第60話:ヒンナルの悩み

 王都西部ダンジョンはその名の通り王都の西にある。

 とはいえ、名前から想像されるような街の中に、突然ダンジョンが現れるといった異常な風景を形成しているわけではない。

 現在の王都は三つの城壁を持ち、その向こうには新しい街並みが広がっている。

 ここ二十年ほどで形成された地域だ。範囲が広く人口がどんどん増える上、治安も良いため、城壁に囲われない地区が自然と生まれてしまった。


 西部ダンジョンはその新しい地区の外れ、都市の境界線ギリギリの絶妙な場所に発生した。


 アストリウム王国の場合、新規にダンジョンが発見されると、冒険者ギルドによって管理運営された攻略村とも呼ばれる集落が形成されることが多い。

 今回もその例にもれず、西部ダンジョン周辺にはちょっとした規模の新しい村が生まれていた。


 どれも簡素というのがしっくりくる建物ばかり。簡単な取引を目的とした店ばかりの村だ。目を引くのは、店構えはともかく、量の評判が良い酒場くらい。

 そんな街並みともいえない地区の中で唯一立派ともいえるのが、冒険者ギルドである。


 王都西部ダンジョン攻略支部支部長。

 それが、ヒンナルという男に与えられた地位だった。


「……なんで人材についての返事だけはこんなにも遅いんだろう」

「それは私にはわかりかねます」


 呆然と言い放った言葉に、事務的な答えを返される。

 ヒンナルにとっては慣れたものだ。大量の書類が積み上げられた机を前にして、今日も彼は仕事に忙殺されていた。


「幸いなのは物品の補充がされていることですね。しばらくは攻略が安定するんじゃないですか?」

「今の状態で安定しても困るだけなんだが……」


 着任当初の勢いはどこへやら、少しやつれた顔のヒンナルはそうぼやくが、目の前のギルド職員、コレットはどこ吹く風だ。


「ダンジョン攻略が停滞するなんてよくあることですから、落ち着いて構えるべきですよ」


 落ち着いて構えたら自分の立場が危ういんだ! 一瞬、喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込む。

 コレットは西部ギルドから来ている優秀な職員、自分への態度はともかく、下手な対応をして戻られては困る。


「引き続き、人材の要請はしておくよ。他に報告はあるかな?」

「いえ、それはそれとして、収支報告が本部から届いています」

「…………」


 机の上にギルド本部から届いた封筒を置いて去っていくコレットの背中を見送ると、椅子に深く腰掛け直し、大きなため息を一つつく。


 収支報告、これが今のヒンナルにとっての悩みの種だった。

 アストリウム王国はダンジョンが主要産業の一つだ。

 言い換えると、ダンジョンとはそのくらい大きな利益を生み出す産業なのである。

 ただし、上手く回れば、の話だが。


 ダンジョンから産出する魔物からの採取品、希少な鉱石類や植物類。あるいは人工物風ダンジョンなら宝箱から財宝が得られることもある。

 そういった経済的に恵みをもたらすのが良いダンジョンだ。

 そうでない場合は、よくないダンジョンとして、手早く攻略してしまうのが王国内の一般常識である。


 西部ダンジョンを経済活動として見た場合、「非常に良くない」というのが現在の評価だった。攻略は三階で停滞。しかも、その階層には危険個体が複数いたくらいで、目立った産出品はなし。

 経済的においしくないなら、とっとと攻略してしまいたいが、それすらできない。ひたすらギルドの収支を圧迫する存在。


 特に初動が上手くいかずに余計に予算がかかってしまったのが良くなかった。治療用の施設建築や、冒険者向けの設備拡充で同規模のダンジョンよりも多くの金がかかっている。


 ヒンナルにとって不幸なのは、それら全てを決断したのが自分であることだった。右も左もわからないうちに、どんどん提案を通していった結果がこれだ。


 攻略できる人材を要請しているが、来たのは資料室とかいうよくわからない部署からの人員が一名だけ。しかも、ずっと書類を書いていて何をしているのかもわからない有様。

 

