第4章 大学生篇――花萎む家

33、より醜く、より強く①

 健太くん、お元気ですか。


 一か月ぶりに届いた千穂の手紙は、そんな書き出しから始まっていた。

 高校生の夏休み。イワナガヒメに取りつかれてから三年が経過した。大学生になった僕はまだ、千穂と直接顔を合わせることができないでいる。あと一年……千穂が二十歳になったら、急激な老化が始まってしまうはずだ。それまでに、なんとかしてイワナガヒメと彼女に対話してもらう体制を整えなければならない。


 そもそも、対話することがゴールではない。対話の末に、イワナガヒメが攻撃する呪いを解除して、それに伴い咲耶家が守りの呪いを解いて、更に短命の宿命から千穂を開放することが僕の目的だ。だから、大きな進捗が無かった三年間に、焦りを募らせている。

 とはいえ、僕にできることはイワナガヒメと話をすることと、聞いたことがらを千穂に伝えることだけだ。やりとりの内容によっては、旧オカルト研究会の二人にも共有して、相談するようにしている。僕より頭が回る堀井先輩と、思ったことをすぐ口にする巧真のコンビによる回答は、いつも思いがけない発見をもたらしてくれる。別々の大学に進学した彼らの助けを借りて、なんとか研究を進めている次第だ。

 別のところに持っていかれた意識を手紙に戻して、背もたれのない椅子に腰かける。大学生から一人暮らしを始めた僕は、イワナガヒメの指示に従いなるべく質素で、長持ちしそうな家具を選んで揃えた。家具付きの家も考えたけれど、イワナガヒメ曰く備え付けのの家具は小綺麗すぎていけないそうだ。結果的に椅子も座り心地が悪い品を選んだが、やむを得ない。どうにか集中するように努めながら、便箋に綺麗な字で横書きされた内容を確認する。


 健太くんの説得のおかげで、イワナガヒメのコノハナサクヤビメに対する恨みはだいぶ鎮まってきたと聞き、嬉しく思います。イワナガヒメを送り返したニニギノミコトの子孫への怒りは相変わらず強いとのことですが、それはやむを得ないですね。わたしだって政略結婚で嫁がされた先で、お前は要らないと実家に帰されたら腹が立つし、悲しくなるでしょうから。


 千穂の美貌と性格で実家に返却されることはまずないだろうと思いながら、手紙の続きに視線を進める。


 コノハナサクヤビメに対する妬ましさは無くならない。けれど、子孫までを強く呪うのには疲れてきた、もうそろそろ潮時かもしれないという言葉に少しほっとしました。神さま同士の呪い・呪われる関係に対して人間ができることは自衛だけですが、その必要性が薄まるのは喜ばしいことです。わたしが本当に解きたい呪いは短命の定めですが、それ以外の呪いのせいで外を出歩けないことも不便なことだと、健太くんと話すことで強く感じるようになりました。イワナガヒメと対話することで、家の呪いが解除できて、わたしも自由に出かけられるようになるならば、とても嬉しいです。


 便箋は二枚目に入った。僕は丁寧に紙をめくりながらも、先を急ぐ。


 でも、イワナガヒメノミコトはわたしと直接対話しない限り、呪いの解除はできないとも言っているのですよね。であれば、やはり健太くんには会話ができる状態でわたしのいるところまで来てもらう必要があります。山の下にいけば体調的には大丈夫かもしれませんが、あまり人に聞かれる可能性がある場所でしたい話ではありませんからね。やはり、少なくとも小屋までは来てもらいたいですし、個人的には家の中までお招きしたいと思っています。

 イワナガヒメに、コノハナサクヤビメの子孫がどんな生活をして、それが現代の普通の人間たちからいかにかけ離れているのかを見てもらいたい。なので、健太くんにはどうしても、家の呪いに耐えてもらわなければなりません。

 健太くんとイワナガヒメを家にあげる間だけ、通り道の呪いを解除・ないし緩めることができないかお父さんに確認してみますね。それができたら、健太くんの体調も前回来てくれたときほどは悪化しないはずです。

 以前健太くんの体調が悪化した日、イワナガヒメは大きなダメージを受けていなかったと言っていましたよね。であれば、健太くんとイワナガヒメがより一体化して、身体のコントロールをイワナガヒメに任せる状態にすれば、多少の呪いを受けても大丈夫でいられるかもしれません。もちろん、その間も健太くんの意志が存在し続けられるように、なんとか折り合いをつける方法を見つけなければならないのですが。

