第85話:変化と決定
資料室で衝撃的な方向を聞いた翌日。
俺は西部ダンジョン支部では無く、冒険者ギルド王都西部支部の会議室にいた。
そして、そこにいる全員で困っている。
全員とは、イーファ、コレットさん、そしてこの支部のクライフ所長だ。
「なるほど。これはちょっと困ったねぇ」
「暴走の可能性が高いと、割とはっきり書いてありますね」
目の前のクライフ所長とコレットさんが大変困っている。俺が持ち帰った資料室の資料を見て。気持ちだけは共有できているな。
「もし、王都で暴走が起きたら大変なことになりますよね?」
イーファの質問にクライフ所長が頷く。
「そうだね。有り体にいって大惨事というものになるだろう。少なくとも、ダンジョンで出た利益以上のものが失われるね」
具体的なことは言わないのは俺への配慮かも知れない。暴走で人生そのものを失う者が出るのは珍しい話じゃ無い。
「俺としては、できる限り早く中枢を倒して、ダンジョンを攻略すべきだと思うんですが」
「私も同じです。町中に魔物が溢れるのは見たくないです」
「二人の気持ちはよくわかるよ。僕とコレット君も同じ考えだ」
所長の言葉にコレットさんが頷いてから言う。
「西部攻略支部の職員は、同じことを考えるでしょうね。ただ、今のままだと会議での方針決定が心配です」
コレットさんは書類を一枚取ると、ある一文を指さした。そこには「数年以内に暴走の可能性あり」と書かれている。
「王都西部ダンジョンは非常に特殊な立ち位置だ。赤字経営だったのが、ここに来て鉱物が算出したことで莫大な利益を生み出している。攻略方針についても、王都内ギルドの幹部と話し合うことになるだろうね」
「予想される暴走が年単位で先なら、現状維持になるでしょうね……」
「そんな……」
イーファが悲しそうな顔をするけど、これが現実だ。
ダンジョンが産業の国では仕方ない。利益はギリギリまで確保するのが基本方針だ。大量の鉱物が出た段階で、西部ダンジョンは王都にとって大きな存在になっている。
「可能性があるとすれば、現場の責任者が攻略を提言することだろうけど」
「一応、この報告も提出してありますけれど……」
俺達の表情を見てクライフ所長がため息をついた。
ようやく利益が出て来たこの状況で、ヒンナルが攻略を推奨するのは考えにくい。
現場の責任者の決断は、期待できない。
「そういえばヒンナル所長。少し顔色が悪かったですね。お友達の冒険者さんは助かったんですが」
イーファの言うとおり、彼らは一命を取り留めた。ただ、治療費は無料じゃない。大怪我なら、それなりの金額だ。怪我をした冒険者は生活の立て直しという難題が待っている。彼らには辛い日々が続くだろう。
「今度の会議にはサズ君にも出席して貰う。攻略の承認は難しいだろうけど、対策のための調査くらいはできるよう、頑張ろう」
提示されたとりあえずの目標に俺達は納得して頷いた。
「コレットさん、ヒンナルはどう考えると思いますか?」
なんだかんだで一番付き合いの長いコレットさんだ。俺は無理だと思うけど、この人の見立ては違うかも知れない。
「わからないわ。来たばかりの頃なら、迷わず利益を優先するでしょうけれど。最近は変わってきたし、色々あったから」
俺達が西部支部でヒンナルを交えて会議できるような関係なら良かったんだろうな。
いや無理か。今日は報告書を見せても心ここにあらずという感じだった。今の彼はどんな精神状態なのか、俺にも見えない。
「方針はこれで決まりだね。なに、調査の権利を手に入れれば、サズ君が動きやすくなるはずさ。地道にいこう」
あくまで穏やかさを崩さないクライフ所長の言葉で、静かに会議が終わったのだった。
○○○
ヒンナルには特技がある。
それは会議の流れを読むことだ。人生で得た唯一の技能といってもいいくらいだろう。
これまでコネを使って様々な仕事をする中で、根回しを行い、会議の流れを読み、自分に都合のよいように、仕事を上手く引き寄せてきた。
ここ最近の仕事ではまるで発揮されていなかったが、会議自体は嫌いじゃないし苦手でもない。
西部ダンジョン攻略方針会議。
収益が上がったことでギルド本部から横やりが入るようになって急遽作られた会議だ。
それ自体は問題ない。自分の代わりに上位者が方針を決めてくれるなら大歓迎。実際、これまで何度か開催された時も形式的なもので「現状維持」が結論だった。
しかし、今日は違った。
「ですから、ダンジョンは暴走の危険がありますので攻略の方針をたてておくべきだと考えています」
「しかしねぇ、数年先のことなんだろう? なら、そんなに急がなくてもいいんじゃないかね?」
「資料室のものとはいえ、予測だからねぇ。現状、そこまで切羽詰まっていないんだろう?」
ヒンナルの目の前でサズがギルド本部からやってきた役職者に苦戦していた。
内容は五階攻略について。サズは西部支部のクライフ所長と組んで、どうにか攻略へ方針転換できないかを話している。
ヒンナルはそれを止めない。本部側の出方をみてみたかった。そして案の定、攻略回避の方針だった。利益がでている以上、当然ともいえた。
