7、守りの呪い①

 放課後に取り巻き達に絡まれることもなく、僕はスムーズに小山のふもとへとたどり着いた。でも、鈴がないと獣に襲われるかもしれない。だから二、三歩入ったところで足を止めた。この先、どうやって進めば襲われないのか、思い付かない。かといって歩みを止めたら千穂に会えない。考えあぐねていると、山の奥から小さな音が聞こえてきた。


 チリン、チリン


空耳かと思い、もう一度山奥のほうへと耳をすませる。


 チリン、チリン


 確かに、澄んだ音色は近付いてくる。僕は信じられない気持ちで、目の前に立った千穂を見た。

「どうして、麓まで……」

 問いかけに対し、千穂は指を手に当ててみせた。

「ここでは、静かに。山の下にいることが、他の人に気づかれたら困るの。わたしと一緒なら大丈夫。いつもの場所まで、行こう」

 千穂は僕に背を向けて、ゆっくり歩き始めた。四歩ほど後ろを、なるべく静かについていく。確かに彼女の腰には鈴がついているから、それを聞いた獣たちは近付いてこないだろう。でも、一度獣を見ている僕は自分で己を守れる手段が無いことが心もとなくて、不安をごまかすようにひたすら千穂の後ろ姿を眺めていた。


 山の中腹にあるいつもの小屋まで辿りつき、ようやく一息ついた。扉を開けると左側から正面にかけて、L字型にベンチがつくりつけてある。左端に腰かけた千穂は、奥に座った僕をじっと見つめた。

「何か、変わったことはなかった?」

 どうして千穂はそんなに鋭いんだろう。今日も僕が鈴を持っていないことは知らないはずなのに、山の麓まで迎えに来てくれた。驚きつつも、僕はランドセルをおろして、中からティッシュで包んだ塊を取り出した。幸いにして、黒色はティッシュにまでは浸食していなかったらしい。白い外側をはがすと真っ黒なハンカチが現れる。ちらりと千穂を見やると、真剣な表情で包みを見ていたのでゆっくりと開けた。中からは、今朝見たときと変わらない黒い鈴が現れる。


「昨日、僕が千穂のところに向かおうとしたら、大将に止められたんだ。鈴をつけてるのを咎められて、壊されてしまった。それで、気がついたらこんな見た目になって、包んでいたハンカチも真っ黒になったんだよ。だから、今日山に登るとき、僕は鈴を持っていなかったんだ。千穂が迎えに来てくれなかったら、小屋まで来れなかったと思う」

 そこまで一気に喋って、下を向き呼吸を整える。嘘はついていない。でも、僕は大事なことを言っていない。僕の手で、大将の首を絞めたことは、どうしても言えなくて、千穂と視線を合わせることができなかった。しばらく鈴と僕を交互に見やっているようだった千穂は、そっか、と小さく呟く。

「守りの呪いが、発動したんだね」

「守りの呪い?」

 聞き返しながら、顔を上げて千穂の表情を伺う。彼女は真剣な顔をして、鈴を人差し指で軽く小突いた。

「この鈴にはね、獣除けだけじゃなくて、わたしたちに危害を加える可能性がある人たちから、わたしたちを守る力もあるんだ。すごく強い力だから、わたしは呪いって言ってるけど。お父さんは守護の力って呼んでる。わたしも詳しくは知らないんだけど、咲耶家を守る鈴を傷つけたり、咲耶家の人を傷つけたりしたら呪いが発動するんだ」

「そう、なんだ」


 いきなり呪いと言われてもちんぷんかんぷんだけど、僕の身体が大将の首を絞めた瞬間、僕の身体を動かしていたのが呪いの力だというのなら腑に落ちる。

「だから、大将に対して呪いが発動したんだね」

「呪いが発動する瞬間を、健太くんも見たの?」

 納得して気が抜けたのだろうか。思わず口を滑らせてしまった。しかし、言ったことは取り返せない。足を両手でさすりながら、何と説明すれば千穂から嫌われないか、必死で考えた。

「僕が、壊された鈴を振っていたんだ。もう鳴らなくなっちゃったのか、確かめようとして。そうしたら、鈴が真っ黒になって、僕の身体に入ってきた。体内に取り込まれた鈴は大将の身体をすごい力で持ち上げて……倒したんだ。普段の僕の力なら、絶対にできないはずなのに」

 やはり首を絞めたとか殺したとかは口にできなくて、何とか誤魔化しながら状況を述べた。千穂は興味深かったのか、少し身を乗り出して話を聞いている。

「そっか。じゃあ守りの呪いは、反撃する力があるってことなんだね」

「反撃、か。そうかもしれない」

 膝をさすりながら相槌を打つと、彼女はわずかに首を傾げた。

「でも、それだけ強い呪いだと、呪い返しも起きそうだけど。健太くん、その後ひどい目に遭ったりしなかった?」


 ほんとうに、千穂には遠くを見る目でもついているんじゃないんだろうか。僕の状況を的確に言い当ててくるので、正直に頷くしかない。

「うん。ひどいめっていうか、そう見えただけで、今思えば気のせいなのかもしれないけれど」

「それでもいいよ。話してみて」

 千穂に促され、僕はひとつ大きく息を吸った。

「大将の、頭が追いかけてくるんだ。大将を倒した後、エレベーターの中とか部屋の中まで。さすがに同じ部屋にはいられなくて、昨日の夜は廊下に出ていたけれど、朝自分の部屋に戻ったら頭はなくなってた。でも、いつかまた戻って来るんじゃないかって、心配になってる」

 僕の言葉を、千穂は真剣な表情で聞いてくれた。千穂以外の人にはこの話はできない。だから二人だけの秘密だ。本当はもう少し楽しい内容で、秘密を作りたかったけれど起きてしまったことはどうしようもない。

「それは、やっぱり呪い返しだよ」

「呪い、返し?」

 確信をもっているかのように言い切る千穂に、僕は首を傾げた。

「呪いっていうのはね。かけられている力が強いほど、それに反発する力も強くなる。だから、呪いを受けた人とか物が、呪いに反発しようとして後をついて来たり、攻撃してきたりすることがあるんだ。わたしの家はいろんな呪い除けをしているから、わかる」

「そう、なんだ。……たくさん呪い除けをしているのは、千穂が長生きできないことにも関係あるの?」

 僕は思わず、そんな問いを投げ掛けていた。だって呪い除けと呪い返しの話が正しいのなら、誰かから攻撃されるたびにその二つがセットで発動するわけだ。毎日大将の頭を見て生活するなんて、僕だったらやってられない。千穂は、そんな生活を送らざるを得ないのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る