目覚めて己の状況を知る①


――ふと、目覚めると。

知らないような、よく知っているような、天井が目に入ってきた。

これは……三回目の人生の始まりなのだろうかと、まだぼんやりとした頭で思う。


二回目の人生のことをまだはっきりと思い出せていないが、一回目の――青葉のことは完全に思い出した。

……一ノ瀬 青葉は死んでしまったのだ、と。


ぶっちゃけ心残りだらけである。

たった一人の肉親であった兄に、育ててくれた恩を返す前に死んでしまっただけでなく、出産前の義姉さんや、階段から落ちた私を必死に救おうとしてくれた人、夜中に厄介な後始末に負われた人、職場にも多大なる迷惑をかけてしまった。

死んでも償いきれないとはこのことだろう(違う)。


それだけでなく、兄に私のオタ部屋を掃除させることになってしまったことが、死ぬほど恥ずかしい。

もう死んでるけどね!?あはは。……って、全然笑えない(泣)

壁に推しゲームのポスターがばっちり貼ってあるし、本棚には乙女ゲームが所狭しと並んでいる。

そこそこの価値はあるはずなので、売って貰えれば迷惑料くらいにはなるだろう……って、私は何を考えているの!?


……あー、もう。

私は自嘲気味に笑いながら深いため息を吐いた。


一番の心残りは、兄の顔……幸せな兄の家族の姿を見られなかったこと。

それがもう二度と叶わぬ願いであること、だ。


ポロリと涙が一筋頰を伝った。


「……っ。……ふっ……。……!」

一度、涙が溢れ出したら止まらなくなった。


悲しいよ……。寂しいよ…………。

……ごめんなさい。

会いたい……。会いたいよ……、お兄ちゃん。


両手で顔を覆って、泣き叫びたいのを我慢して、声を殺して泣き続ける。




――暫くそうして泣き続けていると、私の肩に誰かが触れた。


「……エリン?」

ずっと一人きりだと思っていた部屋の中には、私以外の誰かがいたらしい。

第三者の声に驚いた私の身体がビクリと強張った。


……どうしよう。

動揺に動揺した私は、挙動不審になることだけは何とか避けられたものの、気まずくて顔が上げられないでいる。

因みに、先ほどまで溢れて止まらなくなっていた涙は、驚いた衝撃で一気に止まった。



「わっ……!」

両手で顔面を覆ったまま、誰かにギュッと抱き締められた。

それだけでなく、急に抱き締められた勢いで身体が起こされ、顔面を覆っていた手が僅かにズレた。


「本当に良かった……!」

少しだけ視界が開けた私の瞳に、映り込んできたのは、銀色の長い髪だった。

細く柔らかい身体から、私を抱き締めているのが女性だと分かる。


絹糸のように艶めく銀色の美しさに、思わず指を滑らせると、涙の溢れる紫色の宝石のような綺麗な瞳と視線がぶつかった。

キョトンとした顔で、パチパチと瞳を瞬かせているこの女性には、見覚えがある。


「エリン。目覚めたなら、きちんと返事をしなさい。……まさか、それぐらいの最低限の礼儀も弁えられていないのか?」

いつの間にか、恐ろしいほどに顔の整った男性がベッドの脇に立っていた。

アッシュグレーの髪をオールバックにし、細められた水色の瞳と低い声音は、男性の不機嫌さを顕著に表している。


「もう!またそんな酷いことを言って……!目覚めたばかりの実の妹に、かける声としては冷たすぎるわ!」

女性は涙をグイッと拭って、頰を膨らませながら、男性を振り返った。


「君が心配なんだよ。階段から落ちたエリンに癒やしの力を使ってから、殆ど休んでないじゃないか」

女性を見る男性の瞳は、私に向けられた時とは大違いだ。


「あら、そのくらい平気よ。一緒に旅をしたあなたなら、分かっているでしよう?」

「それとこれとでは話は違う」

女性のことは心から心配しているのが分かるのに、私を見ていた時はまるで耐え難いゴミか虫を見るような瞳だったのだから。


「私は大丈夫よ。それよりも今はエリンのことの方がずっと大事なの。階段の一番上から落ちたんだもの……きっと、すごく怖くてショックだったはずだわ。ね?」

不機嫌そうな男性の頰を撫で、こちらに向き直った女性は、私を安心させるように柔らかな微笑みを浮かべた。


……はい。その通りです。

私は今、ものすごーく動揺しています。


二人の短い会話から推測するに、階段から落ちて死にかけた私――こと『エリン』は、この女性の持つ癒やしの力によって救われたらしい。


――チクリ。


つまり、私の二回目の人生はまだ終わっていなかったということだ。


――チクリ。


二回目の死因が、一回目と同じ転落死にならなくて、ほんっとーーーに、良かった……。

そんなの、あまりにも自分が間抜けすぎて泣ける。


――チクリ。


できることなら、このままもう少し情報が欲しかったのだけど……。


――チクリ。


……先ほどから、ブリザード級の冷たい視線が、私の眉間の辺りをチクリ、チクリと突き刺してくるのだ。

目を合わせたら殺されてしまいそうな気配がするので、絶対に目は合わせない……!!


……まさか、ここまで心が狭いとは。


この状況で、にこにこ微笑んでいられる女性も女性だが、それも仕方がないことだ。

こっち方面には、鈍感ななのだから。


起きたばかりの時は、どこも痛くなかったのに、だんだんと目眩と頭痛がしてきた。

いたたまれないほどに冷たい視線&更に頭痛が酷くなる前に、お二人にはご退出願おう。

……そうしよう。


「……お兄様。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした。そして……お義姉様。を助けて下さり、本当にありがとうございました」

男性には謝罪を。そして、女性には心から感謝の言葉を口にした。

彼女のお陰で、私は不名誉な転落死を回避できたのだ。女性様々である。


ペコリと下げた頭を戻すと――男性は驚いたように大きく目を見開き、女性は瞳を潤ませて感極まったような顔をしていた。


……素直にお礼を言っただけなのに、何でそうなるの?


「え、ええと………申し訳ありません。少し疲れてしまったので、休みたいのですが……」

「あ、……ああ。そうだな」

「そうよね。長居してごめんなさい。ゆっくり休んで。……良かったら、また後でお話しましょう?」

動揺を隠すために顔を伏せて言うと、気まずそうな顔をした男性は、嬉しそうに微笑む女性の肩を抱いて、部屋を出て行った。



「はぁ……」

今度こそ一人なったことを確認した私は、両手を大きく広げて、背中からベッドに倒れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る