8、守りの呪い②
少し考えた素振りの千穂は、わずかにほほえんだ。
「いま大変なのは健太くんのほうでしょう。それでも、わたしのことを心配してくれるんだ。優しいんだね」
僕の顔は真っ赤になっていると思う。まだ夏なのに、頬が火照って空気が冷たく感じられる。その様子に構わず、彼女は明後日のほうを見やった。
「わたしの家にある“呪い除け”はね、わたしたちが生きていくためには必要なんだって。お父さんが言ってた。わたしたちの命が短いことと関係があるかは、わからない。でも、それがないと、もっと寿命が短くなってしまうかもしれない」
「それは、駄目だよ」
とっさに否定すると、千穂はうん、と小さく頷いてくれる。
「だから、いくら呪い返しが怖くても、呪い除けをやめることはできないんだ。でも今回、それが原因で健太くんには怖い思いをさせちゃった。ごめんね、健太くん」
「ううん」
こちらに向き直り頭を下げてくる千穂に、僕は首を横に勢い良く振ってみせた。だって今回のことは大将がいきなり鈴を壊したのが悪いのであって、千穂が悪いわけじゃない。確かに、呪い除けのことを知っていたら、もっと大将のことを強く止められたかもしれないけれど、あんなことが起こるなんて僕には予想できなかった。千穂だって、呪い返しの存在自体は把握していても、実際に何が起きるのかはわからなかったらしい。だから、どうしようもないことなんだ。自分にそう言い聞かせていると、千穂が黒い鈴をハンカチごと手に取った。
「健太くん、この鈴、持ち帰ってもいい? わたしの家で呪い除けを上書きしてみる。もし上手くいかなかったとしても、健太くんのほうに呪い返しが行くことはもうないと思うから、安心してね」
「でも、そうしたら千穂のほうに、危ないものが行っちゃうんじゃないの?」
僕は大将の頭が千穂に向かって進んでいくところを想像して、身震いした。千穂にはあんな思いはさせたくない。
「大丈夫。さっきも言ったとおり、わたしの家には色んな呪い除けをしてあるから。家にいる限り、呪い返しがわたしの身に何か悪い影響を与えることはないはずだよ。それに、呪い除けはきっとうまくいく。この鈴にかかっている呪い除けは単純だから、大丈夫」
単純な呪い除けで、あれだけの力があるのだとしたら、複雑なものになるとどれだけ強力になるのだろう。僕は千穂の家が、大きくて透明な結界で護られている様子を想像した。たぶん僕には考えつかないような方法で、彼女たちのことを守っているのだろう。そこまで考えて、あれっと思った。
「その鈴って、千穂の家族を守るための呪い除けがしてあるんだよね?」
「うん、そうだよ」
「だったら、なんで昨日は、僕を守るみたいな行動をとったんだろう」
僕は、千穂の家の関係者じゃない。でも、鈴を壊した大将に直接手を下すことになった。本当だったら、その役回りを担うのは千穂の家……咲耶家の人たちだったんじゃないだろうか。首を傾げていると、彼女は得心したように頷く。
「ああ。それは、この鈴が持ち主を守るっていう目的の呪い除けをしてあるから。わたしの家の人間じゃなくても、持ち主と認識した相手に対して発動するようになってるの。だからこそ単純なんだ。複雑なのだと、咲耶家の特定の誰かを守る呪い除けとかもあるから。それに比べたらずっと簡単」
「そう、なんだ」
持ち主が変わると呪い除けの対象人物が変わるというほうが、常に同じ人にかけられる呪い除けよりも複雑な気もするけれど、そうではないらしい。僕は少し頭がこんがらがってきたものの、貴重な千穂の言葉だ。何とか理解しようと努めた。
「だから、健太くんには新しい鈴をあげるね」
千穂は腰ひもに結び付けてあった二つの鈴のうち一つを取り出し、僕のほうへと差し出した。恐る恐る手を伸ばし、丁寧におしいただく。もし今落っことしたりしたら、また黒いもやのようなものが出てきて僕を攻撃してくるかもしれない。そう思うと、うんと慎重に扱わざるを得なかった。
「この鈴は形が歪むくらいに力を加えられたりしない限り、呪い除けは発動しないからそんなに怖がらなくても大丈夫だよ」
彼女はそういうが、一度現場を体験してしまっている以上怖いものは怖い。帰り山を下りるときに必要になるだろうから、丁寧にランドセルにくくりつけた。
「これからは、山のすぐ手前で付けるようにしようかな。誰も、呪い除けに巻き込まれないようにするために」
独り言のつもりだったけれど、千穂にはしっかり聞かれていたらしい。彼女は小さく頷いた。
「そのほうがいいかもしれない。わたしは、自分の家の人以外で初めて会ったのが健太くんだったから、ちょっと油断していたかも。わたしたちのことを良く思わない人とか、距離を取ろうとしている人のほうがずっと多いもんね。わたしと健太くんが会っていること、健太くんの周りの人に知られない方がいいのかな」
「うん。多分ね。でも大丈夫。次はばれないように気をつけるから」
僕ははっきりと答える。そもそも、昨日の大将にだって、千穂の所へ行くことがばれたわけではなかった。僕たちが会っていることを知っている人は誰もいないだろう。あとは鈴の力がばれないように、こっそり使うだけだ。
「じゃあ、気をつけてね」
手を振る千穂に右手を振り返して、山を下りた僕は帰宅後すぐに、白紙のノートを手に取った。先ほどの話は僕にとっては複雑で、文字に書いて整理する必要があると感じたのだ。一ページ目の見出し欄に、大きく「サクヤ家の呪い」と書く。
サクヤ家の呪い
・呪い除け……悪いものからサクヤ家を守るためのもの。
例:獣除けの鈴(持ち主を守る)。
鈴を壊した人に対して攻撃をして、持ち主を守ろうとする。
・呪い返し……呪いを受けた人や物が、呪いに反発しようとして後をついて来たり、攻撃してきたりすること
例:獣除けの鈴が攻撃したのに対して、
攻撃された相手が鈴の持ち主を追いかけ回してくる
漢字を調べながらノートにまとめると、少しだけ自分が賢くなったような気がした。とりあえず、僕は新たな呪い除けの鈴を貰い、呪い返しが発動してしまっている古い呪い除けを千穂に返してきたから、今後は大将の頭に追われることを心配しなくてよいのだろう。実際に、今日家に帰ってくるまでの間には大将の頭を見かけなかった。少しだけほっとして、僕は一日ぶりにゆっくりとベッドに横になった。
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