34、より醜く、より強く②
「よう健太、久しぶり」
インターホン越しに、懐かしい声が響く。何故急にといぶかしみつつも、応答するための言葉を選ぶ。
「巧真。どうしたの、いきなり」
「出かけた帰りに近く通ったからさ。健太元気かなと思って様子見に来たぜ。突然だけど家あがっても大丈夫か?」
巧真の提案に、僕は後ろを振り返る。乱雑に積まれた着替えに何か月も洗っていないタオル類、悪臭ただようキッチン。到底、他人を招ける状態ではない。
「知っていると思うけど、僕はいまイワナガヒメと一体化するために、生活スタイルをイワナガヒメに合わせてる。だから正直、他の人が見たら嫌な気分になる部屋だと思うよ。それでもよければ」
「まあ、野次馬根性? みたいな意味合いでの様子見もあるから。ちょっと覗いてみたい」
ならば、と玄関先の扉を開ける。やや暗い茶髪に染めたらしい巧真は、やんちゃそうな雰囲気こそ増したが好奇心旺盛な瞳など各部のパーツは、高校時代とあまり変わっていなかった。右手をあげて挨拶してくるが、僕が近づくなり顔をしかめる。
「イワナガヒメに指示されてから、洗濯してないって言ってたのマジなのか……服を洗わないと人ってこんなに臭うのか?」
「お風呂にもしばらく入っていないから。においについては自分じゃもう、よくわからないけどね。ただ大学行っても近くの席の人は離れていくから、やっぱりけっこう強烈なの?」
「そりゃそうだろうよ……この分だと部屋の中も相当やばそうだな。一旦、公園とかに出て話さないか? さすがに奥まで入るのは勇気がいる」
彼の提案に、僕は首を横に振る。
「イワナガヒメと約束したんだ。浄化を想起させる場所にはなるべく近寄らないって。公園はその最たる例だよ。空気が循環するし、水辺があったり草木が生えていたりする。今そういうところに行ったら、せっかくいままで整えてきたことが無駄になるかもしれない。だから家に入るか、それが嫌だったらチャットで話そう。うちまで来てもらって申し訳ないけど」
きっぱりと言い切ると、巧真は僕をまじまじと見つめる。
「健太、お前はっきりものをいうようになったな。一人暮らしを始めたからなのか、イワナガヒメの影響なのかはわからないが……わかったよ。だったらお邪魔させてもらおうかな。ここまで来て帰るっていうのも、元オカルト研究会としてはどうかと思うし」
ためらいなく靴を脱ぐ巧真を追い返すのを諦めて、僕は部屋の奥へと引っ込んだ。とはいえトイレと風呂場の二部屋に挟まれた廊下を抜ければ、その先はキッチン・居住スペース・寝室が一部屋にまとまった空間があるだけだ。
もてなしができる環境でもないので、僕はベッドに腰かけて巧真には椅子をすすめる。座り心地的にはベッドのほうがよいのだろうが、引っ越してから一回も洗っていないシーツの上に客人を座らせるのはさすがに気が引けた。素直に着席した巧真は、また顔をしかめている。
「部屋もひどいにおいだな……換気とかしてないのか?」
「火を使う時は、火事が怖いから一応換気扇を入れるけど。窓を開けはしないかな。洗濯も不要だから、外に干すこともないし」
「控え目にいっても、人間が住んでいい環境じゃないぞ、これ……お前がこんな生活をしていること、俺たち以外は」
「知らない。お父さんお母さんにも伝えてないし、大学に友だちもいないし。みんな僕が近づくと離れていくし、僕自身、友だちを作る必要性を感じてないから」
現状を淡々と告げると、巧真は顔をしかめたまま、身を乗り出した。
「なあ健太。お前、このままでいいのか? 少なくとも自分は、良くないと思うぞ。だって健太は、咲耶家の人々が普通の人と同じような暮らしができるようになることを目標にしているんだろう? 発案者のお前が、普通じゃない暮らしをしてるのはどうなんだよ」
「でも、こうすることが千穂のためになるって信じてるから、いままでやってきたんだ。いまさら目標を変えることも、やり方を変えることもできない」
「健太の考えは立派だけど、自分の生活をここまで犠牲にしてまでやらなきゃいけないことなのか? あるいは、咲耶家の人が望んだことなのか?」
「うん。千穂も、イワナガヒメと一体化することを提案してくれている。そうすれば、咲耶家の守りの呪いに冒されることなく、母屋まで辿りつくことができるだろうって。家まで行ければ、イワナガヒメと千穂が対話することができる」
