繭から出たら其処は異世界

「貴……は……格です」


 と、鈴を転がしたような声が、籐也の耳に届く。

 声色からしておそらく女性であろう人物は何かを喋っているようだが、ザザッとノイズが走ったように上手く聞き取る事が出来ない。

 それでけではなく、籐也の体は目や口を開ける事も指一本動かす事も出来なかった。まるで、全身が石にでもなったようだ。

 だが、柔らかく温かい物に包まれている為か、辛いという気持ちは全くない。寧ろ心地が良くずっと此処に居たいと思ってしまう。    

 まるで、母親の胎の中を漂っているようだった。


 ここは天国だろうか。

 俺は、あの後、死んでしまったんだろうか。 


 あれだけ大量出血したのだから死ぬに決まっているかと、籐也は心の中で自嘲する。人を助けようとして自分が殺されるなんて、やっぱり冴えないサラリーマンだ。


 誰かのヒーローになんて、なれる筈がなかった。


「ギフ……与え……」


 女性の声と共に、頭から足先まで指先で触られる感覚を感じながら、藤也は最後に振り返った女子高生の姿を思い出す。

 女子高生は何故あの時、藤也の元に戻ってこようとしたのだろう。霞んだ視界で女子高生の表情などもう見えなかったが、何かを伝えようとしていたのだろうか。

 意識を失った藤也には、その後の事は知る由もないが、それでも、あの女子高生が生きてくれれば、自分の人生に少しだけ意味が与えられるかもしれない。

 救った人間の身勝手な願いだが、名前も何も知らない彼女が、どうか“幸せな一生を送れますよう”にと心の底から願う。

 籐也がそう願っていると、瞼の上に細みの手のひらが置かれる感覚と共に、今までノイズまみれだった女性の声がハッキリと聞こえた。


「さぁ。前の世界の事は忘れなさい。そして、少しでも世界の役に立つのです」


 鈴を転がしたような声が聞こえた瞬間――籐也は弾かれるように瞼を開けた。


***


 飛び込んできたのは一面の白だった。

 籐也は二、三度瞬きをすると、はっきりしない頭を押さえ辺りを見渡す。どうやら、自分が円形のふわふわとした綿のような何かの中にいるようだ。

 まるで、近未来のSF映画に出てくるカプセルのようで恐る恐る壁に触れると、柔らかく爪を入れれば簡単に裂けてしまいそうだった。


「ここは……どこだ? 俺は……」

 

 頭がズキズキと酷く痛む。

 顔を顰めながら一体何があったのか思い出そうとするが、公園で首を切られた事以外、霞がかかったようで思い出すことが出来ない。

 誰かを助けようとした気がするのに、その人を思い出そうとすると激しい頭痛に襲われた。


「いっ゛っっ……!!」

 

 激しく痛む頭を押さえ、前屈みになり唇を噛み締めながら悶えてると、薄い壁の外から声が聞こえてきて、籐也は汗を滲ませながら薄目を開けた。


「……人……様〜。……ないの……かな」


 真っ白な壁の外で誰かが話している。

 けれど、壁があるせいで全てを聞き取る事が出来ない。


「誰か……」


 はっはっと短く息を吐きながら籐也は痛む頭を押さえ、真っ白な壁に爪の先を食い込ませた。

 籐也が思っていた通り壁には、簡単に小さな穴が出来た。隙間に指先をグリグリと捩じ込んで、穴を大きくしていく。ぶちぶちっと言う裂ける音が聞こえたが、気にしている余裕は無くどんどんと穴を広げていく。

