第51話:緊張

 今ではアストリウム王国最高の権力者とも呼ばれるオルジフ大臣の経歴は、地方の役人から始まる。

 家柄もそれほど良くなく、職として得られたのも地方の平役人。その程度の触れ込みで世に出た若者は、とても頭が良かった。

 一度覚えたことは忘れない。覚えたことは的確に応用する。無愛想なようでいて、周囲の人間関係に気を配り、的確な助言や手配を行う。

 これは将来が楽しみだ。偉くなるぞ。


 周囲の評判はそんな感じだったらしい。まさか、国で一番偉くなるとは誰も思わなかっただろう。


 彼の転機は地方にやってきた王国重鎮の目にとまったことにある。案内役に抜擢されたオルジフは、十分以上に役目を果たした。重鎮の質問に的確に答えるだけで無く、王都の事情にまで精通し、お偉いさんを的確に喜ばせる提案までしてみせたのだ。

 それから一年後に、オルジフは王都へ異動。そのまま出世街道を駆け上っていった。

 今となっては案内役を担ったのは偶然では無く、狙ったものだとされている。


 死後に何冊も伝記を書かれそうな人物。書類と戦うことで伝説を打ち立てたのが、オルジフ大臣だ。

 少なくとも、俺の前に気軽に現れるような人間じゃない。


「……どうかしたのかな?」

「いや、いきなり大臣が現れれば警戒もするだろうよ。特にサズ君は」


 ああ、といってオルジフ大臣は軽く笑った。


「とりあえず座ってくれ。君に何かするために来たわけじゃない。ただ、古い友人と飲む前に若者と雑談をと思ったのでね」


 緊張感ある印象はともかく、口調は柔らかい。逆らう理由もないので、俺は素直に着席した。


「雑談、ですか?」


 頷きながら、大臣は手ずからお茶を淹れた。


「こいつの用意するお茶は不味いだろう。健康に良いとかいって苦かったり渋かったりだ。これは私が用意した王族も飲んでいるものだから、安心して味わってくれ」


 大臣の言葉に室長が「うるさいわい」と楽しそうに呟いた。

 事務所に沢山ある安そうなカップに、明らかに不釣り合いな高い中身が注がれる。

 この人の立場で俺に毒を盛る理由はない。一言断ってから、お茶を口にする。


「おいしいです」

「それは良かった」


 大臣は目を細めた。いや、本当に美味しい。


「思った通り、話が通じそうな若者で安心したよ。サズ君の疑問をいくつか解決するために、こうして時間を作ったんだ。いや、これだと偉そうだな。仕事の後にちょっと会ってみたいと思ったんだ、君と」

「わざわざ俺と会って話すことなんてあるんですか?」

「あるとも。元々は、ルグナ姫のところに有用な人材を送りたいと思った所で部下が目を付けたのが君だった。ちょうど、動かす理由もあるようだったしね」


 そんな最初の段階から俺に関わっていたのか、しかし、忙しいだろうに、しっかり覚えてるんだな。一度覚えたら忘れない、噂通りか。


「驚くことはない。私は一度見たことを忘れない。その時は、良い人材がいたな、と思った程度だった」

「俺は大臣の目にとまるほど優秀じゃないですよ」


 にこやかなまま、オルジフ大臣は頭を振る。


「サズ君、冒険者のうち、神痕を使いこなせる者は全体の何割くらいだと思う?」


 俺は少し考えた。これまでの見てきた冒険者から、大ざっぱに神痕持ちの数を計算する。その上で、使いこなせるといえたのはどれくらいだったか……。


「三割くらいですか?」

「もっと少ない。神痕を得る者が多めに見て全体の五割。その半分が殆ど使えずに引退だ。更に、使えるといっても自由に肉体を強化したり、常時発動させるなど、本当の意味で神痕を使いこなす者は更に少ない」

「せいぜい、一割といったところじゃろうなぁ」


 室長が付け加えた。


「その意味では君は冒険者時代から優秀な部類だった。引退後のギルドでの仕事ぶりも悪くない。力も少し残っていたしね。真面目に働きそうな経歴も良かった」


 この人は自分の経歴を全て知っている。教えたのは室長だろう。日々の資料作成の中に、俺の情報も含まれていたに違いない。恐らく、いや間違いなくイーファについても同様だ。


