諸悪の根源
ダイニングルーム内に、カチャカチャとカトラリーを使用する微かな音だけが響く。
……どうしてこうなったの。
色んな意味での諸悪の根源たる人物をちらりと横目に見ながら、私はこっそりため息を吐いた。
諸悪の根源こと――エリンの兄のルーク。
長方形のダイニングテーブルの中央辺りに、対角線になるように向き合って座っているルークとは、テーブルの隔たりがあるので、私のため息なんか聞こえないだろうし、気付いたとしても気にも留めないだろう。
ルークの方から昼食に誘ってきたくせに、何一つ会話もない。
久し振りのまともな食事なのに、少しも味なんて分からない。絶品のポタージュスープのはずなのに、まるで泥水を啜っている気分になる。
こんな気持ちになるぐらいなら、一人で食事をした方がマシだ。というか、一人にして。
――ふと、ルークが帰って来た時のことを思い出した。
聖なる乙女と世界を浄化する旅の共に選ばれたルーク。
血を分けた家族が兄だけしか残されていないエリンは、それを酷く泣いて嫌がった。
ルークは泣き喚くエリンを優しく抱き締めながら『私は死なない。絶対に帰って来るからと』と、エリンが渋々頷くまで根気強く説得し続けた。
ルークが旅に出ている間、エリンはずっと不安だった。
本当に無事に帰って来てくれるのか、それとも両親のように二度と会えなくなってしまうのか……。
エリンは大好きなお菓子を一切断って、兄の無事を祈り続けた。
そして遂に、大義を成し遂げた聖なる乙女一行が帰還した。
久し振りに邸に帰って来た大好きな兄。
再会に喜ぶエリンが両手を広げて、兄の腕に飛び込もうと駆け寄ると――冷めた瞳でエリンを一瞥したルークは、自分の後ろにいた女性を抱き寄せると、蕩けるような笑みを向けたのだった。
エリンは混乱した。
良く知っている兄のはずなのに、姿形だけが同じであるだけの別人のように感じた。
今まで自分にだけ向けられていたはずの優しい笑みと態度を向けられることはなく……初めて会った知らない女性に、その全てを奪われてしまったのだと、エリンは確信した。
自分という存在は、この人が来るまでの代用でしかなかったのか……と、深く傷付いた。
『ただいま、エリン』
『今までずっと寂しくさせてごめん』
『可愛い僕の
『これからはずっとお兄様と一緒だよ』
ただそう言って、抱き締めてくれるだけで良かった。
そうしたら、お兄様の連れて来た女性とも仲良くしようと思えたのに……。
――あの時に感じたエリンの絶望が、ダイレクトに胸に蘇ってきて、涙が溢れそうになるのを奥歯を噛んでどうにか堪えた。
前世の記憶を取り戻した今の私だから堪えることができたが、あれからの数日間は、エリンにとって地獄の日々だった。
話し掛けても素っ気なくされるのは勿論のこと、ルークの行動の全てがリーリエ中心に回っていたのだから……。
日記に罵詈雑言を書くだけで踏み止まっていたエリンが本当に偉すぎる。
そうさせた側がエリンの秘密を暴いただけでなく、こんな無神経な兄に傷付けられ続けるなんて――
「…………ムカつく」
頭に血が上りすぎていた私は、うっかりと言葉を溢してしまっていた。
「ムカ……? 今、何と言った?」
ルークは眉間にシワを寄せながら聞き返してきた。
……開口一番がコレとは。
我が兄ながら呆れる男である。
「いえ?私は、何も言っていませんわ。幻聴でもお聞きになられましたか?」
わざとらしいくらいの笑顔で、堂々とそう言ってやった。
「……エリン?」
驚いたように瞳を見開くルークを無視して、スプーンで掬って飲み込んだポタージュは、頬が落ちてしまいそうなほどに絶品だった。
わたしはずっと、目の前にいる無神経なお兄様に向かって文句を言いたかったのね。
自分の都合の良いように可愛がるだけ可愛がって、飽きたら妹さえも簡単に手放すような最低な兄に。
思わず溢れた一言だけで、こんなにも心が軽くなるなんて思いもよらなかった。
最低な兄との久し振りの二人だけの食事。
二度と御免だけど、そのお陰でもう一つの今後の方針ができた。
リーリエとは個人的に仲良くなりたいから、少しずつ距離を縮めていければと思うけれど、ルークからは距離を取ることにする。私からは何も頼らないし、二度と期待なんかもしない。
最悪な結婚を無理強いされる前に、一人で生きていけるだけの資金を貯めて出て行こう。
だけど、この先何があるか分からないから、一先ず手持ちの宝石を持ち出しやすい所にでも隠しておく?
……私がいなくなっても、たった一人しかいない家族は悲しんだりしない。リーリエとの仲を邪魔する恐れのある私がいなくなれば、逆に喜ぶはずだ。
まあ、ミアだけは泣いて怒ってくれるだろうけれどね。
私は『エリン・フォレスト』を絶対に幸せにする。
ヤンデレ系乙女ゲームの続編小説の悪役妹に転生してしまったからって、何だ。
自分の力で幸せを掴んでやろうじゃないの!
――清々しい気分で食事を続行し始めた私を、ルークが複雑そうな顔で見ていたことに、私は少しも気付かなかった。
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