2-6 しょうもない女

 雛沢ももえが所属する新興声優事務所・ボルケーノは元々、社長にしてベテラン声優の【権田原達郎】がある事件をきっかけに前所属事務所と大喧嘩してクビ同然に退所し、這々ほうほうていで設立した事務所である。


 彼を慕って付いて来ようとしたマネージャーやスタッフ、彼の独立を支援しようと手を差し伸べてくれる業界内外の友人といったものは皆無だった為、会社設立にあたっては国立大学の経済学部を卒業した権田原の親戚のタカオという若者が手伝いに担ぎ出され、手伝いどころか必要な手続きを全て無給でやらされた。

 タカオはてっきり就職という認識であったので従業員として給料を支払って欲しいと達郎おじさんに要求したが、「実家住まいが贅沢言うんじゃない!」とよく分からない理由で怒られた。たまらず両親に「達郎おじさんにタダ働きさせられてるんだけど」と相談したが「社会勉強させて頂けてるなら良いじゃない」とこれまたとんでもない答えが返ってきた。


 法人化の手続きがひと段落したのち、タカオは達郎おじさん……否、権田原社長に許可を取った上で高校卒業後バカ過ぎてどこにも就職できず4年ほど無職だった友人のマサヤを、恐らくさほど使えまいがと承知の上で気軽にこき使える雑用係として雇い入れた。

 

 これでようやっと一息つけると安心していたら、権田原と旧知の間柄だという達川とかいうバカアニメ監督がどこぞの劇団員の女を「コレ、俺のアレだから。宜しくアレしてやってよ。」と気軽に押し付けて来た。

 キモいオタクからチヤホヤされ過ぎて「ヒトが造りたもうた横柄の権化」の如く調子に乗っていた達川は、初対面にしてタカオの脳内の「出来るだけ長い時間をかけて苦痛を味あわせながら痛めつけ、最後に素っ首を切り落として殺したいヤツランキング」の堂々1位に躍り出た。

 ちなみに8位には権田原の名前があった。


 その上達川の愛人らしいこの安沢とし子とかいうハタチそこそこのくせにババ臭い名前の女は滅法育ちが悪く、これから大いに世話になるであろう筈の相手の1人であるタカオを前に挨拶ひとつしやがらない。

 タカオは初対面にしてこの女の事が嫌いになった。今後何かの間違いでこいつに命を救われでもしない限り、この気持ちが変わることはあるまいという確信さえ持った。


「今出演が決まってる達川さんとこの現場が始まったら多分挨拶ってメッチャ大事だと思うんで、ちょっとそこは頑張って下さいね。」

「………あい」


 性根の腐り具合が伝わって来る様な、気のない返事だ。


「あと、達川さんから今後芸名で活動されると伺ってるんですが、芸名はもう決まりましたか?」

「ひなさわ……ももえで………」


 タカオはたまらず吹き出してしまった。安沢こと雛沢に少し怪訝な顔をされたが、こいつに嫌われようが訝しまれようが知った事か。

 テメエに気を使うほどの価値なんぞねぇよ、バカが。


   ◆


 その一週間後、権田原が「雛沢くんの歓迎会をやろう!」などと余計な事を言ったおかげで、タカオは事務所近くの居酒屋で飲みたくもない安酒を飲むハメになった。


 社長の権田原も女も、勿論タカオも何を話したらいいやら分からないという表情でお互い目を合わせず虚空を見つめている。元より愛想のない女とバカのマサヤはこの際致し方ないとしても、言い出しっぺのバカ社長が黙ってるのは意味不明であった。


 おまけに通された個室が狭い。

 どうやら店員が4人のナリを見て「低ランクの客だ」と判断したらしい。注文を取りに来た店員の感じの悪さといい、出てきたドリンクのグラスの汚さといい、チャッチャと払うもん払って出てけと言わんばかりの空気をひしひしと感じた。


 そんな中、ややヤケクソ気味に酒を飲み進めたマサヤだけは次第に上機嫌になり、ニコニコと笑顔で女に話しかけ始めた。酔って気が大きくなったのか、無能のくせに「これから僕はももえさんを推していきます!いずれは事務所の看板になって貰いますから、今の内から心構えを作っておいて下さいね!」なぞと出来もしない大言壮語を口にした。

 タカオはしょうもない女のナイトをマサヤに任せて「ちょっと電話してくる」と言って席を外すとそのままパチンコを打ちに行き、只々不毛な時間が過ぎ去るのを待った。


   ◆


 一週間後、マサヤは会社を辞めていた。


「何やったんスか!?」


 タカオは目をひん剥いて権田原に詰問した。さほど使えないヤツとはいえ、小間使いが予期せぬタイミングで消えてしまうというのはやはり微妙に不便で困る。


「いや、大した事ないよ。あいつ、研修期間が終わった途端仕事の凡ミスが増えてきたんで、ちょっとキツめに言ったんだ。そしたら顔を真っ赤にして『“ぱわはら”だ!辞めます!』って言ってどっかに行っちゃってさ。なあタカオ、ぱわはらって何だ?」


 あのバカ、そんなしょーもない言葉だきゃ一丁前に覚えやがって。


「最近使われる様になった言葉ですよ。パワーハラスメントっつって、上の立場のモンがてめぇの立場を傘に着て、下のヤツに理不尽吹っかけたり苛めたりする事らしいです。社長、何言ったんスか?」

「いや、仕事のダメ出しの事以上は言ってないと思うんだけどなあ……」


 社長が自覚なくマサヤに必要以上の圧を掛ける様な事を言いやがったのか、ヤワなマサヤが被害妄想で短気起こしやがったのか……こうなっちまった以上考えるだけ無駄か。面倒くさい事になった。

 タカオはマサヤの携帯に電話しようかと3秒ほど思案したのち、やめた。このまま無理やりアイツを呼び戻したとしても、恐らく使いものにならない。

 何ならアイツの尻拭いに奔走させられて本来の仕事がままならなくなりかねない。ま、1ヶ月くらいほっといて、ほとぼりが冷めたタイミングで業務時間外に連絡してやるか。


-ピンポーン


 ドアフォンが鳴った。

 そうだ、今日はあの……ええと……達川の愛人のナントカももえとかいう女がアニメの台本を回収しに来るんだった。

 事務所に一言の挨拶もなく入って来た女はデスクをキョロキョロと見回し、開口一番「アレ……?マサヤさんは……?」と戸惑いがちに言った。


「ああ、アイツなら辞めました。」


 女の顔が将来を約束した婚約者に逃げられたかの様な愉快な表情で固まった。


   ◆


 その一週間後、タカオは打ち合わせの為の移動中にふと「俺…何やってんだ?」と気づき、そのまま熱海の温泉に行き、会社に決別のメールを送ってその後二度と出社しなかった。更にその後、未払いの給料を請求する為の内容証明をボルケーノに送って六法全書を武器にしっかりと給料をふんだくってみせた。

 権田原が親戚一同から爪弾きにされ、天涯孤独の身になった事は言うまでもない。

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