そもそも、今日来ているのは企画や経営部門の人間だ。ダンジョン攻略の危険よりも、利潤の方に目が行く立場の人間である。
「ここはどうでしょう。攻略に備えた調査と準備を進めると言うことで。暴走の危険ありとみたら、すぐさま対処できる備えは必要かと思うのですが」
本部の面々にやられて黙り込むサズをみて、横のクライフ所長が助け船を出した。
最初からこの流れにもっていくのが狙いだったのだろう。付き合いの長い二人なら、そういった準備をしていても不思議ではない。
身内で準備するよりも、もっと根回しをすれば良いのにと、ヒンナルは思う。こういう相手との会議は事前の話し合いが大切になる。ある意味、自分の得意技であり、そうやって生きてきた。
いや、そんなことをする余裕がないのだろうな……。
色々と経験した今のヒンナルにはそのくらいの想像がつくようになっていた。
ギルドの現場は忙しい。依頼を回すだけで無く、周辺への手配や配慮、それらをまとめて精査する仕事に報告。目の前の仕事をこなすので精一杯だだ。
こういった、現場とは別の論理で回っている人間相手への対処法を学ぶような余裕がないのだ。実際、自分ですら残業する日々なのだから。
「どうかしたのですか、ヒンナル所長」
本部から来た運営部門の担当が咎めるような口調で言ってきた。自嘲の笑みが口元につい浮かんでしまったらしい。
「失礼しました。次々と難題が出て来るものだな、と思いまして」
「たしかに……。こうして利益が出るまで苦労しましたな」
「ところでヒンナル所長はどうお考えで? 西部支部のお二人だけで無く、現場の所長の意見もそろそろお聞きしたのですが」
遂に来た。自分は責任者だ、この問いかけを回避することは出来ない。先程までずっと黙ったままなのも、何度も資料を見直して検討していたためだ。
資料を見直しながら、ヒンナルはできる限り平静になることを心がける。
「僕個人としては、ダンジョンを攻略すべきかなと思います」
その言葉に、本部人員だけで無く、サズとクライフもギョッとした顔をした。
失礼な、とも、それもそうだ、とも思いつつヒンナルは思うところを伝える。
「この資料によると、暴走は数年先とありますが、場合によっては明日とも明後日とも読み取れますね」
「いや、それは極端な解釈では?」
本部の人間が困り顔になった。ヒンナルはそこを逃さず、得意の細部をつっつく解釈を続ける。
「資料室の統計は正確です。時期的に余裕はあるのでしょう。しかし、例外はいくらでもあります。特にこの西部ダンジョンは他と比べて非常に特殊なようですし。そうだね、サズ君」
「は、はい。出現する魔物や、ダンジョンの構成から特殊な造りになっています。想定外の事態が起きる可能性は十分あるかと」
上手い言い回しだ。慌てつつもサズがこちらに合わせてくれたのに密かに感謝する。
「時間的に余裕のある今のうちに、対処すべきでしょう。幸い、四階以降の収益で全体的に黒字化しつつありますし」
「し、しかしそれでは……」
「討伐を決定してすぐに中枢がいなくなるわけじゃありませんし、それなりに収益はあると思いますよ」
「急ぎすぎですぞ、ヒンナル所長。ここはもっと利益を出してからの方が」
「ダンジョンは、こちらの都合に合わせてくれないと思うんですよ」
それは、ヒンナルがここに来てからの実感だった。ダンジョンは人間に対して都合の良い存在ではない。ある日突然牙を剥く。いや、牙を開けている口の中に飛び込んでいるのが冒険者なのだ。
「そこを何とかするための攻略支部でしょう。これだけやって利益が微妙な黒字では、貴方の責任問題も問われますよ」
「責任ね。いいじゃないですか」
「…………」
思い切った言葉に黙り込んだ運営担当に、ヒンナルは資料を開きながら続ける。
「もし、暴走が起きて王都に人的被害が出た場合、貴方達の責任にして良いなら、現状維持でも構いませんよ?」
その一言に、本部の二人は顔色を変えた。わかりやすい、そこまでの覚悟はなかったんだろう。かつての自分もそうだった。
「今なら、僕の責任で王都を暴走から守ることができる。そう思うことにしませんか?」
「…………」
この言葉に、部屋の全員が信じられないものを見る目で自分を見ていることを、ヒンナルはよく自覚していた。
責任を取るなんて言葉を使うのは、彼も産まれて初めてだったのだ。
できれば取りたくないと思って生きてきた、それも事実だ。
だが、今回ばかりは話が違った。自分の責任でできることをやるべきだと思った。
思い出すのは数日前、血まみれになって帰ってきた冒険者の友人達だ。
ダンジョンが暴走すれば、あれよりも酷いものが王都で繰り広げられる。
それだけは見たくない。そう思うくらいの心の動きが、この仕事を通して、ヒンナルの中に生まれていた。
「では、特に意見がないなら、それでいきましょう」
あの時、目の前で知り合いが命の危険に晒されているのを見た時、ヒンナルは自覚したのだ。
利益云々よりも優先すべき事があるのだと。少なくとも、自分はそう考える人間なのだと。
その後、会議に反対意見はなく、五階攻略が方針決定された。
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