3、退魔の鈴①

 その日も、僕はランドセルにくくりつけた鈴を揺らしながら、ひとりで小山の方へと歩いていた。一度家に帰ってからだと、千穂に会う時間も話す時間も短くなる。少しでも長く彼女と一緒にいるために、直接学校から向かうのだ。

 しかしそれは、二つのことを意味する。千穂からもらった鈴を学校につけていかなければならないということと、他のクラスメイトに見つかったら、山に通っていることを親か先生に告げ口されてしまう可能性があるということだ。

 だから僕はなるべく目立たないよう、音を立てずに帰り支度をして、トイレに行く。授業が終わった同級生たちは、普通すぐに帰ろうとする。家まではすぐだし、わざわざ終業後にトイレに寄る人なんてなかなかいない。それを逆手に取る。皆が大挙して校門を出ていったのを察してから、そっと教室に戻りランドセルを手にする。今のところ僕の山行きがばれている様子はない。だから安心して、ゆっくり学校を後にできる。


 校門を出て左は自宅があるほう、右は山のほうだ。ためらうことなく右に曲がり、歩いていると突然、僕の眼前に人影が現れた。見上げて確かめるまでもない。大将と、いつも一緒にいる取り巻きの二人だ。

「おい健太、どこに行くんだ? こっちはお前の家の方向じゃないだろう?」

 立ちふさがる大将は、ぎろりとこちらに視線を向ける。なんでこんなところに彼らがいるのだろうか。僕を待ち伏せしていたのだろうか。何もわからないが、大将に逆らう術を知らない僕は、ただ黙って半歩下がる。ランドセルにつけた鈴がしゃりん、と揺れた。

「何だよ、黙って。鈴が代りに答えてくれるってか?」

 大将は僕が離れた半歩分、ずいと近づいてきた。彼に合わせて僕も半歩下がる。また鈴がしゃりん、と鳴る。

「ほら、健太ってコミュ障っていうんだっけ? 人とうまく話せないじゃん、いっつも。だから今も喋れないんだよ」

 左側にいた男子が口を挟む。いじめというほどではないが、僕にいつも嫌な感じで接してくる。

「そうそう。目立ちたくありませんって空気出してるくせに、皆の前で喋ろうとするとどもったりして、逆に目立つっつーの。今だって、喋れない分鈴がうるさいうるさい」

 右側にいた女子が大げさに肩を上下させてため息をつく。彼女とはあまりしゃべったことがないが、いつも大将の傍にいて大声で喋っているから、僕はなるべく関わりたくない。しかし目の前に立たれたら、逃げることもできない。とはいえどうにかしてこの場から逃れたくて、もう一歩、二歩後ろに下がる。そのたびに鈴がしゃりん、しゃりんと場に似つかわしくない音を立てた。本当はすぐにでも鈴を外してしまっておきたいのだが、イレギュラーな動きをしたら何を言われるかわからない。だから黙って後ずさるしかない。


「お前のさー。そういう態度がイラつくんだわ」

 大将は僕にぐいと近寄り、ランドセルの縁に手をかけた。鈴を掴み、力任せに引きちぎる。細い紐でくくりつけられていただけの鈴は、いとも簡単にランドセルから離れていく。

「それはっ、」

 取り返そうと伸ばした手は、空を切った。鈴を持った大将の右手は高く掲げられ、僕には届かない位置にかざしてみせる。

「こんなちゃらちゃらした、女みたいなストラップをつけてさ。お前、目立ちたいのか目立ちたくないのか、どっちなんだよ。答えたら、返してやるよ」

 三人の男女が、にやにやしながらこちらを見ている。しかし、僕は鈴を取り返さなければいけない。でないと、千穂のもとへ行けない。だから勇気を出して、腹に力を込めた。

「目立ちたく、ない! 大将にも、二人にも邪魔にならないようにするから、だから鈴は返して!」

 大将は一瞬目を丸くしてから、大声で笑いだした。鈴は片手で掲げたまま、左手で腹をさすりながらの大爆笑だ。取り巻きたちもひきつった顔で笑っている。

「聞いた? 目立ちたくないんだってよ。だったらさ、いつも授業中指されたときにどもるのが、逆に目立つって気づいてないの? 健太って、相当馬鹿なんだね」

「今だって、目立ちたくないのにうるさい鈴なんてつけちゃってさ。存在アピールしたいんじゃないの、本当は。だって本当に目立ちたくないなら、足音も立たないくらいに静かにするものでしょ?」

 ねぇ? と女子は、大将を伺い見る。授業中の僕の態度をばかにした男子も、大将にちらりと目線を送った。僕は何だか嫌な予感がして、大将の右手に腕を伸ばした。

「正直に、答えたよ。だから返して!」


 しかし僕の両手はまたも空を切る。大将はひょいと手を右にどけると、うっすら笑みを浮かべた。千穂がよくする控え目な笑みとは全然違う、嫌な感じがする笑い方だ。

「正直? 冗談だろう? こいつらが言った通り、お前は目立つ行動ばっかりとってるんだ。なのに目立ちたくないっていうのなら、それは嘘だ」

「嘘じゃない!」

 僕は必死に否定する。納得してもらえないと、鈴はいつまでも戻ってこない。しかし大将は表情を崩さないし、鈴を持つ手を下げる気配もない。必死に手を伸ばす僕は、それに合わせて背伸びをして、軽くジャンプする羽目になる。大将の左右からくすくす笑いが聞こえてくる。

「なんか今の健太、犬みたい」

「いや猫じゃないか? 猫じゃらしを追いかける猫っぽい」

「そんなことをしても、大将に勝てるわけないのにね」

 取り巻き達の声を気にしている余裕はない。俺は、正面にいる大将にのみ意識を集中させた。


「嘘じゃない、か。健太。お前は本当に、目立ちたくないのか?」

「そうだよ!」

「じゃあ、この鈴はこうだな」

 そういうなり大将は、鈴を持っていた手を離した。地面に転がったそれを拾い上げようと 僕がかがむより前に、大将の足が踏みつける。キィ、という金属がこすれる不快な音がした。

「目立ちたくないんだろう? だったら、うるさい鈴なんて、壊した方がいいに決まってる。わざわざお前が目立たないように手伝ってやったんだ。感謝しろよ」

 大将の声は遠くから聞こえるような気がした。ただ僕は、黙って大将の右足を見つめる。彼がわざとらしくゆっくりと足をどけると、そこには原型をとどめずぐにゃりと歪んだ鈴があった。

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