エリンを殺した男②
――プルプルプル。
頬の下に敷いた日記帳が小刻みに振動している。
……この日記帳は、少しも私を労ってくれる気がないのね。
『早く退け』という圧力に、私は渋々顔を上げた。
私が退けると、日記帳は満足したように振動を止めた。
まるで生きているかのような日記帳は、何を嫌がって、何を喜ぶのか。試してみたい気持ちが湧き上がるが、今はそれどころではない。
何度も言うようだが、エリンがアレンに嫁がされるのが三年後。そこで初めてアレンに出会うはずなのに、エリンに対するアレンの態度には違和感を覚えた。
一つ目は、散々酷いことをしたのにも拘わらず、エリンの顔にだけは傷を付けなかったこと。
貴族の令嬢であるエリンの心を手っ取り早く、粉々にしてしまいたいのなら、髪を切るのではなく、顔に少しでも傷を付ければ良い。傷物になってしまったと、エリンは絶望したはずだから。
加虐的嗜好の持ち主であれば、やりそうなことだ。
そして二つ目、絶命したエリンの首を切って飾った意味とは?
『エリンの顔』が好みだったにしては、少し執着が過ぎる気がする。
わざわざホルマリン漬けにして長期保存する辺りのアレンの心情が分からない。
元々がヤンデレな世界なので、それが普通だと言われてしまえばおしまいなのだれど……。
あの地下室に、エリン以外の他の顔があったという風には書かれていなかったから、自分好みの顔を集めているわけではなさそうだ。
『エリンの顔は自分好みなものの、エリンの性格の悪さを嫌悪したアレンが、顔だけあれば良いと、結果的に殺すに至った』というよりも――『さあ、憎い女がやって来た。どうやって苦しめてやろうか?』的な、待ってました感があるように思えたのだ。
怯えるエリンに興奮したのも、こっちの方が辻褄が合う気がする。
そうだとしたら『エリンの顔』は、戦国武将達が敵を打ち倒した時に、勝利の証として首を取る行為に似ているのかもしれない。
憎き相手を殺した証として、いつでも優越感に浸れるように取った最善の方法だったのだろう。
…………小説の中のエリン。
あなた一体何をしたの!?
何をどうすれば、二十歳の男性が十歳の少女を殺して、その首を切りたいと思うほどの憎しみを抱けるのよ!?
エリンがアレンに初めて会うのは三年後なのよね!?
エリンは『初めまして』と挨拶をしていたけれど――それは本当なの?
エリンが覚えていなかっただけで、実はアレンと出会っていたとしたら?
……そう。例えば、小説には書かれていなかった今回のように、アレンがルークの友であるなら、友の邸を訪ねてくることだってあるんじゃないの?
今の私では小説に書かれていないことの答えは分からないし、日記帳の隅から隅まで目を通しても答えは見つからなかった。
けれど、私の中の青葉が告げている。
嫁ぐ前に、エリンは何らかの機会でアレンに会っており、そこでアレンを怒らせる何かをしてしまったのだ――と。
小説の中のエリンは、自分に冷たいルークに絶望し、そんなルークから溺愛されているリーリエに嫉妬するあまりに、とても荒んだ性格になってしまっていた。
何らかの形でたまたまアレンの弱点を掴み、気まぐれに心を弄んだ可能性がある。
そんなエリンが、アレンのことなんてすっかり忘れて『初めまして』なんて言った日には…………。
悪役なだけあって、エリン……恐ろしい子だわ。
思わず、目を閉じて眉間を人差し指で揉んだ。
まだ十歳だというのに、くっきりとした深いシワが刻まれてしまう未来が見えたのだ。
――けれど、アレンに喧嘩を売ったために恨まれたのであれば、恨まれないようにすれば、殺される可能性が減るということだ。
私はアレンに何かをするつもりはないが、無意識に何かをしてしまわないためにも、やはり会わない方が得策だろう。
……そのためにはどうすれば良いの。
怪我も病気もリーリエが治してしまうし、アレンの前であからさまに倒れることも若干気が引ける。
何もかもを放り出して逃げてしまいたいが、それは時期早々だ。逃亡資金はまだしも、まず逃亡先の宛てがない。
……それでも、もうダメだと感じたら逃げるけどね。
命が一番大事。失ってしまったら二度と戻らない。
そういえば……。
ふと、あること思い出した私は、ペラペラとページ捲って目的のページを探し始める。
しかし、何度探しても目的のページには辿り着けなかった。
……確かに『エリンに会えますように』と書いたはずだったのに。
もしも……。もしもの話だけれど、私の勘違いではなく、あの願いが叶ったから消えてしまったのだとしたら……試してみる価値はあるわよね?
ペンを取った私は、日記帳に文字を記した。
『苺のタルトが食べたい』と。
こ、これは別に私が食いしん坊だからではないのよ……!?
本来ならば、『アレンに会わずにすみますように』とか、『アレンに殺されずにすみますように』とか書くべきなのは分かっているが、何の確証も得られないままに書くのは不安だと判断したために、簡単なお願いからスタートしただけなのだ。
決して、苺のタルトがものすごーーく食べたいなって、思っただけじゃないんだから……!!
――誰に対しての言い訳かと問われたら、それは日記帳に対してである。
何故か『はい、はい。分かってますよー』という生温かい雰囲気を感じたから。
これが成功したら、少しずつ『お願い』のレベルを上げてみたいと思う。
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