第3話:一進一退
〈 —— ——? 〉
ぬいぐるみが、不思議なものを見るような音を鳴らす。
何故自分の腕が跳ね返されたのかわからない、と言ったところか。
「これは……」
勇吾自身も理解しているわけではなかった。
認識出来た限りでは、まず、ぬいぐるみの腕が、陽炎の軌跡を描きながら跳ね上がって——勇吾の腕もまた、同じように弾き飛ばされた。
双方の間に緑と紫の激しい光が散って——火花のように、地面に弾けて消えた。
弾かれた手に痛みはなく、じんわりとした熱が残るだけ。
『あかい人影』の不意打ちに対して勇吾が行なった防御と同じだ。
どういう理由かはわからないが、勇吾は夢の中で使ったものと同じ力を使えている。
不思議と体の痛みも薄れているし、これなら、
(戦える……!)
胸の内が熱い。
興奮と共に自信が湧いてくる。
昨日ほど満たされた感覚はないが、この力が使えるなら勝ち筋もある。気がする。
今や望んで手のひらから光を生み出している勇吾を見ていたぬいぐるみは、
〈 わらなかい けど 〉
プラスチックの目を緑色に爛と輝かせると、
〈 もっと あべそる? 〉
どしん、どしん、と、足代わりの腕で跳ねる。
はしゃいでいるのだろうか。しかし、その音にこちらを気に掛ける気配は全くなく、おもちゃを見つけた子どもを真似ているかのような歪さを醸していた。
しかし、勇吾にも元よりぬいぐるみを気に掛ける意志はない。
気にすべきなのは倒れている煌の体だけ。
両拳をぐっと握りしめる。
「……そうだ、遊んでやる」
にぃ、と震える唇を歪める。
それは武者震いか、それとも恐怖による震えか。
「僕を——僕だけを追いかけてこい!」
駆け足で怪物の横を抜ける。
自分を狙っているのなら、まずは煌から離れたらいいはずだ。
〈 おっいけかこ? 〉
ぐるん! と怪物の小さな体が勇吾の姿を捉える。
逃げ回る彼を見つけると、不快な高音を撒き散らしながらずしんずしんと勢いよく追いかけてきた。
予想通り、煌のことなど全く眼中にないようだった。
(よかった、僕に集中してくれるみたい、だ⁉︎)
安心したのも束の間、勇吾は新たな脅威の出現に戦慄する。
〈 うしれい うしれい あぼそう あぼそう—— 〉
「速っ……⁉︎」
ぐん、と淡い緑の輝きが迫り、勇吾は反射的に真横へ頭から飛び込んだ。
その場所を怪物の拳が通り過ぎた後、ぶわっ、と風が吹きつける。
(あ、あの腕、見掛けによらず軽くて、速い……⁉︎)
人体を吹き飛ばすほどの膂力があるし、重量感のある振る舞いをしているはずなのに、その速度は勇吾の予想を大きく上回っていた。
そういえば、最初に煌がぶん殴られた時も腕の軌跡が見えなかった。
ただ、それ以降の攻撃はちゃんと視認出来ていた。
もしかして。
(遊ばれて……る?)
パンチを回避された怪物は、今度は両腕を振り上げて、
〈 もっと もっと 〉
「うわっ」
勇吾目掛け、ばしん、ばしんと交互に叩き付けながら追いかけてきた。
それを彼はどうにかスレスレで飛び、しゃがみ、避けていく。
避けられるたびに怪物は楽しそうに攻撃を繰り返す。
(って、なんで逃げてんだよ僕!)
自分はもうさっきまでの自分ではない。
神様の力を手にして、反撃の手段を得たのだ。
キュッ、と運動靴を鳴らして踵を返す。
背を向けていた対象にもう一度相対する。
さっきと同じように両手を前に突き出して、力を込めるイメージ。
言い放つ。
「僕はもうやられるばかりの僕じゃな——」
バァン‼︎
「ぐふぅっ——」
普通にぶっ飛ばされた。
ごろごろと転がる勇吾を見て、怪物はキャッキャと笑っている。
(あれ⁉︎ なんで⁉︎)
体の痛みより疑問符が頭を埋め尽くす。
イメージはさっきと同じでよかったはずだ。
さっきと違う何かがあったのか?
