14、さよなら三角、またきて四角②

 三人で登る山道はいつもと少し違う、不思議な感じがした。普段は一人で、それが普通だったから、誰かとこの道を歩くことになるとは思いもしなかった。

 人数の多寡にかかわらず鈴は仕事を果たしてくれている。道中、一匹たりとも獣に遭うことはなく、小屋にたどり着いた。

「ここが、普段千穂……咲耶家の子と会っている場所なんです」

 先輩と巧真に前置きしてから、そっと扉を開けた。中は無人で、入口から日が射し込み舞うほこりが光って見える。

「随分ちっちゃいな。二面にベンチがあるから物置小屋ってわけでもなさそうだし……何のための小屋なんだ、これは」

 巧真の指摘にはっとなる。いつも千穂がいるのが当たり前だったので気づいていなかったけれど、こんなへんぴな場所に小屋がある理由は何なのだろうか。僕と会うためだけに用意されているなんていう、都合のいいことはないだろう。色々思考をめぐらせていると、堀井先輩の声が遮った。

「とりあえず、今日は咲耶家の子はいないみたいだし。事前に許可をもらうことはできないけど、行けるところまで行ってみようか」

「そうですね。土足で家探しするわけでもないし、家の前までいくだけなら、怒られることもないでしょ」

 先輩と巧真が小屋から身体を離したので、僕も急いで扉を閉めた。二人の言う通りだ。千穂の「呪い除けが家にたくさんかけられている」という話が気になりはするが、家の敷地に入りさえしなければ、彼女に怒られることはないだろう。そもそも、僕たちは咲耶家の人に害を加えようとしているわけじゃない。むしろその逆だ。ならば呪い除けも発動しないかもしれない。無理やり気持ちを切り替えて、既に歩き始めている堀井先輩の後を追った。後ろから巧真がついてくる。


 「もうそろそろ、頂上なはずだけど」

 先頭を歩く堀井先輩の呟きを聞いて、僕は周囲を見渡す。小屋のあたりから細い広葉樹林が続いていて、生えたての若葉がわさわさと茂り視界を遮ろうとしてくる。しかし、けもの道よりは歩きやすい、さりとて歩道と呼ぶには舗装されていない小道が続いていた。間違いなく、千穂はこの道を通って自宅まで帰っているのだろう。ならば、道なりに歩けば咲耶家にたどり着くはずだ。

 しかし、山の頂上に到着する気配も、植生が変わる気配もまったくない。ずっと同じ景色が続いているばかりだ。

「小山だったと思うんですけど、そんなに高かったでしたっけ?」

 後ろから問いかける巧真に、堀井先輩が首を横に振って見せる。

「いや。そこら辺にある裏山レベルだったはずだ。変な獣さえいなければ、小学生でも登れるくらいのね。さっきの小屋から三十分以上上り坂が続いているということは、そろそろ頂上に辿り着かないとおかしい。何か妙だね」

「自分、さっきの小屋を過ぎたあたりから肌がぴりぴりする感覚があります。何か、結界みたいなのがあるんじゃないんですかね? 全身が痛くなってきました」

 振り返ると、巧真が自分の腕をこすっている。外見上は異常がある様子はないが、彼は多少霊感があると言っていた。目に見えない何かを感じ取っているのかもしれない。堀井先輩は無言だったが、さらに数歩歩いた時に立ち止まった。

「止まって。何か、聞こえない?」

 先輩は小さく呟くと同時に、右手を出して僕たちを制した。僕はなるべく体を動かさないようにして、耳をすます。

「自分には、何も聞こえませんけど……」

 巧真の自信なさげな声に心の中で首肯する。確かに、僕の位置からも何も聞こえないようだ。堀井先輩は僕たちの様子を見て、口の前に指を当てるジェスチャーをしてから再び歩き始めた。僕は音をたてぬよう、慎重にあとをついていく。

 五歩ほど進むと、確かに節のついたメロディーらしきものが聞こえてきた。更に歩みを進めると、低い女性の声で、歌詞もあることがわかる。


 さよなら三角 またきて四角

 四角は爪 爪は白い

 白いは目玉 目玉は跳ねる

 跳ねるは魂 魂は青い

 青いは炎 炎は揺れる

 揺れるは心 心は消える

 消えるはいのち いのちは光る

 光るは燃やされのぼるひと


「っ、熱っ!」

 巧真の大声によって意識が反らされたので、僕は抗議の意味を込めて振り返り言葉に詰まった。彼の制服のシャツの袖が黒く焦げ、次第に広がっていっているように見えた。急いで僕自身の腕を見やるが、僕のシャツは何ともないし、熱も感じていない。

