私とわたし

『エリン・フォレスト』は、ルーク・フォレストの年の離れた実の妹であるが、ゲーム本編には登場しない。妹がいるとだけの公式設定に留まり、どんな人物像であるかは疎か、名前にさえ一切触れてはいないのだ。


そんなキャラを何故知っているのかと言えば、青葉が死ぬ直前まで読んでいた乙女ゲームの続編小説【この愛は永遠に】の中で、悪役として登場していたからだった。


突然現れた兄の恋人に嫉妬したエリンは、徐々に嫌がらせをエスカレートさせて行き、遂にはは恋人を亡き者にしようと毒まで使用する。

それは兄によって阻止されるのだが、兄の逆鱗に触れた妹は、加虐的嗜好の相手に嫁がされ、残虐な行為の中で、命を落とす。


――因みに、エリンは悪役だが、物語のラスボス的な役割ではない。一番最初の踏み台としての恋人達の盛り上げ役でしかなかったのだ。


だからこそ青葉は、エリンの境遇の理不尽さと、扱いの酷さに怒ったのだ。悪役に成らざるを得なかったのなら、せめてラスボスとして華々しく盛大に散らせて欲しかった。

叫んだ勢いで、その後どうなったのかは――割愛する。割愛させて……!


あの時にスマホで見たエリンの姿絵は、青葉の記憶にまだしっかりと焼き付いている。

あの時のエリンと、コンパクトミラー越しに見る目の前にある顔は全く同じだった。

…………つまり、ここは青葉が読んでいた続編小説の世界の中なのだろう…………。


蒼井先生のファンとしては、先生の創り出した世界の住人になれるだなんて、願ってもない展開なのだが…………問題は、執着系ヤンデレあたおか野郎であるルークの妹に生まれ変わってしまったことだ。


思わず、エリンの頭を撫でた。

『何よ!?』と言いたげなエリンに構わずに、撫で続けながら、そっと瞳を閉じた。


***


今の小さなエリンには、この邸の中が世界の全てだ。

幼い頃に両親を亡くし、親しい友人はいない。

唯一の家族であり、自分を愛してくれていた兄は、自分が知らない内に恋人を作って帰って来るわー、今までの溺愛ぶりが嘘だったかのように、妹には目もくれなくなってしまったわー、では……どんなに良い子でも歪んでしまう。


そもそも、エリンがこの邸から外に出られないのも、親しい友人がいないのも、全てルークの仕業だ。

エリンの感情を自分にだけに向けるように操作したくせに、そのことも忘れて煩わしく思うなんて、どんな人格破綻者だ。


最悪な事態になる前に気付いて……本当に良かった。このままストーリーが進んでしまっていたら、取り返しがつかないことになるところだった。


――青葉の記憶を思い出した影響なのか、二十七歳の大人の姿をしたエリンの『私』と、十歳の姿をしたエリンの「わたし」が、頭の中に混在しているような不安定で、ややこしい状態になっている。


ここにまたややこしい話を追加すると……私=『青葉』で、わたし=『エリン』なのかと聞かれれば、「正確には違う」と答えるだろう。

確かに『私』は青葉の記憶が強いが、エリンの記憶を持ったエリン本人でもあるのだ。

あくまでも一時的なショック状態で、一つだったモノが二つに別れているだけ。


だからか、寂しげな顔で膝を抱え込んだ『わたし』と、それを見ている『私』が、同時に存在しているのだ。


本来ならば、もっと早くに融合されるはずだったと、言われたはず……って。

誰に言われたんだっけ?

確かに誰かとそんな会話をしたはずなのに、何故かよく覚えていなかった。


首を捻りながら考える『私』のスカートの裾が、不意にキュッと掴まれた。

そちらに視線を向ければ、不安気に揺れる瞳とぶつかった。



(……怖い)

(どうしよう。どうしたら良いの?)


――『わたし』の感情が流れてくる。


(頑張っても、何も変わらなかったらどうしよう)

(何も変えられなかったら、どうしたら良い?)

(一歩を踏み出すのが怖い。変わるのが怖い)


『私』は両膝を付いて、『わたし』を抱き締めた。

『わたし』が抱えている不安は、そのまま『私』の不安でもあった。


何もできずに逃げていた私は、その事実に向き合う勇気もなく、命を落とした。

後悔だらけの私に何ができるのか――


(誰かに必要とされたい)

(……誰よりもわたしを愛して欲しい)

(同じように……わたしも誰かを心から愛したい)

(……でも、わたしなんかに何ができるの?)

()


『わたし』の感情が、『私』の心の傷を思い切り深く抉ってきた。その痛さについ顔を顰めてしまう。


……でも。

「後悔だらけの『私』だから。今まで何もできなかった『私』だから、分かることがある。できることがきっとある」

そう言いながら、『わたし』を抱き締める腕に力を込めた。


後悔ばかりの人生は、もう嫌だ。

前世の後悔をここでも繰り返したくはない。

お兄ちゃんだって、きっとそう望むはずだから。


(本当に……?)

不安気だった『わたし』の瞳に、微かな希望の光が灯ったのを感じた。


「せっかく大好きな小説の世界に生まれ変わったんだから、ヤンデレ兄からさっさと離れて、思う存分に新しい人生を楽しもうよ」

幸いなことに、この世界の知識はそこそこある。


(お兄様から……離れる?)

「そう。妹を放ったらかしにするような兄なんて、捨ててやれば良いの。エリンの未来は無限大なんだから」

(できるかしら?)

「大丈夫。私達は一人じゃないから!」

『私』と『わたし』は、二人で一つ。


ニカッと『私』が豪快に笑うと、暫くパチパチと瞳を瞬かせていた『わたし』も、ふんわりと花のように愛らしく微笑んだ。



両手の指を組んで向かい合わせになった私達は、互いの額にコツンと軽く額を当てながら笑い合う。


「幸せになろう」

(うん。絶対に)


柔らかくて温かい空気が、私達の周りを包み込むのを感じながら、静かに瞳を閉じた。



***


――再び瞳を開けた時。

『私』と『わたし』は、そこにはもういなかった。



わたくしの名前は、エリン・フォレスト。

不本意な結婚を避けて、絶対に幸せになりますわ!!





*********************


ものすごーく分かりづらい話にお付き合い下さり、ありがとうございます!(汗)

ややこしい話は、これでやっと一段落です( •̀ㅁ•́;)

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