あの日のその後の回想
――ルークを二度と兄とは呼ばない宣言をしてから丸二日。
『気に入らないなら、今すぐに出てけ』と、ルークがいつ怒鳴り込んで来ても良いように、とっくの昔に家出の準備は終えている。
どうせならば、言われたことの倍以上の捨て台詞を吐いてから出て行ってやろうと、心の中でファイティングポーズしながら待っていたのだけれど……一向にルークはやって来なかった。
「平和だわ……」
ミアが注いでくれた紅茶を飲みながら、私はポツリと呟いた。
「そうですね」
微笑みを浮かべたミアが、苺タルトをサーブしてくれる。
「こんなに平和で良いのかしら?」
何もないと不安になるというか、心配になるというか……。
思わず縋るような顔でミアを見上げると、ミアはクスクスと笑いながら、私に苺タルトの載ったお皿を持たせた。
「良いのですよ」
「でも……!」
「そういう顔もお母様のセシリア様そっくりですね」
ミアはまたクスクスと笑うと、椅子に座る私の視線に合わせるように膝を折った。
「心配症のエリン様の為に、ミアが内緒話をして差し上げます」
そう言いながら、二日前に私がしたように、人差し指を顔の真ん中で立てた。
「実は、リーリエ様が旦那様に説教をなさったのです」
「お義姉様が……?」
「ええ。少し長くなりますが――」
――ミアの話はあの日に遡る。
エリンが立ち去った後に残されたルークは、それはそれはご立腹だった。
『お友達も勿論大事ですが、この世にたった一人だけしかいない、血を分けたあなたの妹の気持ちを考えたことがありますか?』
リーリエは不機嫌なルークに向かって、真剣な顔でこう切り出した。
『そ、そんなのあるに決まって――』
『では、最後に気に掛けたのはいつですか?』
『それは……』
『すぐに思い出せないくらい昔のことなんじゃないですか?』
間髪入れずに突っ込んでくるリーリエに、珍しくルークがたじろいでいたそうだ。
『少なくとも私がこの邸に来てからは、一度も見たことがありません』
『そんなことは……』
『私が『ない』と言っているのですから、一度もないのです』
『……はい』
『ねえ、ルーク。あなたが私を紹介した時のエリンの顔は思い出せる?』
『喜んでいただろう?』
『それは、あなたが帰って来たからよね?』
リーリエがジロリと睨むと、ルークは慌てだした。
『リーリエ!お願いだから、怒らないでくれ』
『私だって、本当は怒りたくないわ。だけど、あなたったら全然気付いていない――いいえ、気付こうとすらしてないのよ』
リーリエは悲しそうにギュッと唇を噛み締めた。
『エリンは傷付いた顔をしていたわ。旅に出たあなたをずっと心配していて、好きなお菓子を敢えて断っていたと侍女から聞いたわ』
『エリンが……』
『やっと帰ってきたあなたは、私というエリンにとって見知らぬ赤の他人ばかり構って、エリンを蔑ろに――』
『リーリエ、それは……』
『良いから黙って話を聞いていて頂戴』
『はい……』
うわ!リーリエに怒られて項垂れるとか、その場面見たかった!
『私が邸に馴染めるようにルークが気遣ってくれていたことは、私が良く知っているわ。でも、その間ずっと放って置かれたエリンは?あの子は大人びているけど、まだ十歳なのよ。家族が恋しい年頃なのに、突然降って湧いたような私に、あなたを奪われてしまったと嘆き悲しんではいなかった?』
『それは……』
『……心当たりがあるのね?』
リーリエは深いため息を吐いた。
『私達のことは無理矢理に受け入れさせることではないの。家族になるためには努力が必要で、私はエリンが受け入れてくれるように努力する必要があった』
黙り込んだルークを抱き締めながらリーリエは話し続けた。
『ルーク。私はあなたを愛している。どんなあなたも愛しているけど……あなたがエリンに言った言葉の意味をもっと考えて。聞き分けの良いエリンをあんなにも怒らせた理由をちゃんと考えて。それができないならあなたとは結婚できないわ』
「……え?『結婚できないわ』まで、お義姉様は言ってしまったの?」
「はい。ケイトが側で聞いておりましたから」
「それは……ショックを受けたでしょうね」
「勿論です。一時間くらい呆然と立ち尽くしていたとも聞いていますよ」
「あー……」
ショックを受けるルークの姿が容易に想像できる。
「お嬢様が気になさることではありませんよ」
「ミア……」
ミアの優しい手が、遠い昔のように私の頭を撫でた。
「寧ろ、使用人の間では『リーリエ様よく言って下さった』と、リーリエ様の人気が急上昇中です」
ミアがまたシーッと人差し指を立てる。
「それは良かったわ」
女主人として邸を取り仕切ることになる予定のリーリエにとって、使用人達の人気はとても重要だ。
……私がいなくなっても上手くやっていけるはずよ。
「お嬢様の人気も相変わらず高いので、いつまでも私達と居て下さらないと、旦那様を排除する一派が現れて大変なことになりますよ?」
有能な侍女であるミアには、私がいなくなろうと思っていることが見抜かれているようだった。
「それじゃあ私は結婚もできないじゃない」
「お嬢様を幸せにしてくれる相手じゃないと、どちらにせよ暴動がおきますよ」
「心得ておくわ」
苦笑いを浮かべると、ミアもふふっと微笑んだ。
「ミアはどんなことがあっても、お嬢様に一生着いていきますけどね」
――ミアが一瞬、怖い発言をしたことは触れずにおく。
本当に着いてきそうだ。
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