2-12 こういう時は、どちらから繋ぐものなのでしょうか?

「あ、才雅さいがさんっ……」

月城つきしろさん⁉ じゃなくて、――な、那由なゆ


 帰りの駅で降りたホームで。

 俺は那由とばったり出くわした。

 

 どうやらたまたま同じ電車に乗っていたらしい。

 時間は夜の21時……30分を少し回ったところだ。

 

「会社はもっと早めに出てなかったか……?」

「はい、少々お買い物を」那由はデパートの袋を片手で軽く上げて示した。「才雅さんは、今までお仕事ですか?」

「ああ。いつもよりは随分早くに終わった」俺は皮肉に片頬を上げてやる。

「お疲れ様です」那由は俺をおもんぱかるようにぺこんと頭を下げた。「ご飯は食べられましたか?」

「あ……そういや、食べるの忘れてた」


 いつもはケータリングの余りにありつくか、24時間営業の牛丼屋に入るか、コンビニで弁当を買って帰って食べるか……いずれにせよ不摂生な食生活を送っていて、特に夕飯に関しては決められた時間に食べるという感覚をすっかり失ってしまっていた。


「相変わらずお忙しいですね……よかったら、これから一緒に食べませんか」


 一緒に、という言葉に俺の胸がときりと高鳴った。

 

「賛成だ。どこか駅前の店に寄って――」

「あ……よろしければ、私が作りましょうか?」

「い、いいのか?」

「はい。スーパーに寄ってから帰りましょう」


 俺は心の中でガッツポーズをした。


「そういえば夕ご飯を作ってもらうのは初めてだな」

「この前は朝食でしたものね」


 ふははははは、と俺は内心で高笑いする。諸君、これがが持つ力だ。

 彼女カノジョの手料理を食べられる。女神が作ったご飯をひとつ屋根の下で食べられる。

 

 ――こんな幸せがあっていいものだろうか。


 俺はニヤけそうになる口元を押さえながら言う。


「た、楽しみにしてる」

「はいっ。期待に添えるようにがんばります」


 那由は微笑んでから、ふと百貨店の袋を俺とは逆側の手に持ち替えた。

 ふたりで帰り道を一緒に歩く。歩く。歩く。


 空には針のような繊月せんげつが浮かんでいた。

 街路灯の光に照らされてできたふたり分の影が、道の上で重なって揺れている。

 

 坂道に差し掛かったところでふと。

 お互いの手が


「「……!」」


 ぴたりと歩みを止める。

 この前の夜と同じだ。ソファの上で触れ合った手を――あの時の俺は握り返すことができなかった。

 今度こそ……と俺は思う。しかし、いや……か……?

 

 背筋に冷や汗をかきながら葛藤していると――


「あの……」


 那由が視線を地面に落としたまま。

 

「こういう時は、ものなのでしょうか?」


 そんなことを、訊いてきた。

 

「……っ‼」

 

 くるり。彼女は身体を俺の方に振り向かせて。

 頬を昂揚こうようさせ、俺の瞳を上目遣いで覗いてくる。


「才雅さんみたいに私には分からなくて……良かったら、教えていただけますか?」

「んなっ……⁉」


 俺はごくりと唾を飲み込んで、視線を泳がせた。


「あ、ああ……そ、そうだったな。が教えてやろう」


 俺はあくまで恋愛経験豊かな彼氏カレシを装いつつ、あたりをきょろきょろと見渡して。

 誰もいないことを確認してから。

 息を大きく吸って。


 吐いて。


 意を決して。


 ――きゅっ。


 と。

 那由の手を握ってやった。


「んっ」


 那由の口から妖艶ようえんな息が漏れた。

 ちらりと目をやると、彼女はどこか満足気で、それでいて悪戯いたずらな笑みを口元に浮かべていたような気がしたが……。

 街灯の影にちょうど重なって、細かい表情は見えなかった。

 

「……さすがは才雅さんです。彼氏さんと手を繋ぐことは、こんなにドキドキして――温かいんですね」

「あ、ああ……そうだな」


 冷静に返してはみたが、頭の中はそれどころじゃなかった。

 握り方はこれで合っているだろうか。力は強すぎないか。手を繋いだままで歩きにくくないだろうか。手汗は大丈夫か。心臓がばくばくいってるのが伝わってしまっていないだろうか――。

 

 様々な杞憂と焦りが脳内をぐるぐると巡っている。

 恋愛経験豊富を謳ってはいるものの、実際のところ俺はまったくの初心者で。まったくのハジメテのくせに。


 ――ああ、いや。


 俺はふと思い当った。

 昔一度、晴海あいつと手くらいは繋いだことがあったか。

 でも……そんな昔のことと今とでは〝次元〟が違う。

 幼稚園児なんて、すこし仲が良ければ手くらい友達どうしだって繋ぐだろう。

 

 少なくとも。

 その時は〝手汗の心配〟なんてこれっぽっちもしなかった。

 

 とめどなく浮かんでくる考えを、俺はぶんぶんと首を振って思考から追い払った。

 関係ない幼馴染あいつのことをなんで今考えているんだ?


 今現在、俺と実際に手を繋いでいるのは那由で――契約上とはいえ俺の彼女カノジョなんだぞ。

 もっと集中してこの瞬間の喜びを噛み締めるべきだ。

 

「これで……よかったか?」と俺は尋ねた。

「はい。良い練習になります」那由は満足そうに頷いた。「また色々、私に恋愛のこと教えてくださいね――

 

「……おう」

 

 那由の小さくて、滑らかで――どこかひんやりとした手を握りながら。

 マンションまで帰る距離が、あと2億キロくらいびないものだろうか、と俺は思った。

 

「……うん?」


 そこでふと。

 俺は足を止めて背後を振り返った。


「どうかされましたか?」


 那由が不安そうに聞いてきた。


「ああ、いや……なんだかを感じてな」


 視線だけじゃない。何やらカメラのシャッター音らしきものも聞こえた気がしたが……考えすぎか。

 近くに公園もあるし、そこで星空や夜景でも撮影しているのだろう。


「きっとだ」


 俺は那由を心配させないように、なるべく爽やかに微笑んでみせた。

 だけど彼女は一瞬びっくりしたように身を引いたので、多分月夜の闇にまぎれて強盗の計画を練るマフィアみたいな感じの表情になっていたんだと思う。


 

       * * *


 

 那由が作ってくれた夕ご飯は、人生で一番とても最高に素晴らしく美味しかった。


 

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ここまでお読みいただきありがとうございます!

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