4、退魔の鈴②
僕はとっさに、右手で鈴を拾い上げた。その動きを咎められることはなく、しゃがんだまま振ってみる。ぺしゃんこにつぶれてしまった鈴は中の玉がどこかに挟まってしまったのか、うんともすんとも言わない。しかし、四、五回振ったタイミングで、じゃり、という不快な音が響いた。
大将が踏みつけたときに、砂利か何かが入り込んでしまったのかもしれない。鈴の割れ目から奥を覗いてみても、何も見えない。割れ目を下に向けて軽く振ってみたものの、中からものが出てくる気配はなかった。それでもやはり、じゃり、じゃりという細かいガラスと金属がこすれているかのような音が鳴る。
「おい、振るのをやめろ。なんか気持ち悪い音がする」
大将が僕の手首を掴んだ瞬間、鈴が真っ黒に染まった。あまりにも一瞬の出来事だったので、もとからその色だったんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。だがそんなはずはない。千穂にもらった鈴は、光をよく反射する、澄んだ銀色だった。全ての光を吸収する、漆黒の鈴なんて知らない。しかし僕が手にしているのは、千穂から貰い、ついさっき大将に壊されたものに違いなかった。
黒いのは鈴だけではない。僕の指を伝い、手首を伝いどんどん身体の中に入ってくる。びっくりして手を放そうとしたけれど、鈴は手指に吸い付いてしまったかのように離れない。僕の指が、手首が、腕が、だんだん黒色になっていく。経過を見ていた大将は、勢いよく手首から手を離した。
「な、なんなんだよ、それ」
気味悪そうに僕の手を見ていた大将は、視線を上にあげた。先ほどまで……いや今までずっと僕より背が高かったはずの大将が、今や僕の目線の下にいる。つまり、僕の方が背が高くなっているのだ。てのひらで持っていたはずの鈴はいつの間にか手の甲へと移動しており、僕の身体から半分だけ、浮き上がって見える。残りの半分は体内に取り込まれてしまったかのようで、振り落とすことも引き抜くこともできない。
「オマエダナ。スズヲ、コワシタノハ」
僕の口が開き、僕のものではない声が喋る。ドン引きしているのは目の前にいる大将だけではない。後ろにいる取り巻きたちも、半分腰を引いてこちらを見つめている。その間にも僕の右腕は前に伸びて、大将の首を掴んだ。
「コッチヘ、コイ。サバキヲ、クダシテヤル」
今や、僕の身長は大将よりも頭一つ分、高くなっていた。それにもかかわらず全身が軽くて、力がみなぎる感じがする。だから片腕だけでやすやすと、大将の身体を持ち上げることができた。僕の首がわずかに左右に動き、取り巻きたちの姿を捉えた。
「ソコデ、ミテイルノナラ、ツギハ、オマエタチダ」
「ひっ」
男子の方が小さく悲鳴をあげて、尻もちをつく。女子はがたがた震えながらも、男子のことを引っ張った。
「わ、わかったよ。離れればいいんでしょう。わたしはなにもしてないから!」
女子の声は震えていたが、足取りはしっかりしていた。よろよろと立ち上がる男子を引きずるように、走ってこの場から離れていく。彼らの姿が見えなくなるのを確かめてから、僕の目線は大将へと移った。
「お前、なんのつもりだよ」
やはり、大将は強い。こんなわけの分からない状況でも、怖がったり怯えたりしている様子がない。僕に首を掴まれ宙に吊り下げられている状態なのに、堂々としている。妙に感心してしまった。しかし僕がそんなことを考えている間に、僕の左手も大将の首へと伸びていく。
「オマエハ、スズヲ、コワシタ。ユルセナイ。ココデ、サバキヲクダス」
右手の甲についていた鈴の模様が、左手にも浮かび上がった。それと同時に、両手の力が強くなり、大将の首を締め上げる。
「おい、お前……」
大将は何か言いかけたが、そのまま眠るようにすうっと全身の力がゆるんだ。目は閉じて、両腕をだらんと力なく下げ、首もかくんと折れ曲がっている。その状態になってもなお、僕の両手は大将の首を圧迫し続ける。
どれくらいそうしていただろうか。ふと我に返ると、呆然と地面に座り込んでいる自分に気づいた。目の前には、血の気のない大将があおむけで倒れている。
「大将?」
力の入らない身体を無理やり引き起こして、大将の傍に近寄る。胸元に手を当ててみても、心臓が動いている気配がしない。口元に耳を近づけても、呼吸をしている様子がない。
「大将!」
軽く揺すってみたが、ピクリとも動かない。僕に揺すられるがまま、大将の身体はゆっくりとひっくり返り、うつぶせの体勢になった。首元には、くっきりと赤い指の痕が残っている。
「僕、が。僕、が、やったのか」
恐る恐る、大将の首元にてのひらを並べてみる。しかし指の痕は僕の指よりもずっと大きく、到底僕自身がやったものとは思えなかった。でも間違いなく、ついさきほど僕の身体が動いて、大将の首を絞めたのだ。
――ど、どうしよう――
あまり人が通らないとはいえ、ここは通学路だ。いつ誰が来てもおかしくない。ばれるのは時間の問題だ。たとえ今僕がたまたま通りかかっただけだと嘘をついたとしても、僕が手をかけたことは、先ほどの取り巻き二人が気づくだろう。ばれたら、お父さんもお母さんも悲しむ。千穂にも会いに行けなくなるかもしれない。そこまで考えたときに、鈴の存在を思い出した。
大将のそばで立ち上がると、胸元からぽろりと黒い物体が落ちる。拾うと、それは先ほどまで僕の身体に入り込んでいた鈴に違いなかった。おそるおそる、二回ほど振ってみたが何の音もしない。さきほどの動きで力を使い切ってしまったのかもしれない。だとしても、この場に置きっぱなしにして、誰かが踏もうものならまた、同じことが起きてしまう可能性がある。
少し怖かったけれど、僕はハンカチを出して丁寧に鈴を包み、ポケットにしまった。そして身じろぎもしない大将に向かって手を合わせ、家に向かった。
大将のことをなんて説明すればいいのか、全く考えつかない。それでも、ここにじっとしていることは怖くてできなかった。だからとにかく、まずは家に帰って、お父さんとお母さんの顔を見て安心したかった。
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