2-5 トクイテン

 事務所からの電話連絡で達川の逮捕を知ったとし子は、達川との4回目の逢瀬・通算13回目のセックスの後に彼から言われた言葉を思い出していた。

 達川の独りよがりなファックにようやく体が慣れて来て、その退屈な時間の噛み殺し方を覚えつつある頃だった。


   ◆


「あの時指をさしたのな、実はお前じゃなかったんだ。」

「……え?」

「何だ、忘れちまったのか?遠藤の劇団に指導に行った時、俺のアニメに出ろって指さして言っただろ?」


 とし子の人生が一変したあの日の事だ。

 忘れよう筈がない……と言いたいところだが、その後の日々が目まぐるし過ぎて、既にその頃の細かな記憶は忘却の彼方に流れ去りつつあった。


「あれ、実はお前じゃなくてお前の左隣にいた奴を指さして言ったんだよ。なのにお前が大声で返事しちまうから、俺も引っ込みつかなくなっちゃってさ。」

「それで私をフレイル役に指名した…って事?」

「ああ」


 とし子は既に遠い昔の事の様に感じるあの時の記憶を、どうにか忘却の彼方から必死に引っ張り戻した。

 確かに自分のすぐ左隣にメガネでおさげで身長の低い、ガリガリ体型の針金の様な女団員がいた……気がする。もう名前も思い出せないが。

 思えばあの時の達川の指先は自分を真っ直ぐにではなく、自分と針金女の中間あたりの微妙な位置を指していた……気もする。

 そうか。

 本当は彼女がフレイルを演じる筈だったのだ。


「カラダはアッチの方が好みだったけど、まぁどっちでもよかったな。元々フレイルってのは俺が引っ掛けた女に充てがってやる為に作ったキャラだからよ。」

「?」

「誰でも演じられる、無個性でベタなバトルヒロイン……それがフレイルだ。どんなヘタクソが演ろうがどんなド素人が演ろうがそれなりにサマになる様に出来てただろ?」


 達川はまあまあとんでもない事を少しも悪びれず言った。

 だが、言われてみれば確かにそうだ。

 物語の中核にいるのは浅川奈央の演じるナナミだし、バトルシーンで見せ場があったり物語のキーになる様な台詞を任されるのは大体他の魔法少女…エペとサーブルの二人のどちらかだった。

 フレイルはというとその合間合間の「行くよ!」「やろう!」「進むんだ!」の様な、勢いはあるが物語の進行上余り意味のないセリフばかり口にしていた。達川のいう通り、恐らくどんなヘタクソや素人でもそれなりにこなせてしまう様なキャラではあった。


 とし子は少し驚いたが、ショックはそれ程でもなかった。達川のガチロリ趣味は知っているし、体の関係を結ぶなら自分よりもあの針金女の方が好みだろう事も察しがつく。

 それに唐突にデビューさせられてまだ1ヶ月だ。フレイルというキャラクターに愛着が湧く程どっぷりプロになり切れてもいない。


「私の声やお芝居を選んでくれたんじゃなかったんですか?」なんて下らない事を言うつもりもない。それこそ愚の骨頂だ。

 業界で仕事を初めて分かった事だが、女声優という奴は奇妙な事に、どいつもこいつも同じ様な声・同じ様な芝居・同じ様な顔・同じ様なメイク・同じ様な服装・同じ様な整形をしていやがった。興味のない人間には見分けが付かないであろう程に。

 ならば、自分の作品に起用するにせよ愛人として囲うにせよ、一定以上のルックスを保った上であれば技術的な巧拙なぞ関係ない&ぶっちゃけ誰でもいい…というのが達川の考えなのだろう。道義的な問題はともかく、一応理に適った考えではある。


「本当は別の専門学校で、もっと若い17、18くらいの処女を食うつもりだったんだけどなぁ。あん時ゃ酒入ってたから、つい勢いであんな貧相な劇団からよお…………」


 自分の人生を一変させた出来事の真相が、何ともおかしなタイミングで明らかになってしまった。が、今更そんな事を気にしても仕方ない。無論負い目を感じる事などあろう筈がない。


「しかしよお」


 達川は鼻からタバコの煙を噴き、片目を大きく見開き、もう片方の目を細めて微笑んだ。本人としてはニヒルに笑っているつもりなのだが元の貧相ながら悪そうな顔の作りのせいで嫌らしさばかりが際立つこのスマイルは、達川がカッコを付けながら自分語りに入る時のクセなのだ。


「何で俺の周りって、こうも変な奴ばかりが集まるんだろうなあ。やっぱ俺が世の中のルールじゃ縛れない、特異点的なアレだからなあ。」


 トクイテン?


「なあお前、特異点って分かるか?」


 トクイテン。

 聞き慣れない言葉だった。


「まぁ……何だ、色んな意味で使われる言葉なんだがよ。俺の解釈で言やぁ……生き物の集まりの中で、何故か毎回そいつを中心に何がしか波乱や事件や騒動が起きるっつう、特定の個体の事だ。」


 何が言いたいのか、とし子の学力ではイマイチよく分からなかった。が、ここで首を捻って達川の機嫌を損ねてもつまらないので取り敢えず黙って聞く。意味など分からずともいいのだ。どうせ達川自身、明日になればここで何を話したかなど覚えていまい。


「人間社会でもいるだろう、そういう奴が。で、大概そういう奴は社会の中で厄介者扱いされたり爪弾きにされて埋没していくんだ。でもな、本物の鬼才はそういう中にこそ居るんだよ。」