わからない。わからないが、
〈 あよんが じうょず あよんが じうょず 〉
「くそ……!」
怪物はそんな思考などお構いなしに攻撃を繰り返す。
逃げながら考えるしかない。
しかし、
「そんな器用なこと、やったことないって……!」
さっきからずっと走り続け、切れてきた息に気付かないふりをしながらやけっぱちに叫ぶ。
このままでは体力が切れて動きが鈍ったところをやられるのは目に見えている。
『力』が思ったように使えないことが、思考の阻害に拍車を掛けていた。
立ち向かえるのがわかったから立ち向かったのに、それが無理ならどうすりゃ——
「——あっ」
足がもつれた。
べたんっと顔面からコンクリートに突っ込んで、
(あ、死んだ)
直感した。
こんなに堂々と背中見せたらあっという間だ。
ぶん殴られて、背骨が折れて、内臓が潰れて、
「いッ!」
ごろごろごろっ、と体を
肩で息をしながら、折れかけた心を無理矢理奮い立たせる。
(考えるのは死んだ後でも遅くないぞ、僕!)
むくりと立ち上がり、走る。
体が動くうちは逃げる。
未来の自分が何か思いついてくれるはずだと信じて——!
——しかし、そんな都合よく妙案が思いつくはずもなく。
「ぜえっ、ぜえっ、ごほっ、ぜえっ——」
〈 もわうおり? もおわうり? 〉
気付けば壁まで追い詰められていた。
酸素不足の頭と使い潰した肺が、もう走れないと叫んでいる。
膝が笑ってしまって立っているのがやっとの彼に出来たのは、壁に腕をついて、怪物を睨みつける程度だった。
「ぜえ、ぜえ」
呼吸を繰り返しても全然動ける気がしない。
流石にもう無理だろうか。
やはり未来の自分なんかに任せず、ちゃんと早めに考えて対策すればよかったのだろうか。
先延ばさず、命の危機に直結するならもっと真面目に——
(……いや、変わらないか)
今やらないならいつまでもやらない。
それが命の危機だったとしても。
ツケが回ってきただけだ。
(でも、せめて)
〈 もっと あぼそう? あぼそう? 〉
もはや何度目かもわからない、腕が振り上げられる姿をぼんやりと眺めながら、勇吾は思った。
(煌が逃げてから、動かなくなればよかっ——)
「——こっちだよ、
「っ⁉︎」
〈 ? 〉
はっと振り向くと、そこに巫女が立っていた。
(……は? 巫女さん? なんで?)
ビルの工事現場に突如現れたあまりの異質に、勇吾はぽかんと見ていることしか出来ない。
見た目は中学生くらいだろうか。焦茶の髪をひとつに束ね、赤茶色の瞳に毅然とした光を宿らせている。
走ってきたのか、勇吾と同じように肩で息をして、
「私が! 構ってあげる! こっちにおいで!」
〈 ……かっまれくてる? あんそでれくる? 〉
「そう! その人よりも長く遊んであげる!」
〈 やたっあ うしれい 〉
「……いやダメじゃん!」
ようやく我に返った勇吾は巫女に叫んだ。
「何でこんなとこに来たんだ! 危ないだろっ!」
「あなたこそ何ぶっ倒れてるんですか! 『力』使ってくださいよ!」
「え、な、そ……⁉︎」
え、なんでそれを⁉︎
と言いたかったがまさかブチ切れ返されると思わず上手く言葉が出てこなかった。
息を整えて言い返す。
「い……いや使えないんだよ! 何故か!」
「はあっ⁉︎ さっき使ってる気配あったのに——」
〈 かってまよ—— 〉
自分を無視して言い合いをする二人に不満を示すように、怪物——荒御魂と呼ばれたそれは巫女をずしんずしんと追いかけ始める。
「くうっ、仕方ない……!」
勇吾の様子に納得がいかない表情を浮かべつつ、巫女は重そうな緋袴をたくし上げ、草履を履いた細足で駆け出した。
そして、
「ちょっと! いつまでもへたってないで動いてください!」
「え……君が何かしてくれるんじゃないの」
あんな登場の仕方をしたのだから何かあるのだろうと思っていたが、状況が呑み込めない勇吾に呆れたように巫女は叫んだ。
「んなわけないでしょ! 私は『力』を持ってないんですから!」
「……はぁ?」
何しにきたのこの子? と思った。
「だからぁ——」
「私が『力』の使い方を教えます! あなたが戦って、倒してください!」
【第4話に続く】
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