 あっという間に、両手が入る大きさになり籐也は穴に両手を入れて、左右で掴むと勢いよく壁を裂いた。

 ぶちぶちという音を立てて上下へ裂けていく。

 人が通れる大きさになった穴からは、眩しいの程の光が差し込んできて、籐也は目を閉じながら壁の外へと身を乗り出した。


「うわっ!!」


 という幼い少女のような声が聞こえ、何も考えず身を乗り出した籐也の体はぐらりと前へと傾き、勢いよく地面に落ちた。


「いた……」


 ドサリという音と共に全身を打ち付けた籐也は、片目を開けながら何とか起き上がると其処は見たことがない場所だった。

 魔法陣のような物が書かれている真っ白なレンガで作られた円形の床。魔法陣が書かれている周りには澄んだ水が流れて、その周りには色とりどりの花々が咲いている。  

 吹き抜けの天井からは太陽の光が差し込み、美しい空間を照らしていた。

 囲うように真っ白な石で出来た柱が立ち、中心部分にベールで顔を隠した女性が祈りを捧げている石像が立っていた。

 美しい光景よりも、目を引くのは魔法陣を柱や壁にぶら下がっている真っ白な繭のような物だった。籐也がゆっくり顔を上げる頭上に裂けた繭があった。


 どうやら、先程まで籐也が居た場所は繭の中だったようだ。


「ここは……天国か??」


 ここが天国ならば、想像していたよりも美しい場所だなと思っていると、目の前に手のひらより少しだけ大きい少女が現れた。


「わぁ!! 新しい異人様だ!! ようこそ!!」


 と、パタパタとグレーがかった4枚の翅を交互に動かしながら飛んでいる少女が両手を合わせニッコリと微笑む。

 まるで織り糸のような細い黄金色の長髪に青いフリルの付いたワンピース。緑がかったまるで宝石のような瞳に、グレーがかった4枚の翅は、ゲームやファンタジー作品で見たような妖精そのものだ。

 だが、妖精は物語の中だけの存在で実際には居るはずがない。

 そんな、妖精が現れた事に驚いて固まっていると、少女が籐也の目の前で小さな手を上下に振り始めた。


「大丈夫ですか〜!! 異人様〜〜!!」


 ずいっと小さな体を近づけて、籐也の額や瞼、鼻などをペタペタと触っていく。


「生きてるかな〜??」


 と、中身を確かめるように頭をコンコンと叩いてくる少女に、はっと意識を取り戻した籐也が声を上げた。


「あ、あの此処は何処ですか? それに、貴方は……??」


 此処は何処なのか。本当に目の前に居るのは、御伽話に出てくる妖精なのかなど、色々と聞きたい事があり過ぎて頭の中がこんがらがる。


「あ! 喋った! 喋らないから死んでいるかと思ったよ〜〜!! えっと、此処はザルドカイン大陸だよ。そして、私は妖精です〜!! ようこそ。異人様」


 あまり世界地図には詳しくは無い方だったが、それでもザルドカインなどという地名や国は聞いたことが無かった。

 手のひらより少し大きい少女は、自らを妖精だと名乗っている。背に付いた4枚の翅。信じられないが何処から見てもお伽噺で読んだ妖精そのものだった。


 一体、何が起こっているんだ。と、籐也は頭を押さえ俯いた。


「……ザルドカイン? そんな地名聞いたことがないんですが。それに……妖精って……一体何が……ここは日本。いや、地球じゃないんですか?」

「……ちきゅう?? あー!! 昔、そんな事を別の異人様が言ってたなぁ。ごほん。えーっとね、此処はちきゅうじゃないよ。別の異人様の言葉を借りるなら、此処は異世界です!! そして、私は正真正銘妖精だよ」


 地球じゃない? 異世界?

