10、千穂を守るために②
ある日、僕は夕食中に強く肩をゆすられてはっと意識を取り戻した。きょろきょろと頭を動かすと、心配そうな顔のお母さんとお父さんが、こちらを覗き込んでいた。
「健太。最近ぼーっとしていることが多いけれど、心配事? 学校で何かあった?」
お母さんの問いかけに、黙って首を横に振る。小学校は特に変化はない。千穂のことは二人には話していないから、今いうわけにはいかない。
「もう小六だから、進路のこととか、色々心配事があるんだろう。悩めるときにたくさん悩みなさい。それでもどうしようもないときは、お父さんとお母さんに頼りなさい。一緒に考えてあげることはできるし、健太が一人で考えるよりはいい解決策が思いつくかもしれないから」
優しく語りかけてくれるお父さんは、僕の肩をぽん、と叩く。進路のこと、と言われてふと思いついた。
「お父さん。家から通える範囲の中学校で、一番頭のいいところに行きたいんだ。それでもいい?」
これは、千穂と話をしているうちに考えたことだ。なるべく早く、たくさんの情報を得て彼女を助けるための知識を身に付けないといけない。そのために僕ができることは、頭のいい学校に行って勉強することではないだろうか。偏差値が高い中学にいけば、直接問題が解決するわけじゃないことはわかっている。でも、少しでも頭がよくなれば、それだけ千穂の話を理解する力も早く身について、呪いを解く手がかりを見つけられるんじゃないかという気がしていた。
とはいえ、自宅から遠く離れた学校に行くわけにはいかない。千穂に会えなくなるし、そもそも僕の家に寮に入るようなお金はない。とはいえどんな学校があるのか、あまり詳しく調べていなかった僕はお父さんの顔を見上げた。お父さんはうーんと唸って顎に左手を当てる。
「健太は、頭がいい学校に行きたいのか。だったら、通学圏内にある中学校で、いくつか候補を探してみるぞ。ちょっとだけ時間をくれるか?」
「うん!」
僕が大きく頷くと、お父さんはほっとしたように頷き返してみせる。
「資料を取り寄せたら見せるから、全部見てから学校を選ぼう。今日は健太の進路の希望が聞けて良かったよ」
「勉強で不安なところがあったら、お母さんも見てあげるからね。あまり、力にはなれないかもしれないけれど」
ボランティアで塾に行けない家の子どもたちに勉強を教えているお母さんは、そう言って励ましてくれた。確かに、僕は勉強がすごくできるわけではない。別に悪くもないけれど、中の上くらいだ。実際に行くことを決めた学校によっては、これから猛勉強しなければならないかもしれない。それでも、千穂のためだと思うと力が湧いてきた。
「うん。ありがとう。待ってるね」
だからお父さんとお母さんに答える僕の声は、明るく弾んでいた。
・・・
お父さんが中学校の資料をたくさん抱えて僕のところに持ってきてくれたのは、それからちょうど一週間後のことだった。お父さんはリビングのテーブルの上に、五つの山に分けて置いた。
「一応、五校調べてみたぞ。健太から見て、右から順に偏差値が高い学校だ。全部家から一時間以内で通えるから、よく読んでみて、気に入ったところを選ぶといいよ」
「ありがとう」
僕はお礼を言いながら、一番右側に置かれたパンフレットを手に取った。どうやら中高一貫校の男子校らしい。中高一貫なら、中学受験だけ頑張ればいいから気が楽だ。それに、僕は女の子は千穂のことしか頭に無いから、学校で彼女を作るつもりはない。男子校でも何ら問題はないわけだ。
あとは科目ごとに先生の部屋が細かく別れていて、専門的な研究をしているということを売りにしている。ここなら、特定の事象――たとえば咲耶家を攻撃している呪いとか――について詳しい話を聞ける先生がいるかもしれない。さらに、部活動や研究会の活動も盛んなようだ。大々的な部活でなくても、家の呪いとかおまじないとかを調べるような集まりがあったら、参加してみるのもいいかもしれない。
まだ一校しか見ていないが、僕はすでにこの学校に行きたいと思い始めていた。せっかくお父さんが探してくれたので、他の四校のパンフレットも一応ちらりと確認したが、最初に見た学校と比べると見劣りする気がする。やはり、学力が高い分アピールポイントも多いということだろうか。