僕の答えに迷いはない。今の僕は千穂を救うためだけに在る。助けるためには、イワナガヒメとの一体化が不可欠だと千穂がいうのなら、それに従うまでだ。
「自分にはそれは、咲耶家の人が健太を都合よく使おうとしているようにしか聞こえないんだがな」
「いいんだよ。それでも。千穂のことを助けられるなら、その過程で僕はどうなっても構わない。あと、堀井先輩との約束もある。守りの呪いの解除のためにも、イワナガヒメと千穂に話し合ってもらうことは必要なんだ。だから、僕は自分がしていることにためらいはないよ」
「そうはいってもな……」
巧真は言葉に詰まった様子で、僕の部屋を見渡す。着古した服が適当に積まれていたり、台所に生ごみを捨てずに置いてあったり、見ていて面白いものではないだろうが、一通り視線を巡らせた彼は唸った。
「健太一人が、咲耶家のことについて一切の責任を負ってるのがおかしいと思うんだよ、自分は。いくらイワナガヒメが憑いているのが健太だからって、日本にいたら普通に享受できるような人間的な生活とか、大学での人間関係とか、そういうの全部犠牲にしてまでやらなきゃいけないことなのかよ。あくまで咲耶家っていういち家族、それも赤の他人の家のことだろう? そいつらの中で解決してもらうことはできないのかよ?」
「難しいよ。今までも話したでしょ? 咲耶家は自分たちがかけた守りの呪いが届く範囲内でしか動けないって。別の県にある神社にいたイワナガヒメと対話することなんて不可能だった。でも、僕にイワナガヒメが憑依したことで、会話ができそうになってきている。だから僕は千穂のために、彼女のところまでイワナガヒメを連れていく義務があるんだ」
「でもなぁ」
なおも納得いかない様子の巧真に、僕はかけるべき言葉を探す。彼が心配してくれていることはわかるし、もしお父さんお母さんが僕の現状を知ったら、同じように心配するのだろう。でも、これはどうしても成し遂げなければならないことなのだ。
「巧真。心配してくれるのは嬉しいけど、僕がやりたくてやってるんだ。だから巧真が気にすることは何もないよ。それにこの件は、僕一人が抱え込んでるわけじゃない。巧真も堀井先輩も、いつもチャットで相談に乗ってくれて助かってるし。でも、今後うちに直接来ることはおすすめしないかな。僕はイワナガヒメが憑いているから平気だけど、普通の人なら空気が悪くて体調を悪くするかもしれない」
言いたいことを言い切ると、巧真は難しい顔をして黙り込んだ。
「健太、やっぱり変わったな」
しばらく間を置いてから、巧真はぽつりとつぶやく。
「言葉に迷いがなくなった。ってことは、今やろうとしていることに自信があるんだろう。お前がそうしたいっていうなら止めないけどよ。自分はこのやり方にはあんまり賛成してないってことは理解してほしい。他の家を助けたいって思う気持ちは尊いかもしれないが、己の生活を犠牲にしてまでするべきじゃないっていうのが自分の考えだからな」
「うん。ありがとう」
「別に感謝されるようなことは言ってない」
巧真はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かっていく。僕もベッドから離れてその後を追った。
「いきなり来て悪かったな。自分も差し入れとか持ってくればよかったけど。でもこれからはこういうことはしないと思うから。引き続き、チャットでは相談に乗るぞ。堀井先輩に聞かれたくないことなら、個人チャットにでも投げてもらえれば。自分はそんなに頭がよくないから、堀井先輩ほどスマートな回答はできないかもしれないけど、話を聞いてやることはできる」
「うん。そうさせてもらうね」
おそらく巧真個人を頼ることはないだろうと思いながらも、彼の思いには感謝して頷く。巧真は右手をあげて部屋を出ていく。
「じゃあな。イワナガヒメが憑いてるからって、油断するなよ。あくまで身体はお前自身のものなんだから、大事にしろよ」
「わかってる」
一度も振り向かずに帰路につく巧真の背中を、僕は見えなくなるまで見送っていた。
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