「ルグナ姫には酔った時の無礼に加え、結果的に地方送りにしてしまった件で悪く思っていてね。これで多少は埋め合わせができたと思っていたら、君は思わぬ成果をだした」

「俺一人でやったわけではないです」


 警戒を浮かべながら言うと、わかっているとばかりに笑顔で流された。そして、気にすることはないとばかりに楽しそうに頷きながら話を続ける。


「同僚のイーファ君もなかなか興味深い存在だ。ともあれ、君は神痕を回復し、魔女に祝福され、ピーメイ村を救い、世界樹の根についての仮説をたてた。そこにルグナ姫からの指示での王都行きだ。私にも手紙が来てね、自ら接触すべきかを考えたよ」


 ルグナ所長、まさか大臣にまでお願いしてたとは。たしかに、強力な味方だ。でも、この人は恐すぎる。


「……なあマテウスよ。ルグナ姫の名前を出せば警戒を解いてくれるかと思っていたのだが」

「いや、お前さんが情報通過ぎて恐くなったんじゃろ。サズ、正解じゃぞ。この男は常に陰謀を張り巡らせ、隙あらば新しい策を繰り出すような奴じゃ」


 その大臣と親しい室長も恐い。警戒を解きたいけれど、気を抜けない。


「俺を安心させようとして話している、ということは理解しました」

「それは良かった。以上が、私がここに来た理由だ。ルグナ姫の部下である君達を陰謀に利用する気はない。信じてくれないかもしれないが、これは本心だ」

「でも、なにか理由があって、俺と接触すると結論したってことですよね」


 先ほどまでの説明では「考えた」と言っていた。なにかしら、俺にさせようとしてくるのは間違いない。


「この資料室は重要な情報源の一つでね。必要な情報をもたらしてくれる。資料室なんて名前が勿体ないような部署だよ」

「一応いっておくが、大臣お抱えの情報機関というわけではないんじゃぞ。ただ、協力関係にあるだけじゃ」

「昔からね」


 資料室は情報機関、それも大臣と繋がりの深い。納得だ。自分のことも常に報告がいっていたんだろう。


「今日、ここでサズ君と会ったのは、興味もあるが、取引のためだ。今、君達の調査は難航している。頑張っているが、資料が膨大すぎるだろう。いくら『発見者』でもただの職員の範疇を超えた資料の精査には苦戦もする」

「正直、途方にくれてますよ。それで、取引というのは?」


 隠し事をしても無駄だと思い、俺は正直に聞いた。


「ある人物を探して欲しい。報酬として、私の権限で出払っている資料室の職員を呼び戻し、君の仕事のための情報精査に回そう。この国で、私の次に記憶力の良い連中の集まりだ、頼もしいぞ」


 室長の方を見ると頷く。ちょっと楽しそうだ。

 たしかに悪い取引じゃない。話によると、職員の人達はここの資料を概ね把握している。情報の扱いも自分よりうまい。彼らの用意した資料を見れば、色々と捗るだろう。


「取引の内容次第です。できないものは、できませんから」


 了承ともとれる回答に、大臣は笑みを深くした。


「王都の魔女、を見つけて欲しい。昔から私の仕事を手伝ってくれる魔女なんだが、条件が見つけ出すことでね。少し、難儀しているんだ」


 表情に出ていたんだろう、俺が驚いたのを見て大臣はより楽しそうに笑った。


「魔女捜しなら君は実績がある。資料も用意する。イーファ君も一緒だ。どうだね、やってみる価値はあるだろう?」


 俺は、少し考えてから答えた。


「成功は保証できませんよ?」

「それでいいとも。私が思うに、君がここで慣れない資料漁りをするより、よほど良い決断をしたといえるね」


 そういって、大臣は分厚い資料を机の上に置いた。


「明日からこの仕事にあたるといい。話は通しておく。……まったく、今回は本当に上手く隠れおって」

「お前さんが嫌われてるんじゃよ。こき使うからじゃ」

「心外だな」


 資料を受け取った俺を見て、美味そうにお茶を飲む大臣。


「なに、悪いようにはしないから、安心したまえ」


 そう言われてもう一杯お茶を貰ったが、最後まで緊張は解けなかった。

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