お父さんは、それぞれの学校に入るのに必要な目安となる偏差値もメモしてくれていた。僕が行きたい学校は、今の僕の学力に比べて十ほど高い。もっと頑張って勉強しなければならない。でも、僕の心は決まっていた。
「お父さん。僕、ここに行くよ」
三十分ほどパンフレットを読みこんだ僕は、最初に見た中学校の冊子をもってお父さんの部屋へ向かった。新聞を読んでいたお父さんは、目を丸くして僕を見る。
「もう決めたのか? もっとじっくり考えてもいいんだぞ」
「ううん。一目見て、ここがいいって思ったんだ。勉強頑張るから、行ってもいい?」
お父さんは新聞を畳んで机に置き、僕の顔をじっと見た。二、三秒してからにっこりとほほ笑む。
「ああ。健太がそこがいいっていうなら、お父さんは応援するぞ。しっかり勉強して、合格を目指しなさい」
「はい!」
僕は大きく頷いた。頑張りなさいと言いながら再び新聞を手に取ったお父さんに手を振って、足取りも軽く部屋を出る。そのまま、ハンカチに包んだままの鈴をポケットに入れて玄関へと走る。
「お母さん、ちょっと出かけてくるね!」
「あまり遅くならないようにするのよ」
台所にいたお母さんの声かけにうん、と返事をして家を飛び出す。急ぎ足で向かうのはもちろん、千穂のところだ。今日は日曜日だけど、たぶん彼女はいつもの小屋にいる。そんな確信があった。
案の定、小屋を三度ノックすると千穂がゆっくりと顔を出した。僕はベルト通しに付けた鈴をチリン、と鳴らして見せる。
「千穂、僕だよ。健太。やっぱり今日もいたんだね」
「うん。家の中は息苦しいから」
千穂は小声で答えて、小屋の扉を内側から大きく開いた。引き戸になっている扉の奥に、日が射し込む。
「嬉しそうにしているけれど、何かいいことがあったの?」
小屋の中へと僕を招き入れるなり、彼女は問いかけてくる。相変わらず鋭い。僕は手に持ったままのパンフレットを差し出した。
「僕、来年の四月からこの学校へ行くことに決めたんだ」
パンフレットを受け取った千穂は、表面と裏面をひっくり返して見て、ひとつ頷く。
「ここから電車で三十分くらいのところだよね。近いし、いいんじゃない?」
「それだけじゃないんだよ」
僕は、身を乗り出して反対側からページを捲った。両端を持つ千穂はされるがままになっている。
「ここ、勉強にすごく力を入れていて、先生も生徒も色んな研究ができるようになっているんだ。中高一貫校だから、六年間同じ研究を続けることもできる。千穂の寿命が短い理由を調べるには、いい環境なんじゃないかな。だから僕はここで、いろいろ調べるよ。絶対に、千穂には長生きしてもらいたいから」
千穂はパンフレットに落としていた視線を上げて、わずかに首を傾げて見せる。
「わたしの、ため?」
「うん。実はこの学校、今の僕よりちょっと必要な学力が高いんだけど、千穂のためなら、勉強も頑張れる気がするんだ。絶対にこの学校に入って、千穂のことを助けるよ」
僕は力強く言い切って、パンフレットから手を放す。少しだけ千穂と距離が離れたが、正面から視線を合わせた。今の言葉が、嘘じゃないとわかってもらうために。
「ありがとう。健太。そこまで考えてくれて。わたしは学校には通えないけれど、合格できるように応援しているね」
「うん。千穂に応援してもらえるのが、一番うれしいよ」
「単純だね」
「うん?」
「なんでもない」
千穂はパンフレットを閉じて僕に返しながら、にっこりとほほ笑む。彼女の笑顔に僕は弱い。会話の内容を忘れてしまいそうになるが、何とか踏みとどまる。
「これから勉強の時間をたくさん取らないといけないから、今までほどたくさんは会いに来られないと思う。でもその代わりにちゃんと中学校に合格して、謎を解くから。待っててね」
「うん。待ってる」
笑顔で手を振る千穂に手を振り返して、僕は山を降りた。また少しの間会えなくなると思うと名残惜しくて、五、六歩歩いたところで振り返る。千穂はまだそこにいて、手を振ってくれていた。僕より高い位置に、和装で立っている彼女はやはり、天女さまのように見えた。
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