1-3 お前、今度俺がやるアニメに出ろ。

 翌週水曜日、都内の某多目的ホール。


 遠藤の緊急招集で集められた団員達は皆一様に不機嫌であった。だが、もしこれで集まりが悪かったなら遠藤は達川に「テメェ人を呼び付けといてどういうつもりだゴラァァァ!」と若い団員の前で容赦なくボコボコにされ、辱められる事になるだろう。無理矢理場所を押さえさせて、勝手に押し掛けて来たのは達川の方なのに。


「今日は…僕の古い知人の…アニメ監督さんが視察に来て下さいます…達川さんという人です……もしかすると…チャンスかもしれないので、皆さん頑張りましょう………」


 遠藤は仏頂面の劇団員達に、本来なら明るくおめでたく喜ばしい筈の事を、暗く忌まわしく晴れがましさのかけらもない口ぶりで告げた。願わくば、そんな事など永遠に起きないで欲しいと言わんばかりに。



 自ら指定した18時から小一時間ほど遅れて全身から酒の匂いを漂わせながら稽古場に現れた達川は、遅刻を詫びもせず開口一番「一人五千円でいいぞ!」と怒鳴った。

 特別講義の授業料、という事らしい。

 遠藤は困惑の視線を向けて来た団員達に「ほんとゴメン、マジすまん」と到底50才とは思えない軽薄な言葉を、当面の生活をどうしようかと思案しながら心ここに在らずの面持ちで吐いた。

 この日の為にバイト先に欠勤の連絡を入れたらそのままクビになってしまい、慌てて申し込んだ次のバイトの採用連絡が今日来る筈なのだ。本来、こんな事をしている場合ではないというのに、達川に関わった事で遠藤の人生はまたも暗澹へと堕ちてしまった。


 この日はとし子を含め男女合わせて9人の団員が居たが、うち男2人が「今月金ないんで……」と参加を辞退し、女1人が「もう付いていけません!辞めさせて貰います!」と堪忍袋の緒が切れたとばかりに退団を宣言して稽古場から出ていった。

 この時も遠藤は「俺も不本意なんだよう、ごめんよう」と不義理を愛嬌で帳消しにしようとする大人独特の不明瞭な笑みを浮かべながら沈黙する事しか出来なかった。

 とし子はというと前日にチンピラ仲間と共謀しての美人局が上手くいって懐が温かかったので、ともすれば法外にも見えるこの授業料をアッサリと支払った。いつもやる気のないとし子がこの異常な特別講義に参加の意思を示した事に、他の団員は大層驚いた。


「やる気のねえ馬鹿共に構ってるヒマはねぇ。始めるぞ、準備しろ。」


 達川は遅れて来たくせに団員達に早急に準備する様促すと、カバンから缶ビールを取り出してプルタブを開けた。驚いた団員達は遠藤の姿を探したが、当の遠藤はホール外に出て応募した新しいバイトの不採用連絡の電話を受けていて不在だった。


「ハイ、スタート」


 パイプ椅子に腕と足を組んで座った達川は有象無象の団員達の退屈極まりない芝居を缶ビールをチビチビやりながら眺め、時折眠気まなこをこすりがらフワフワした口調で口を出した。


「耳障りだなあ、お前の声。芝居以前の問題だよ。この世界は諦めろ。親を恨め。」

「分かんねえや。まあいい、次。」

「あ?お前関西人なの?うん。嫌い。以上。」

「遠藤、お前なんでこんなわけわかんねえ台本やらしてんだ?マジでセンスねえなあ、ホント」

「セリフ、噛んだよな?ハイ、終わり。死ね。」

「何?お前、歳の離れた妹がいるの?幾つ?17?後で連絡先教えろ。ブス?別にいいよ、顔見ねえでハメりゃいいんだから。」

「ええっと、もう男はいいや。全員黙れ、聞いてなかったからダメ出しのしようがねえ。」

「そこの女はもうちょっと胸の開いた服を着て来い。そんなナリじゃどこのオーディションも受かんねぇぞ。自分の持ち味、ちゃんと自覚して活かせよ。」

「いいか。現場の人間はその場の森羅万象を全て感じ取って、広い視野で物を見て指示を出してるんだ。素人のお前らにゃ無茶苦茶な事を言っている様に聞こえるだろうが、小賢しく知恵なんぞ巡らすな。黙っていう事を聞け。お前ら素人がダメ出しに質問や反論なんぞ100年早えぞ。」


 達川が口にする言葉は一流アニメ監督のそれとは思えない程にいい加減だった。当然、団員達は皆すぐに達川の素性を訝しんだ。


(こんなモン、ドコをどうしたら仕事に繋がるんだ……?)

