29、イワナガヒメの住処③
『お主、なぜサクヤの鈴を持っておるのだ』
目をつむり、手を合わせて祈っていると、突然脳裏にしわがれた老婆のような声がした。僕は目を開けたい衝動に駆られながら、頭の中で声を紡いだ。
『僕は、咲耶家の子と約束したんです。短命の呪いを解いて、普通の人と同じように生活できるようにするように手伝うって』
『サクヤの子孫も難儀なことよ。かようなことを赤の他人に頼むとは』
『あの、あなたはイワナガヒメですよね。もし、短命の呪いを解く方法をご存じだったら、教えて欲しいのです。僕は、そのためにここまで来ました』
堀井先輩が望んでいるのは“攻撃する呪い”の解除だが、僕の願いは最初から短命の呪いからの解放が第一優先だ。今は声を出して喋っているわけではないから、先輩にはわからないだろう。申し訳ない気持ちは少しあるけれど、先ずは僕の願いを優先させてもらう。
『いかにも。
『そんな……でも、ニニギノミコトに二人とも嫁いでいたなら、ニニギノミコトの子孫は長命になったんですよね? だったら、長命になる鍵はあなたが握っているんじゃないですか?』
『あの男の名を口にするな!』
僕の周囲を突風が吹き抜ける感覚があった。バランスを崩さないように膝を曲げて耐えてから、屈せずに言葉を続ける。
『方法はわかりませんが、僕は咲耶家の子とイワナガヒメが交流するようになれば、短命の呪いは解除できるのではないかと思っています。咲耶家の女性たちは、他の人間と比べても寿命が短い。きっと人並みに生きられるすべがあるのではないかと考えるのです』
『もう一度いうが、サクヤの短命の定めを捻じ曲げられる力は我にはない。しかしそなたの望みは、我とサクヤの子孫が交流することなのだな?』
『はい。今まで、コノハナサクヤビメの子孫とあなたは友好的な交流をしてこなかった。でも、その原因をつくった出来事は遠い昔のことで、悪いのはあなたたち姉妹ではありません。今回、咲耶家の子と仲良くさせてもらっている僕が挨拶に来たのに免じて、一度咲耶家の人と会ってもらうことはできないでしょうか』
僕の耳元で、深いため息が聞こえた。イワナガヒメの声は脳に直接響くのに、吐く息は耳元で感じられるのが不思議である。ただ風が吹いて、それを吐息だと錯覚しているのかもしれないが。
『我にとってあの日の屈辱は遠い昔のことではない。我が容姿を理由に付き返してきた例の男に対する恨みは消えぬ。そなたの言う通り、サクヤが悪いわけではないかもしれない。じゃが、同じ性をもつものとして、サクヤに対して平然といられるほど、我は穏やかな性分ではないぞ』
『確かに、身内同士で比較されていい気分がしないというのは、わかるような気がします』
神さまの考えを人間に置き換えるのは失礼かもしれないが、イワナガヒメの言い分は理解できる気がした。僕は一人っ子だけど、仮に兄弟がいたとして、千穂が僕よりも兄ないし弟とばかり仲良くしていたら、彼に対して不快な気持ちを抱いていただろう。それでも、と僕は続ける言葉を選んだ。
『それでも、千穂はコノハナサクヤビメの子孫ではあるかもしれませんが、サクヤビメそのものではありません。考え方も、あなたへの接し方も違うと思います。まずは、一度話してみませんか? もしかすると、あなた自身、つらい思いが少し解消されるかもしれません。他者を恨み続けるのは、しんどいことですから』
再び、耳元で大きなため息が聞こえる。周囲の木が風に揺れて、がさがさと音を立てるのを感じた。
『そなたは、生粋のお人好しよの。サクヤの子孫のみならず、我の心情までもを察するか。サクヤの子孫が心を開くのもわかる気がするぞ』
『お人好し、ではないと思います。僕は、大切な人を助けたいと願うだけです』
『それを、お人好しと人間らは呼ぶのだろう。……そなた、今より醜くなっても、我と共にサクヤの子孫と対面する勇気はあるか?』
突然の問いに、僕は少しだけ考える。今より醜くなる、の意味が分からないが、イワナガヒメと千穂が対面する場に居合わせてよいというならば、それ以上の望みはない。
『もちろん、あります』
『ならば、我も決めた。どのみち永い我が命、社に留まるばかりではつまらぬからの。そなたの望みとやら、叶えてやってもよいぞ』
『ありがとうございます』
『ただし』
イワナガヒメの声が大きく、野太く脳裏に響いた。
『我は社の外では何かと不自由する。そなたと共にサクヤの子孫と会うのであれば、そなたの身体を借りるのが最も手っ取り早い。思考や言動の自由までは奪わぬが、多少そなたの容姿や意識に変化が生じることもあろう。それでも、そなたは我の要求を飲むか?』
『はい』
僕は迷わず頷いた。僕の身体がどうなってもいい。とにかく、イワナガヒメと千穂に対話してもらう。それがまず第一に必要なことなのだ。イワナガヒメがすぐ乗り気になってくれるとは思わなかったが、望むところである。
『覚悟は固いようじゃな。では、言霊を借り受ける。そなたの名はなんという?』
『望月 健太です』
『生粋のお人好し、望月健太よ。今日からそなたは我が血肉じゃ』
イワナガヒメの言葉と共に、強い渦状の風が僕を包んだ。僕の身体はぐるぐる回り、そのまま宙に浮きあがってしまいそうなくらいの力で押し上げられる。目を閉じてはいるが脳がぐらぐら揺れる感覚があり、全身がふらつく。
「望月くん! 大丈夫かい?」
「健太! しっかりしろ!」
薄目を開けると、横に並んでいたはずの堀井先輩と巧真が傍まで来て、心配そうに僕を見上げていた。しかし強風に阻まれて、近づいたり身体に触ったりすることはできないようだ。僕も風が強すぎて、目を開けていられない。
――もう、身体が持たない――
バランスを取っていられず崩れ落ちそうになったとき、強風が止んだ。僕がその場に倒れ込みそうになるのを、巧真が支えてくれる。
「どうしたんだよ、健太。お参りの途中で突然、声をかけても反応しなくなるし、しばらく声をかけてたら突然ぐるぐる回り出すし。大丈夫か?」
「うん」
先ほどの回転の影響で、脳も目もぐるぐる回る。返答が弱々しいものになってしまい、これでは大丈夫ではないと言っているようなものだ。
「イワナガヒメと、話せたのかな」
「はい」
堀井先輩の問いに答えると、彼はわずかに目を見開いた。
「やはり、咲耶家の鈴を持っている望月くんが、対話の相手に選ばれたんだね。詳しくは後で教えてもらうとして、今は一旦休もうか」
「お手数を、おかけします」
「いいんだよ。ここまで来た意味があったってことだからね」
僕は巧真の肩を借りながら、何とか椅子が置いてある場所まで連れて行ってもらった。
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