 漫画やアニメで散々異世界という言葉を目にしたが、そんなこと実際に起きるはずがない。トラックに跳ねられても、首を切られても行くのは天国か地獄だと思っていた。

 籐也には異世界に来たなんて、にわかには信じられなかった。けれど、実際に籐也の前で小さな少女が飛んでいる。

 操っている人も、吊られている糸も見当たらない少女が腰に手を当てて籐也を見つめている。


「異世界だなんて……そんな……」

「大丈夫ですよ〜。皆さん、最初は信じられませんから」


 妖精がくるりと空中を回って、籐也の頬に指先ほどの大きさの手で触れる。


「異世界から来られる異人様は、皆絶望したり泣いたり様々です。その為に、案内役である私"トゥーレ"が居るのですよ。異人様。貴方のお名前は?」


 トゥーレと名乗った妖精が、微笑みながら籐也の瞳を覗き込む。トゥーレの緑色の瞳を見ていると、不安だった心がどんどんと凪いでいくのを感じる。

 あれ程までに酷かった頭痛も、すっかり治まっていた。


「俺は……雪代 籐也です」


 するりと口から出てきた名前に籐也は口を押さえた。言うつもりは無かったのに。


「トウヤ様。覚えました! 宜しくお願いしますね! それと、トゥーレには敬語は不要ですよ!」

「……分かった。トゥーレ。この世界について教えてくれないか?」

「もちろんですよ!! それもトゥーレの役目ですから!! ですが、まずは繭の間から出ましょう」


 繭の間。

 そう呼ばれた空間を、籐也はぐるりと見渡した。真っ白な空間にまだ開いていない繭が何十とぶら下がっている。天井や壁にぶら下がっている様は虫の巣のようだった。

 籐也の目に、自分が出てきた繭が映る。無造作に割かれた繭は傾き、左右に揺れている。あれから出てきたのかと、籐也が思っているとトンと肩を叩かれた。


「トウヤ様。どうしました?」


 と、不思議そうに籐也を見るトゥレに繭を指さして口を開く。


「俺は、あれから出てきたのか?」

「はい。勿論です。皆さん召喚される時は、あの繭から出てくるのですよ。あの繭は女神様の魔力で作られた物なのです。女神様の説明も後でしますね〜」


 その言葉を聞いて、まるで羽化のようだなと籐也は思った。この世界に馴染む為に、繭の中で形を変えて生まれ直す。そんな風に籐也には思えた。


 繭から人が出てくる事が、普通のことのように笑うトゥーレに信じたくはないが、此処が異世界だと信じざる得なくなる。

 妖精、女神、そして魔力で作られた繭と異世界。

 どれだけ心の中で否定しようとも、目の前に次々並べられる此処が異世界だという証拠。

 籐也の脳裏には、残してきた両親や友人の姿が浮かんでは消えていく。もう日本には帰ることが出来ないのだろうか。


「なぁ。……帰ることはできるのか?」


 籐也の言葉にトゥーレは首を傾げる。


「帰る?何処にです?」

「にほ……元の世界に」


 そういうとトゥーレは、あぁといった表情をした後、残念そうな表情を浮かべた。


「残念ですが、此処から帰られた方は一人もいません」


 その言葉に脳裏に浮かんでいた両親や友人の姿が遠くなっていく。

 帰れない。二度とこの世界から。その言葉に籐也は唇を噛んだ。別れも言う事が出来なかったなと俯いて拳を握りしめる。


「トウヤ様?」


 翅音を立てて側まで来たトゥーレが籐也の顔を覗き込む。青ざめている籐也の顔に、トゥーレは目を細め小さな手で籐也の頭を撫でる。


「……大丈夫。大丈夫ですよ」


 小さな子供をあやすようにトゥーレは、ぺたりと籐也の頭に上半身をくっつけると何度も何度も頭を撫でながら、穏やかな旋律の歌を歌い出した。

 美しいソプラノボイスに、籐也の心は凪いでいく。落ち着きを取り戻した籐也はゆっくりと顔を上げると歌っていたトゥーレと視線があった。

 目を細めまるで聖母のように、美しい顔に微笑みを浮かべたトゥーレが口を開く。


「大丈夫ですか? 」

 というトゥーレに見惚れていた籐也が頷くと、にっこりと微笑んで籐也から体を離した。


「さぁ。トウヤ様行きましょう」


 小さな手を差し伸べるトゥーレに籐也は頷いて、指先をトゥーレの手のひらに乗せた。


「あぁ」


 籐也は立ち上がると、自分が出てきた真っ白な繭が視界に入った。

 裂けた繭に視線を向けると、ぽっかりと開いた穴の中には真っ黒な虚が広がっていた。


『さぁ。前の世界の事は忘れなさい。そして、少しでも世界の役に立つのです』


 と、美しい声が頭の中に響き渡る。

 籐也の瞳から光が消え。真っ黒な瞳で吸い込まれそうな虚を見つめながら、この世界の役に立つと小さく呟いていると、トゥーレが籐也の目の前で両手を振った。


「トウヤ様?大丈夫ですか?」


 トゥーレの声にはっと我に返った籐也が口を開いた。


「あ、あぁ。大丈夫。……俺、今何を」

「本当に大丈夫ですか? 少し休憩しますか?」


 と、心配そうなトゥーレに籐也は頭を振る。籐也はこの繭の間に長居はしたくなかった。繭から視線を逸らしトゥーレを見る。


「じゃあ、案内しますね。こっちですよ!!」


 と、手を振るトゥーレの後をついていく。トゥーレと共に扉から出ていく時、籐也は近くにあった開いていない繭を一瞥して部屋を後にした。

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