 達川の御託をとし子は眠気まなこで聞き流す。が、達川は暗がりの中のとし子の退屈そうな表情に気づく事なく続ける。気味が悪い程上機嫌に。


「そして、あらゆる革新や創造は、そういう特異点的な素養を持つ鬼才と、そこに集まって来る変わり者達の手で起こる物なんだ。それは歴史が証明してる。狂人と怪傑は紙一重なのさ。」


 達川はどこか自己陶酔気味に、更に小難しい事を言い始めた。彼らしからぬお堅めの言葉選びから、恐らくこの一節が彼の考えた言葉ではなく誰かの受け売りなのであろう事と、妙にこなれた口ぶりからあちこちで同じ話をしているのであろう事と、達川自身が変わり者である自分の事が大好きで、それをすごく誇らしく思っているのであろう事は取り敢えず察せた。

 その思考回路の幼稚さは成程、如何にも達川らしい。


「トクイテン…………」

「やっぱり俺は、凡人共とは相入れられない。そういう宿命の下にいるんだな。」


 とし子はこれ迄の荒んだ人生の中で出会った変わり者や悪人と今目の前にいる達川を脳内で並べてボンヤリと比較し、そいつらの身の回りにどんな連中が集まっていたのか思い返してみた。何となく「トクイテン」という言葉の意味をもう少し正確に理解したくなったからだ。

 結論から言うとどいつもこいつもロクな物ではなかった。

 三下が三下を従え、雑魚が雑魚を率い、虫ケラが虫ケラとツルみ、小物が小物をパワハラ・モラハラめいたやり方で支配していただけだった。とてもじゃないがコイツらにカクシンだのソーゾーだのを生み出せるとは思えなかった。


「おい、尿道にザーメン残ってっぞ。吸い出せや。」


 達川の命令でとし子の思考は中断された。

 まあいい。

 あの時のアタシへの指名がこいつの乱心による物であれあの時泥酔してたであれ、最終的にこの役をモノにしたのは私だ。


 私が、勝者だ。


 とし子は自分にそう言い聞かせ心の中で勝どきを上げながら達川のポコチンを頬張り、フレイルを3か月間力強く演じ切る為に鍛え上げた肺活量を使ってフルパワーで吸い上げた。


   ◆


 達川の逮捕から30分後、アニメ制作会社・中央動画とレコード会社・タイタニアレコーズは合同緊急会議を開き、「魔法少女キューティ☆フレイル」第二期の製作凍結と、発売を控えていたVHSビデオとDVDのリリースの中止を決定した。

 既に発売されていたキャラクターソング入りのサントラCDもブックレットに監督のコメントが載っている事が問題になり、やはり回収される事になった。


 両社にとってドル箱タイトルになり得た作品の凍結は痛手であったし、監督を入れ替えての製作続行も検討されたが、達川イズムの極致としてファンから絶賛されたフェチティッシュな描写がモロに少女買春のイメージを連想させてしまう事や、スタッフの大多数と一部のキャストが「達川組」と呼ばれる達川の子飼いでそいつらから余罪が出て来る可能性が高く、代わりを探そうにも手間がかかり過ぎるので難しいと判断された。

 実際、既に後者の懸念は現実になっており、達川と同時間に別の部屋でプレイに興じていた達川の子分格の笠井郁夫という中堅声優が一緒に逮捕された事がのちに判明し、更に後日、達川の紹介で例のCLUBハニーの会員になっていたスタッフ2名が追って逮捕された。

 かねてより悪評が多く、沢山の人間から恨みを買っていた達川の作品の封印の動きは、良識ある業界人からは概ね歓迎された。


 達川作品でデビューした雛沢ももえの仕事にも当然影響は及んだ。

 事件前から「達川の眷属」という不気味で不名誉なイメージがこびりついていた雛沢を使いたがるクライアントは現れず、「魔法少女キューティ☆フレイル」の放送終了から三ヶ月も経った頃にはももえのスケジュールは真っ白になっていた。


 余りにも波の引き方が急なのでどういう事かと事務所に確認したところ、どうやら達川が方々で「ももえは俺の女だ」「ももえとはもう100回以上寝ている」「ももえは俺のチンコをしゃぶりながら、てめぇのケツにアナルパールをぶち込んで白目を剥いていた」となどと触れ回っていたらしかった。

 始末の悪い事に、達川のこれらの放言は95パーセント事実であった。強いて訂正するならばアナルに異物をぶち込んで白目を剥いていたのはとし子ではなく達川の方で、且つぶち込まれていたのはアナルパールではなく極太のディルドだったのだがこの際そんな事はどうでもいい。


 本来なら事実無根ですと大きく胸を張って宣言せねばならぬところだが、セフレとのプレイをビデオカメラで撮影する事が趣味だった達川は当然とし子の痴態もビデオテープに収めていたので、一旦沈黙して様子見せざるを得なかった。逮捕後の家宅捜索でこれらのテープがごっそり押収されていると有難いのだが、あんな物は幾らでも複製出来るし安心は出来ない。

 そもそも達川は気の合う仲間……つまり達川と同じ位ろくでもない業界人を集めて、個人撮影ハメ撮りビデオの鑑賞会を定期的に行なっているという噂もあった。それなら尚の事、とし子の痴態が幾人かの業界人の目に触れている可能性は高い。


「魔法少女キューティ☆フレイル」によって安沢とし子にもたらされた筈のつつがない人生は、予期せぬアクシデントにより暗礁に乗り上げた。そんな彼女を救える人間・救おうとする人間は皆無であった。

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