 わたしは呪いの解除・緩和の件、お父さんに確かめてみます。健太くんはイワナガヒメとより一層の一体化ができるか、試してみてくれると嬉しいです。お返事待ってますね。


 千穂からの手紙はそれで終わっていた。小さい机に便箋を置き、僕はベッドに横になる。左ポケットに手を入れればいつでも、お守りを通じてイワナガヒメと会話ができるが、まずは情報を整理したかった。

 イワナガヒメは呪いを解除するには、千穂との対話が絶対条件だと言っている。他方で千穂も、イワナガヒメには一度自分たちの暮らしを見てもらいたいと考えている。となればイワナガヒメを宿す僕が咲耶家に行って、神さまの言葉を代弁するのは必須だ。その際ネックになるのが、咲耶家の周囲に張られた数々の“守りの呪い”。「イワナガヒメを宿している人間」が近づくことで発動し、僕の体調を悪化させたものだ。

 それに対して千穂は二つの解決策を提示してきた。ひとつは守りの呪い自体を解除・ないし緩和させて僕が通っても体調が悪くならないようにするという方法。しかし、代々“守りの呪い”を使って自分たちの身を守ってきた咲耶家だ。しかも呪いを解除して受け入れようとしている相手は、呪いをかけてきた張本人(神)だ。千穂はお父さんに相談するといっていたけれど、要望が通るとは限らない。

 もうひとつは僕に憑りつくイワナガヒメの憑依の度合いを高くして、イワナガヒメ自身に身体のコントロールを委ねる方法。どこまでできるのかはわからないが、僕は鈴から出てきた黒いもやに身体を支配されたときのことを思いだしていた。あのときのように、僕であって僕でない身体になれば、千穂の言う通り体調不良は起こさずに済むかもしれない。そもそもイワナガヒメが僕の口を借りて喋ることができるのであれば、代弁者としての僕の存在は不要になる。イワナガヒメと千穂が対話するという目的を果たすのには、それでも十分なのだ。

 そこまで頭を整理してから、左手のポケットに手を入れる。

『手紙を読んでおったのか。内容は把握したぞ』

『僕の考えは筒抜けですか』

『そなたは、文字を頭の中で声に出して読むくせがあるだろう。そなたが思考した事柄は、我には手に取るようにわかる。それにしてもサクヤの子孫は、面白いことを考えるの』

 僕の脳裏でイワナガヒメが愉快そうに笑う気配がする。醜い老婆が低い声で笑うイメージは、少々不気味だが段々慣れてきた。

『では、僕とイワナガヒメさんがより一体化して、身体のコントロールをお任せする、というのは可能なのでしょうか?』

 手紙の内容を知っているなら話は早い。一番気になっていたことをストレートに尋ねると、イワナガヒメは笑いを止めた。

『いままで人に憑依したことは何度かあるがの。いずれも我の要求を飲まぬ輩ばかりで、我から先に別れを告げたわ。そなたは長く持っているほうだが、まだ足りぬ。我がそなたの身体を支配するには、まだもっと、清らかさを排除しなければならぬ』

『どうすれば、いいんですか』

『そなた、風呂に入るなという指示を守っておらぬだろう。今後一切、身体を水で清めてはならぬ。浄化はサクヤの領分じゃ。我とは相反するもの。あとは、身の着を新たに仕入れてはならん。新居を構えたときにはやむを得ぬと思い、口出しはしておらなんだが今後一切、身の着を洗うでない。我が見出す美はこの場に在り続ける強さに見出される。決して、浄化によって見いだされるのではない』

『……わかり、ました』

『ならよい。我の指示に従うか否か、見届けさせてもらうぞ。もし身体の支配力に干渉することができれば、御守に頼らずとも意思疎通ができるようになるじゃとて』

『はい』

 ベッドの上で目を開けて、左手をポケットから出した。今までもイワナガヒメの好みに合わせて生活スタイルを変えてきていたが、まだ足りないということだろう。人として少々ためらいの気持ちがないわけではないが、全ては千穂のためだ。イワナガヒメと千穂との対話を成功させることさえできれば、この関係も終わる。それまでは、どんなに不快に感じられることだってやってのける。

 僕は覚悟を決めて、ベッドから起き上がった。まずはクリーニングに出す予定でまとめていた衣類を取り出して、また着るように戻しておかなければならない。

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