

 支柱を蹴った。

 そして、


(ぶつける‼︎)


「——らああああああああああッ‼︎」


 高く舞い上がった勇吾の体は、弧を描いて荒御魂の真上に——ぬいぐるみの頭上に落下していく。

 右手を伸ばす。

 荒御魂は振り払おうと腕を持ち上げた。


(まずい、当たる——ッ⁉︎)


 冷や汗が浮かんだ、その時。

 緑色の腕全体に赤いラインが過ぎって、荒御魂の動きが一瞬止まった——気がした。

 しかし気に留める間もなく、勇吾の手がぬいぐるみの頭に触れた瞬間、


〈 ア 〉


 ごうっ——と、ぬいぐるみから双腕まで、一斉に紫の炎に覆われた。


〈 —— アアアアアアアアアアアアアアア —— ッ !!!!! 〉


 荒御魂の激しい叫喚が——痛苦の悲鳴が、一帯に響き渡る。


「——いでっ!」


 ぶつけた後のことを全く考えていなかった勇吾は、重力に従うまま地面に激突。

 ごろごろごろっ! と転がった後に全身の痛みに呻いていると、


「ほらっ、危ないですよ!」

「いっ、あ、ちょ、いた……痛いってちょっといでででで」


 駆け寄った瑞樹に腕を引かれ——引き摺られて、荒御魂のそばから退避させられる。体の傷がコンクリートに擦れて余計に傷んだ。


「もう、引き摺らなくたってすぐ起きれ」

「もう」


 涙の滲む声にぎょっと顔を上げると、


「他にやりようは、あったでしょうに。本物の火を作るとか、ほんとに、バカなんですか……」


 ぼろぼろと涙を流して、掴んだ腕の先——火傷で血が滲んだ手を、傷に障らないよう、大事そうに包む瑞樹がいた。

 流石に女子が泣いているところへ非難の声を浴びせる度胸はなかったので、


「……知らなかったんだよ、しょうがないだろ……」

「——え、あなた、ちょっと⁉︎」


 それだけをどうにか言い残し、勇吾は急激に押し寄せる眠気に従って素直に瞼を落とした。

 頭を撫でてやる度胸すらもない自分に知らぬふりをして。


 ***


 座っていた鉄塔の天辺から、徐々に小さくなっていく荒御魂の断末魔を聴く。


『——じゃあ、今から行くの?』


 耳に当てたスマホから問いかける声に「うん」と頷く。

 強風が吹いて、顔にかかった長い黒髪を軽く払う。


『あの件はやむを得ない事情があったし、無理して行かなくていい気がするけどな〜』

「……でも」


 断末魔が消え、周囲に静寂が戻ったと知ると、すくっと立ち上がる。


「わたしが、やったことだし……申し訳、ないから」


 通話を切り、両足に紫色の輝きを纏うと、同じ色の瞳をした少女は夜の暗闇に身を踊らせた。




【第6話に続く】

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