油断
昨日は久し振りにルークに気遣われた気がして、思考停止してしまったが――どうやら私の気のせいだったようだ。
朝の挨拶こそどうにか返事があったものの、今日も今日とてルークの視界にはリーリエしか入っていない。
朝食の間ずっと、にこにこと笑いながらリーリエを見つめ続けるルークの瞳は、少しも笑っているようには見えなかった。
捕食者のようなその瞳に、寒気がしたのだけれど……リーリエは嬉しそうに微笑んでいた。
お似合いの二人というか、やはりヒロインは違うのだと実感した時間でもあった。
一方――私の膝で眠ってしまったリーリエ。
私の顔を見た瞬間に開口一番から、ひたすら昨日の謝罪をされた。
リーリエよりも年上だった青葉の記憶がある私的には、母性本能くすぐられまくりのキュン展開だったので、全く気にしていなかったのだけど、リーリエにしてみればそうはいかない。
自分よりも年下の――義妹に、あやされるようにして眠ってしまったことが、とても恥ずかしかったようだ。
泣きそうな顔で謝り続けるリーリエを見兼ねた私は、それならば……と、午後にルーク抜きでのお茶会をお願いすることで、この話に折り合いをつけることにした。
リーリエは私の願いを叶えることで罪滅ぼしになるし、私はリーリエと仲良くなりたいと思っている。つまりはWin-Winな取り引きである。
ルークは何かもの言いたげな顔をしていたが、気付かないフリをした。
ルークを誘う流れになるのは御免である。
私はリーリエと二人きりで、キャッキャウフフな女子会をするのよ……!
***
リーリエとの約束の時間に遅れないようにと、少しだけ早めに自室を出た私は、何やら邸中の侍女達が慌ただしく廊下を駆け回っていることに気付いた。
……何事?
すぐ近くにルークと一緒のリーリエの姿が見えたので、声を掛けてみた。
「……お客様、ですか」
「そうなの。お茶会の約束をしていたのに、守れなくてごめんなさい……」
リーリエの顔が目に見えて曇っていく。
「お義姉様は悪くないのですから、謝らないで下さい!お茶会なんていつでもできるもの!」
「エリン……」
にっこりと笑いながらフォローしたはずなのに、リーリエの表情は曇ったままだ。
……どうしてそんな顔をするのか分からない。
今日がダメでも、お茶会なんて明日でも明後日でも、いつでもできるはずなのに。
「もしかして、お客様は長期滞在されるのですか?」
それならば、リーリエは近い未来の公爵夫人として、ルークと一緒に滞在中のお客様をもてなさないといけない。
義妹と遊んでる暇なんてないだろうし、相手によっては私もホスト側に回らなければならない。
子供にできることなんてたかが知れているだろうけど――
「来るのは私の友だ。少し込み入った事情があって、いつまでの滞在になるかは分からない」
私の疑問に答えてくれたのは、リーリエではなくルークだった。
その瞬間に、私の心臓がドクンと大きく鼓動した。
「お兄様のお友達……ですか?」
ドクンドクンと痛いくらいに早まる心臓を押さえながら、話の続きを促す。
……違う。絶対に違うわ。
こんなにも早くにアイツが現れるはずがない――
「ああ、我が友であるアレン――アレン・ディアーズ伯爵だ」
だが無情にも、ルークが告げた名前は私がこの世界で一番聞きたくない名前だった。
『アレン・ディアーズ』
――小説の中で、エリンを殺した男だ。
……どうして。
私はまだに何もしていないのに。
「……っ」
息が上手く吸えず、呼吸が荒くなる。
全身から血の気が引いたようになり、目の間がチカチカと点滅して見えた。
「エリン……!?」
ガクンと体制を崩し、床に膝を付いた私にリーリエが手を伸ばしてくる。
「お……ねえ……さ……」
私を支えるリーリエの服を思わず握り締める。
「エリン、しゃべらないで!大きく息を吸って……!」
……苦しい。
リーリエの言う通りに息を吸いたいのに、上手く息を吸えない。
まるで息の仕方を忘れてしまったかのようだ。
手足が痺れ、意識が朦朧とし始めてくる。
「……過呼吸だ」
ハクハクと口を動かす私の口をルークが塞いだ。
私を支えるリーリエごと支えたルークは、冷静な顔で言う。
「過呼吸……!?それなら……!」
リーリエが瞳を閉じて何かを呟いた瞬間、私の身体が光に包み込まれた。
いつもリーリエが纏っているような柔らかな雰囲気に似た、温かい光だった。
今まで苦しかったはずの呼吸がスーッと楽になり、自然に息を吸えるようになった。
「もう大丈夫よ」
微笑むリーリエの優しい顔をぼんやりと見ている内に、私の意識はふっと途絶えた。
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