 このままだと自分が責任を取らされる。しかし、良い手立ても思い付かない。


 そんな現実がじっくりと彼は苛んでいた。


 今日も補充の治療薬についての書類へサインをして、冒険者の収穫を確認する。微妙に赤字だ。せめて、珍しいものを採取できる魔物でも出てくれればいいのに。


「……ふぅ、今日はこれで終わりかな」


 状況は絶望的だが、仕事には慣れた。日が暮れて少したった頃、一日の仕事を終え、席を立つ。

 申し訳程度の言葉で見送られながら、ヒンナルは攻略支部の外に出た。


 閉塞感のある建物から外に出ると、少しだけ気分が晴れた。

 時刻は夜だが、まだうっすらと明るい。支部前の道は土で固められただけのものだが、そこに沿って店が立っている光景を見るのは、悪い気分ではなかった。


 冒険者は夜通し働くこともあるが、多くの場合、日暮れに合わせて飲み食いをする。

 最初は外まで聞こえる大騒ぎをする彼らに辟易したものだが、今は真逆の印象を持っている。命がけで働いていれば、騒ぎたくなることもあるだろう。


 そんな大騒ぎが聞こえる酒場にヒンナルは入っていく。心なしか足取りも軽い。


「あ、ヒンナルさん! お疲れ様です!」


 入ってすぐに見知った顔に声をかけられた。

 まだ二十にもなっていない若者達だ。男女三人でテーブルを囲み、肉類多めの食事をとっている。始めたばかりらしく、まだそれほど酔いは回っていない模様だ。


「お疲れ様。ご一緒してもいいかな?」

「どうぞどうぞ。席寄せますから!」


 短髪とよく鍛えられた筋肉が印象的な男が言うと、仲間達がすぐに席を作ってくれた。


「今日も無事だったようだね。良かった」

「あんまり上がりが少ないから微妙ですけどね」

「でも、なんとか食べていけてます」

「ここの親父さんが安くて量多めで出してくれるからだな!」


 若者たちがそれぞれ元気よく言葉を発するのを見て、ヒンナルは自分の心にのしかかる重石が少し軽くなった気がした。


 この酒場で一人寂しく昼食をとっている時、彼らに出会った。

 出会い頭に「ありがとうございます」とお礼を言われた時は訳がわからなかった。聞けば、仲間が怪我をした時、ヒンナルの設置した治療所で命を救われたのだと言う。


 自分の仕事で人に感謝されるなんて、想像もしていなかったヒンナルにとって、それは衝撃的な出来事だった。

 その日以来、なんとなく彼らの動向が気になって、挨拶などをしているうちに、今では一緒に食事をするようにまでなったのである。


「攻略の方は進みそうかい?」

「難しいっすね。リナリーさん達が頑張ってるけど、上手くいってないですし。俺達は三階の魔物で一杯一杯だし」

「無理はしないようにね」

「もちろん! 命あってのなんとやらですよ!」


 攻略が進まないという言葉に重いものを感じつつも、若者たちと話すのは悪い気分がしない。何より彼らはヒンナルに対して素直な感情を表してくれている。正直、それが嬉しく、救いにもなっていた。


「では、この辺りで失礼するよ」


 その日、ヒンナルは彼らに酒を奢ってから店を出た。


「あ、ヒンナルさん、まだここにいたんですね。ちょうど良かった」


 ほろ酔い加減で店から出ると、聞き慣れた声に呼び止められた。

 振り返ると、そこにいたのはギルド職員のコレット。彼女も少し前に業務は終わっているはずだ。どうやら近場で夕食を済ませたらしい。


「どうかしたのかい?」

「ヒンナルさんが帰ってすぐ後、連絡があったんです。攻略向けの人材が、明日にでも到着するって」

「なんだって? それで、どんな冒険者が?」


 思いがけない朗報に湧き上がる喜びを隠さずに、久しぶりの明るい表情で聞く。具体的な報告を聞くのはとても大事だ。


 対するコレットはなぜか歯切れが悪い感じだった。


「えっと、ですね……。驚かないでくださいね」


 直後、ヒンナルの表情が完全に固まった。

 

 やってくるはずのない人物が、着任すると聞いたのだから。

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