40、咲耶家②

 長い廊下の印象に違わず、居間も相当広かった。ストーブがついているが、かなり冷え込んでいる。ぶるぶるっと震えながら、周囲を見渡す。

「左側の正面に、コノハナサクヤビメを祀っている神棚があるんだ。居間は特に守りの力が強いから、気をつけてね。例えば手前の角とか、盛り塩をしてるから」

 千穂は入口の横に置かれた青い器を指し示す。確かにそこには、白い粉がきれいな三角錐の形に盛られていた。反対側も同じように、盛り塩が置かれている。僕はそれらを引っかけないように気を付けながら、手を引かれるがまま彼女の後をついていく。

「ほら、ここ」

 入って左奥に、ひときわ目立つ棚があった。他の柱が黒ずんでいるのに対し、目の前の木の板は白っぽく新しいものだと感じさせる。周囲にはびっしりとお札が張られ、板の上には榊らしき枝葉と、立派なお札が立てかけてある。お札の全文は読めないが、“木花之佐久夜毘売”と記されている部分だけは把握することができた。

「イワナガヒメさん。ここに、コノハナサクヤビメがいるんでしょうか」

 小声で問いかけると、即座に脳裏に声が響く。

『いや、おらぬ。近くにいる気配はするが、此方ではない。しかしついさっきまでおったのかもしれぬな。濃厚な気が残っておる』

「そう、ですか」

「健太くん?」

 首を傾げる千穂に、イワナガヒメに言われたことを告げると、彼女はうーんと唸る。

「直近で違う場所に移動したってことなのかな? だったら離れのほうかも。離れにも、コノハナサクヤビメが祀られている区画があるんだ。そっちに行ってみようか。話をするなら、コノハナサクヤビメもいるところでした方がいいだろうし」

 千穂はそういって、ぐるりと部屋を見渡す。僕もつられて首を一周させた。先ほど見たときは神棚の周りだけお札で埋め尽くされているように感じられたが、よくよく見るとお札はあちこちに貼られている。それだけ、守りの呪いが強い部屋なのだろうか。意識すると、家に入ってから感じていた水圧のような圧迫感が強くなるような気がした。しかし、コノハナサクヤビメ本人がいないせいか、耐えられないほどの圧ではない。


「イワナガヒメは、わたしたちの暮らしと、家を見てどう思うかな?」

 問いかける千穂に対し、イワナガヒメが僕の口を使って答える。

「望月健太と行動を共にして、普通の若い人間の生活を理解した。それと比べると、何と不自由の多い暮らしぶりであることよ。調度品の数々も古く、強力な守りの結界を貼らねば生活もままならぬ。これが我のかけている呪いによるものだと、そなたは言いたいのか?」

「率直に言えばそうです。わたしたちは望んで、コノハナサクヤビメの子孫として生きているわけではありません。先ほどのあなたの言い方だと、家の中にコノハナサクヤビメがいるようですが、わたしたちが進んで呼んだわけじゃないんです。和解した暁には、わが家、咲耶家にかけられた呪いはすべて解いてください。コノハナサクヤビメがいることが不快ならば、出て行ってもらうようにお願いしますから」

「ほう、サクヤの子孫自ら、サクヤを追い払うというのか。興味深いことを申すのう」

 イワナガヒメの声には、面白がるような響きがあった。

「人間の身体を借りている以上、他の人間の心を読むことは叶わぬが、それでも我にはわかる。そなたは、サクヤを追い払おうとは考えておらん」

「……っ」

 返答に窮した千穂と正面から向き合い、イワナガヒメは薄く微笑む。

「まあよい。サクヤがいるという離れとやらに早う案内せよ。そこに行けば、そなたの目的も詳らかになるじゃろうとて」

「わかりました」

 イワナガヒメが口を閉じると同時に、再び身体の支配権が僕へと戻った。先ほどの言葉を受けてなのか、千穂が手を握る力が心なしか強くなっている。少し、痛いくらいだ。女の子でもこんなに強い力が出せるのだろうか。異性と手をつないだ経験が幼少期しかない僕にはわからない。でも彼女が緊張しているのはわかる。それがほぐれることを願って、僕は一瞬強く握り返して、その後緩めた。千穂ははっとした顔で僕を見る。


「コノハナサクヤビメに対する千穂の考えはわからないけれど、僕は最後まで千穂に付き合うよ。一緒に来たイワナガヒメも、きっと同じ気持ちだ。安心して」

「健太くんは、お人好しすぎるよ……」

 千穂はわずかに顔をそむけて、呟く。しかし気を取り直したのか、きりりとした表情で前を向く。

「先にイワナガヒメの意見を聞けてよかった。じゃあ、離れに案内するね。またちょっと長い廊下を歩くけど、しっかりついてきてね」

「うん」

 手を繋いでいるのではぐれようがないのだが、彼女に少しでもリラックスしてもらえるように、僕ははっきりと頷いた。


 ・・・


 離れはかなり遠かった。五分以上は細い板張りの道を歩いたと思う。あるいは無言になってしまった千穂に話しかけづらくて、必死に声をかける内容を考えていたから長く感じたのかもしれない。いずれにせよ、庭が見える渡り廊下を通った先に、小ぶりな建物があった。


 僕が住んでいる一人暮らし用の部屋くらいの広さだ。中央には少し出っ張りのある、六十センチ四方くらいの大きさの正方形の板がはめ込まれている。千穂は僕と手をつないだまま、出っ張りを引き上げた。ぱっくりと、黒い空間が口をあける。千穂は板が繋がっている側の面を指差して、僕のほうを振り向いた。

「この床下に、コノハナサクヤビメがいるかもしれないの。縄梯子で降りるしかないから一瞬、手を離すけれど大丈夫かな。一応、離れの呪いは母屋のものより軽いはずだから、平気だと思うのだけれど。きつかったら言ってね」

 彼女はそういってゆっくり手を離す。触れていた手が離れた瞬間、玄関と同じく胸を強く押されたような圧迫感があったが、落ち着いて何度か深呼吸をするとそれも弱まってきた。彼女の言う通り、母屋よりは守りの呪いの力が弱い。これなら何とかなりそうだ。


 千穂が手で示した先をよく見ると、確かに親指くらいの太さの縄梯子が括りつけられていた。僕は彼女に促されるまま、梯子をゆっくりと降りていく。

 十五歩ほどで、地面に足がつく感覚があった。両足を慎重におろして周囲を見渡す。上からのぞき込んだときには真っ暗に見えたが、だんだん目が慣れてくると薄暗い中に一つ、灯籠のような明かりがともされていることに気づく。明かりのほうに近づいていくと、白いベッドが一台ぼんやりと浮かびあがっていた。そしてその上には、この世のものとは思えない美しい女性が腰かけている。薄暗いけれどもわかる。彼女の容姿は、千穂にそっくりだ。


 千穂は降りてきていないのかと思い振り返ると、縄梯子がするすると上に巻き取られていくところだった。急ぎ梯子があったところまで戻り、出口を見ると千穂もまた、こちらを覗き込んでいる。彼女は今まで見たことのないくらい、深い笑みを浮かべていた。

「美穂のこと、気に入ってくれた? わたしの顔が好きなら、きっと気に入るよね。これでようやく、悲願が達成される」

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