「ほ、堀井先輩は大丈夫ですか?」

「大丈夫、じゃないね。制服が焦げてきている。それに両腕がかなり熱い」

 堀井先輩は半身だけこちらに向けて、右腕を差し出してみせた。確かに、袖口が巧真と同じように焦げている。しかもその範囲が広がる速度が、巧真より気持ち早い気がした。

「いったん、山を降りましょう! 声が聞こえないところまで!」

 巧真の肩を押しながら促すと、彼は無言で頷き、来た道を戻り始める。僕もすぐ後に続く。堀井先輩もついてきているのを足音で感じながら、なるべく急ぎ足で山道を下った。

 進む先にいつもの小屋が見えた。今は千穂が戻ってきているかもしれない。一度扉を開けて確かめたかったが巧真は立ち止まることなくずんずん下へ降りていく。彼の“霊感”とやらがそれだけまずいと感じたのだろう。そもそも彼は山に来るのが初めてだ。嫌な経験をしたら、とにかく外まで逃げたいと思うのは自然なことかもしれない。だから僕もあえて呼び止めず、そのまま麓までついていった。


 完全に山の外に出て、ようやく巧真は足を止めてひと呼吸ついた。僕も鞄を下ろして、鈴の様子を確かめる。山中で絶えず音を立て、獣が近づくのを防いでくれていた鈴の外見に変化はない。それにひとまずほっとして丁寧に紐をほどき、ハンカチに包んで通学鞄にしまう。その間に追いついた堀井先輩は、巧真の上半身をじっと見ていた。

「袖だけじゃない。胴元も焦げてる」

 彼が指さす先を見ると、確かに下に垂れたシャツの端も、黒ずんでいる。先輩の制服はもっとひどい。胴回りのみならず、左右の袖全体が焦げたようになっていた。巧真は自分の袖をじっと見つめ、端っこの方を指でこする。指には炭の粉のようなものがついていた。

「燃えた、ってことですかね」

「ああ、おそらく。だけど燃やすには火が必要なはずだ。二人とも、炎は見えた?」

 堀井先輩の問いかけに、巧真と共に首を横に振る。そもそも僕は熱さも感じなかったし、服が焦げることもなかった。山の中に火なんてあったら、僕たち以前に木々が燃えているはずだ。だからそんなはずはない。


「きっとこれは、咲耶家がぼくたちをピンポイントに狙って放った呪いだ」

 先輩は確信があるかのようにきっぱりと言い切る。

「呪い、かはわからないですけど。でもなんか歌が聞こえたころから嫌な感じが強まって、熱くなってきたのは間違いないですね」

「しかも、望月くんだけ服が焦げていない。おそらく、君だけが咲耶家の人に渡された鈴を持っていたからだ。それで、身内だと見做されたんだろう。だとすると、やはり先ほどの歌は咲耶家で流していると考えるのが妥当だ。ぼくたちの目には何も見えなかったけれど、あそこには確かに、咲耶家があったんだ」

 きっぱりと言い切る堀井先輩の言葉には説得力がある。先輩の説明なら、焦げた二人の間にいたのに熱も焦げも無かった僕の立場にも納得がいく。

「なんか、自分ちょっと町自体にいるのが怖くなってきました。今日はいったん家に帰っていいですか? 明日、部室で詳しく話しません?」

 巧真が自分の腕をさすりながら言う。腕が熱くなる感覚はよくわからないけれど、はじめて来た場所でそんな経験をしたなら、たしかに怖くもなるだろう。堀井先輩も頷いた。

「そうだね。とりあえず、焦げた服の言い訳を考えておかないといけないけどね。じゃあそれぞれ情報を整理して、明日は互いに持ち寄ろう。授業が終わり次第、部室に集合ね」

「わかりました」

 僕が頷くと、巧真は僕の肩をぽんぽんと叩く。

「健太、おまえよくこんな町に普通に住んでいられるな。なんか尊敬の念? が湧いてくるぜ」

「山にさえ近づかなければ、普通の住宅地なんだよ、ここは。だからこそ、山と、そこに住んでいる咲耶家のことを明らかにしなければならない」

 巧真は僕へ話しかけてきたはずだが、堀井先輩が答える。僕も先輩の返答に頷いた。

「はい。咲耶家だけが普通の暮らしができないなんて、間違っています。皆が同じように暮らせるように、色々考えたいです」

「そうだね。望月くんはいまのところ、一番咲耶家と接点があるから。期待しているよ」

「はい」

「じゃあまた明日、学校で」

 右手を上げて帰路につく堀井先輩と、なおも両腕をさすりながらすぐ後をついていく巧真を見送ってから、僕も自宅へと向かった。今日の経験もまたノートに記録しておいたほうがいいなと思いながら。

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