滞在の理由①

生まれた時から私を知っている元乳母であり筆頭専属侍女でもあるミアは、私の扱いがとても上手い。


昨夜、布石として『まだ少し体調が悪いから、明日も部屋から出られないかもしれないわ』と体調の悪さを装った私から何かを感じ取ったのか、寝起きが弱いという弱点を利用し――――気付けば、私は朝食のサラダのキュウリをフォークで刺しているところだった。


……どうしてこうなったの?


有能な侍女であるミアは、寝惚けている私をベッドから起こすと、瞬速で着替えや髪型を完全させただけでなく、私の意識が覚醒するより前にここまで誘導し、朝食のテーブルに着かせるという神業をやってのけたのだ。


「昨日はゆっくり休めたかしら?」

隣に座る心配そうな顔のリーリエから逃げられるはずもなく……。


「ええ、お義姉様達のお陰で、もうすっかり良くなりました」

と笑顔で反射的に返していた。


「そう。それなら良かった」

「ありがとうございます。お義姉様のお陰ですわ」

安心したような顔で胸を撫で下ろすリーリエの姿を見ていると、罪悪感がチクリと私の胸を刺した。


こんなに優しい人に心配をかけたらダメね。

でも……それとこれとは話が違う。

だって、私の未来が掛かっているんだもの。

ああ、一番会いたくなかった人に、対策もせずに会うことになるだなんて……。


恐る恐る視線を動かすと、サラダを食べていたルークと目が合った。


「……何だ?」

相変わらず、エリンを見るルークの瞳は冷めていた。自分が妹ではなく赤の他人になった気分になる冷たさである。


「いえ」

今の私はもう傷付かないから良いが。


「あの、お客様はどうされたのですか?」

部屋の中を見渡したが、テーブルに着いているのは私達三人だけで、アレンらしき人物はいなかった。



「アイツはまだ眠っているはずだ」

「ご一緒に朝食はお召し上がりにならないの?」

「……ああ。お前には説明をしていなかったな」

ルークはナプキンで口元を拭うと、納得したとばかりに大きく首を振った。


「アレンが我が邸に来たのは療養のためだ。今のアイツにはゆっくりと身体を休める場所が必要だからな」

「療養……ですか」

「そうだ。お前はまだ社交に出ていないから分からなかっただろうが、アレンの家――ディアーズ伯爵家が襲撃にあってな」


それは全くの初耳で、衝撃的なことだった。


「襲撃って……大丈夫なのですか!?」

思わず椅子から立ち上がると、ルークの片方の眉がピクリと上がった。


「……落ち着け。犯人は既に捕まっている」

「申し訳ありません……」

視線だけで座るように促された私は、頭を下げてから素直に腰を下ろした。

ルークに視線を戻すと、ルークは話の続きを始めた。


「ディアーズ伯爵家に逆恨みをした輩が起こした襲撃だったのだが……」

そこまで言ったルークは、珍しく眉を顰ませた。


今まで黙って話を聞いていたリーリエが、顔を俯かせて懸命に涙を堪えているところからみても……これから先は、とても言い難いことなのだろうということが推測できる。


「ディアーズ伯爵夫妻は――」

「ルーク、待って!エリンにこの話はまだ早いわ!」

「いや。アイツがここに留まる以上は、遅かれ早かれ知る事実だ。捻じ曲げられた話を伝え聞かされる前に話しておきたいんだ」

顔を上げたリーリエが涙を溢しながら話を遮ったが、ルークは首を横に振った。


「そんな……」

「大丈夫ですわ。お義姉様」

「エリン……」

「お義姉様からすれば、私はまだ小さな子供に見えるかもしれませんが、私はこれでも公爵家の娘です。高位貴族として知る責任があるのです」

「でも……」

リーリエはそれでも納得がいかないという顔をしている。リーリエの優しさに胸が熱くなる。


「でしたら、私が最後まで話を聞けるように手を握っていて下さいませんか?」

そう言いながら手を差し出すと、グッと一度だけ唇を噛んだリーリエは、私の手を握り締めた。


「……分かったわ」

「ありがとうございます」

ポロポロと涙を溢すリーリエに微笑み掛けた私は、深呼吸をして表情を引き締め直してからルークを見た。


「……大きくなったな」

こちらを見ていたルークが、瞳を細めながらボソッと呟いた。


「……え?」


――驚いた。

まさか、リーリエに向けるような柔らかい眼差しを自分に向けられるだなんて、夢にも思わなかった。

久し振りの優しい兄の瞳に動揺しそうになったが、


「……いや。それでこそフォレスト公爵家の娘だ」

コホンと軽く咳払いをして、そう言ったルークの眼差しはいつも通りに戻っていた。


テーブルに両手組んで置き、その上に顔を乗せたルークは、深い息を吐いた後に、覚悟を決めたような表情で口を開いた。


「アレンは、ディアーズ伯爵家唯一の生き残りだ」

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