(コイツ、本当に業界人なのか………?)

(つうか、酒臭え……こんなんで芝居なんかマトモに見られんのかよ………?)


 団員達の困惑をよそに、達川は「ハイ今日はもう終わり!」と声を上げ、本来の時間よりも20分も早く一方的にレッスンの終了を宣言した。

 ボッタクリを通り越して最早カツアゲにも等しい「特別講義」に、団員全員がこの後どうやって遠藤を吊るし上げようかと思案していると、唐突に達川がひとりの女の団員を指差して言った。


「んー………………あのさ。」


 緊張と気だるさが交錯する奇妙な沈黙が2秒ほど生まれた。


「お前、今度俺がやるアニメに出ろ。」

(!!!???)

「は、はい!ありがとうございます!頑張ります!」


 指名を受け、力強く返事をしたのは安沢とし子であった。

 とし子は特段このレッスンを熱心に受けていたわけではない。むしろ、レッスンの中盤辺りには完全に飽きていて、頬杖をつきながら無気力にぼんやりとしていた。


(つうかこのボンクラ親父、本当にアニメ監督だったのかよ!)


 まあこういったオーディションでは一見やる気の無さげな奴が無欲の勝利を掻っ攫う事が往々にしてあったりするものだ。が、団員達の顔には「幾ら何でもこれはちょっとどうかと思います!」という堪え難い困惑と、突然の幸運に見舞われた無気力ビッチへの憎悪が浮かんでいる。


 当然、祝福の笑顔を浮かべている奴など1人もいない。そもそもここの団員の中に、他の団員の事を仲間だなどと考えている奴などこれまた1人もいない。


 誰かにヨソの大きな劇団での客演の話が来たなら。

 誰かにドラマやCMへの出演がオーディションの話が来たなら。

 誰かが何処ぞの芸能事務所への所属を決めたなら。

 これらは立派な敵視と排斥の理由になるのである。


 だが、団員共の嫉妬と憎悪に塗れた視線が総身に突き刺さる感触にとし子は震え、性的興奮さえ覚えて少し濡れた。


 ざまあみろ。

 お前らは延々と公民館だの市民ホールだので金にもならないお遊戯会に興じてろ。

 私は陽の当たる世界に行くんだ。

 キモくて臭くてしょうもないオタクに応援されるのはゾッとしないが、未来永劫誰からも応援される事のないお前らの人生と比べりゃナンボかマシだ。


   ◆


 達川レッスンからの帰り道、6人の団員達はとし子1人とそれ以外の5人にバッサリ分かれた。5人はとし子から一定の距離を保ち、各々思い思いの顔で突然スターダムへの切符を手に入れたとし子を呪わしく睨め付けている。


 負け犬共のせめてもの抵抗は何とも卑小で滑稽であった。

 とし子は5匹の負け犬共の足元にニヤつきながら唾を吐き掛け、背を向けて颯爽と歩き出した。5つの怨嗟に塗れた顔に一瞬怯えが混じる。


 アイツらは今後も東京の片田舎のそのまた片隅の底辺を這いずりながら、老人ホームのジジババや奇声を上げて走り回りろくに話なんぞ聞きやしないクソガキの相手をして一生を終える選択をしたのだ。勝手にしろ。

 とし子は背後に居る、雑音を垂れ流すだけのしょーもない肉の塊どもを記憶の中から消去した。今後金輪際関わる事のない、無価値な存在として。


「死ねーっ!クソボケーっ!」


 負け犬の内の一人のありふれた捨て台詞が、夏の夜べに空寒くこだました。

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