38、一体化②

 千穂と約束した土曜日が来るまでは、一日が異様に長く感じられた。僕たちの身体の準備はできているのだ。一刻も早く彼女のもとを訪れたい気持ちはやまやまだったが、指定してきた日時をずらすことはできない。なにぶん手紙でのやりとりとなると、往復するだけで二日はかかる。無理に日時変更のやりとりをするよりかは、先に定められた日程に従う方が結果的に早いのだ。そう自分に言い聞かせて、授業に少しでも集中するよう努める。


 土曜日は朝四時に目が覚めた。正確にいえば、よく眠れなかった。僕のコンディションが良い状態で行かなければならないのはわかっているが、高校生の時から考えていたアイデアがいよいよ実現の段階に来たとなると、眠れるものも眠れなくなる。

 千穂からの便りを読んだ時点で、堀井先輩と巧真には土曜日のことを伝えてある。二人からは健闘を祈る旨と、結果報告を待っているという連絡を貰った。今まで支えてきてくれた彼らのためにも、何かしらの成果を出さなければならない。


 いつものように山の入り口で鞄に鈴を取り付け、左ポケットを確認する。もはやイワナガヒメとの対話にお守りは不要とはいえ、咲耶家の守りの呪いの中ではどうなるかわからないので、一応持ってきたのだ。ひとつ、深呼吸をしてから一歩山へと踏み込む。

 少しだけくらっとしたが、一瞬のことですぐに体勢を立て直した。頭痛やめまいが来ることがないのを確かめて、ゆっくり一歩ずつ登っていく。前回来た時のように、上に行くたびに気持ち悪くなるということもなかった。

「いまは、我が身体のほとんどをコントロールしておる。苦痛ではないか?」

 僕の口から、僕のものではない言葉が出てくる。声自体は僕のままだから変な感じだが、いつものように脳内に意識を集中させて答える。

『問題ありません。以前来たときと違って、吐き気を催すようなことはなさそうです』

「ふむ。サクヤの子孫が手紙で書いていた通り、家のほうの結界も多少はゆるめてあるようだの。待ち合わせ場所まではこのまま向かおうぞ。合流時にいったん口元の支配を解く。先にそなたが話せる状態にしたほうが、やりとりもしやすいだろう」

『はい。そうしてもらえると、ありがたいです』

「承知した」

 イワナガヒメが口を閉じると同時に、僕は少し速足になる。一応、足の支配権は僕にあるはずだが、先を急いでいるのが僕の意志なのか、あるいはイワナガヒメの思いなのかは判断しかねる。どちらにせよ結果は同じだ。多少息があがるのも構わずに、なるべく速度を上げて山を登っていく。


 千穂は、小屋の入口で待ってくれていた。僕の姿をみるなり、わずかに眉をあげた気がしたがすぐ元の表情に戻る。

「健太くん、久しぶり」

「千穂、久しぶり。イワナガヒメ、ちゃんと連れてきたよ」

 僕がちらりと振り返ると――別に背後霊ではないので、後ろにいるわけではないのだが――彼女がくすりと笑った。

「うん。だから、今回は体調大丈夫なんだよね。気持ち悪かったり、眩暈がしたりはしてなさそうだね」

「問題ないよ。今すぐにでも、イワナガヒメと会話できるけど……ちょっと、代わってみる?」

 そういうなり、口が不自然に閉ざされた。千穂の返事を待たずして、イワナガヒメは喋る気満々らしい。

「そなたがサクヤの子孫か。千穂と言ったな。我は人間にイワナガヒメと呼ばれておる」

「本当に、健太くんの中にいるんだね……はい。わたしが咲耶 千穂です。イワナガヒメには、わたしたちがどんな暮らしをしているのか、見ていただきたいと思っています。その上で、あなたがかけている攻撃の呪いを解除いただけるか、教えてください」

 呪いをかけられている側にもかかわらず、千穂は低姿勢だ。僕の首が勝手に頷く体勢をとる。

「よかろう。我は頑丈だが、ある程度呪いはゆるめてもらわぬと困るぞ。望月健太の身体がもたなくなったらそなたとの対話もままならなくなるからの」

「はい。その点は準備しております。手紙にも書きましたが、わたしと一緒にいるかぎり、守りの呪いが発動しないように効果を制限しています。ただし一部の区画だけなので、イワナガヒメと健太くんは、わたしの後ろを離れないようについてきてください。はぐれたときの安全は、保障しかねます」

「よくわかった。サクヤの子孫らに呪いをかけている張本人ゆえに、強く警戒されるのもやむを得ないだろう。今後の会話は望月健太に委ねる。また我に用があれば声をかけてくれ。すぐに交代するようにするからの」

「わかりました。今日はよろしくお願いします」

 千穂が丁寧にお辞儀をするのと同時に、口元の感覚が戻ってきた。僕の口を借りてイワナガヒメがこれだけ長く喋るのは初めてなので、違和感が残り口先をもにょもにょと動かしてしまう。しかし千穂が再び顔をあげる頃には、何とか元の表情を取り繕うことに成功した。

「健太くん、に戻ったのかな」

「うん。その気になればイワナガヒメはさっきみたいに、すぐに千穂に話しかけると思うけれど。いまの入れ替わりで、特に気分が悪くなったとかは無いから大丈夫」

「そっか。じゃあさっそく行こうか」

 くるりと背を向けた千穂の後を、僕は急いでついていく。


「健太くん、ちょっとおしゃべりになった?」

 千穂の三歩ほど後ろを進んでいると、彼女が振り返らずに質問を投げかけてくる。

「そう、かな」

「うん。自分の思っていることを、ちゃんと話してくれるようになったって感じるよ」

 そう言われて初めて、自分の言動を省みる。巧真にも同じ指摘をされたことを思いだす。確かに、いつもより僕のほうが熱心に喋っていたかもしれない。

「イワナガヒメさんと、毎日のように対話していたからかも。なるべくイワナガヒメさんの意向に従って動くのが、一体化には必要だと考えていたから。神さまだからか、僕の思考は筒抜けなんだ。だから、隠し事はできないし、僕は必要な言葉を必要なだけぶつけることができる。これを言ったら嫌われるかもしれないとか、怒らせるかもしれないとか考えている余裕もなかったし」

「ほら、いまも。前の健太くんだったら、“~かもしれない”で終わらせてたよ。理由まで考えて、教えてくれることはなかった。何だか明るくなった感じがする。少なくともわたしは、いいことだと思うよ」

「ありがとう」

 僕がイワナガヒメの影響で変わったのは見た目だけだと思っていた。でも、そんなプラスの変化もあったのだと知り、嬉しくなる。しかもそれを誉めてくれたのが他でもない千穂だというのが僕の心を躍らせる。彼女に認められることが一番嬉しい。今だって、千穂のためにここまで足を運んでいるのだ。

「想定外だけど、彼女のためにはいいのかもね」

「え、なに?」

「なんでもない」


 少し足取りを緩めた千穂は、ゆっくりと振り返る。

「もうすぐ家に入るけど、くれぐれも離れないようにね。イワナガヒメさんも、心づもりはいいですか」

「う ああ」

 僕が返事をしようとしたタイミングで、イワナガヒメが僕の口を借りて答える。それでも僕たちの意図はきちんと千穂に伝わったらしい。

「大丈夫みたいだね。じゃあ行こうか、わたしたちの家に」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る