2-11 元アイドルと幼馴染の恋バナ事情

「あの……江花さんにお聞きしたいことがあるのですが」


 オフィスビルの食堂にて。

 月城つきしろなゆたが同僚である江花晴海えばなはれみにそう尋ねていた。

 中本才雅なかもとさいがの姿はない。彼は午前のミーティングが長引いてしまい、ふたりとランチを一緒することができなかった。


「うんうん~! なんでも聞いちゃって~」


 晴海は唐揚げを美味しそうに頬張りながら言う。

 その後、持っていた水筒からコップにと透明な液体を注いだ。

 明確なアルコールの匂いはしなかったが、何やらふつうの水よりも粘度があるような気がしてならない。

 

 那由にとっては〝いつものこと〟なので特に気に留めず話を続ける。

 

「そ、その……才雅さんとはされたのでしょうかっ……!」


 晴海が何か物珍しい種類の蝶でも見つけたみたいに目をぱちくりさせた。


「ほえほえ~? なになに、~⁉」


 続いて晴海は目をきらめかせる。

 前のめりになって机の上に両肘を載せた。

 

「こ、コイバナ……!」


 今度は那由が一瞬目の奥をきらめかせ、こくりと喉を鳴らした。

 彼女も同僚とする〝恋バナ〟というものに憧れていたのだろう。

 

「なゆたちゃんがめずらし~! そういう話ならに任せといて!」


 晴海は自らの胸を叩いた。本人は『どん』とかっこいい音を鳴らすつもりだったが、実際は『ぽよよん』と胸部の膨らみがコミカルに揺れただけだった。


「あ、ありがとうございます……」


 ふう、と那由は息を吐いてほのかに頬を染めながら言った。


「江花さんは、以前に中本さんと〝お付き合い〟をされていたと伺いましたので……その……、と」

「えへへ、それで気になっちゃったんだ~」


 晴海はどこか得意げにしてから、内緒話をするように口に手を添えた。


「んとんと~才雅とはね~。をつないだりとか~」

「おて、て……!」

「あとあと~キスとか~」

「き、す……!」

「そそ! ほっぺにちゅーって」

「ほっぺに……!」


 晴海が語る言葉のたびに、那由は両手を自らの頬にきゅう、と押し付ける。その肌の赤は次第に色濃くなっていく。

 那由は少し迷ったようにしながらも、自らのたかぶった感情を落ち着けるように一度大きく深呼吸をしてから――


 その続きを尋ねた。

 

「あ、あの……、などもされたのでしょうか……?」 

「ふえふえっ⁉」


 晴海が驚いたように身を跳ねさせた。頭上の遊び毛がぴこんと立ち上がる。

 那由は続けた。

 

「その……恋人同士のき、……キスの際は……を、いれたりすると、うかがいました」

 晴海は目を白黒させた後に、「あはは~! まだそんなことはしなかったよ~」とお腹を抱えて笑い始めた。

「まだ……?」


 身体を折り曲げて屈託のない笑みを浮かべながら晴海は言う。

 

「うん! だって――ウチと才雅が付き合ってたのは【幼稚園】の頃なんだもん」

「……えっ」

 

 那由の中で複雑に絡まっていた糸が一気にほどけたようだった。


「よ、幼稚園……そう、だったのですね」

「だよだよ~。あ~おかしい」


 晴海はくつくつと未だ笑いを堪えられないようにしている。


「すみません、変なことをお聞きしてしまい……」きゅうと目をつむりながら那由は謝った。


 ぜんぜんだよ~と手を振りながら晴海が返す。


「ウチらが付き合ってたこと、才雅から聞いたんだよね? それだけでびっくりだよ~。才雅の方は覚えてないのかなあって思ってたくらいだもん。それか〝あんなの付き合ったうちに入らない~〟とかとか」

「い、いえ!」


 那由はまっすぐに晴海の目を見つめて言った。

 

「才雅さん、覚えてましたよ。江花さんのことは……〝元カノ〟だと」

「ほんと? えへへ、なんだか才雅からその呼び方されると照れるな~」


 晴海は片手を後頭部に当てながら左右に揺れている。

 

「でも、幼稚園の頃だったのですね。私、てっきり――」

「てっきり?」

「あ、いえ……」と那由は視線を空に泳がせてから続ける。「そのあとは、才雅さんとは〝そういう関係〟になったことはないのでしょうか? ふだん、とっても仲良くされているので」

「ぜんぜん!」晴海はきっぱりと首を振った。「才雅のやつ、女の子とか青春とか――そういうのにはさっぱり興味ない感じだったし。思春期とかあったのかな~? みんなが『誰々のことが好き~』って盛り上がってる横で、ずっとひとりで勉強したり本とか読んだりしてたようなヤツだったよ~」

「じゃあ……才雅さんは特にというわけでは――」

「まっっっっっっっったく! ないよ!」


 胸を張りながら晴海は言い切った。


「むしろ逆逆! 学生時代は恋愛とは対極の位置に居たんじゃないかな~」

「ということは……江花さんと才雅さんは、幼稚園の時に、を繋いで、」

「うんうん」

「ほっぺに……ちゅ、を……されて……は、まだなのでしょうか」

「あはは~しなかったよ~」

「そう、なのですね」


 那由はどこか安堵したかのように頬を緩ませて、

 

 ――では〝ハジメテ〟はたくさん残っているんですね。


 そんなことを。

 微かに囁くような声で言った。

 

「ふえ? なにか言った?」

「い、いえっ……なんでも、ありません」


 那由は自らのほっぺたを優しくつねるようにしてから、再び視線を晴海の瞳に戻した。


「あ、それでは……せっかくなので恋バナをもう少しだけ。江花さんは、どうして才雅さんと〝お別れ〟になってしまったのですか……?」

「ううん、良い質問だねえ」晴海はまるでどこかの教授かのように頷いたあと、急にあっけらかんとして言った。「フラれちゃったんだよねえ。『俺たちはこれからになる。そうなると、いままでみたいなのカンケーじゃいられない。おわかれだ』――可笑おかしいよねえ。幼稚園児じゃなくってそれこそのお別れの台詞みたい……ま、もともとウチが強引に迫って、半ば無理矢理付き合ってもらったようなものだったからね~」


 はあ、と晴海はため息を吐いてから、呟くように言った。

 

「でも……ウチにとっては、その時の関係も〝おあそび〟なんかじゃなくって……ずっとだったんだけどなあ」


 続く動作でぱちん、と手を叩いて仕切り直す。


「とにかく、それでおしまい! よくある子どもの頃の〝恋愛ごっこ〟のお話でした~、って! これでなゆたちゃんの聞きたいことになってた⁉」

「あ、はい……ありがとうございます。むしろごめんなさい、話しづらいことも……」

「ううん! ぜんぜんそんなことないから気にしないで~」晴海はからからと笑いながら言った。

「……色々なお別れの種類があるのですね」

「うむうむ。恋愛とは奥深いものなのだよ」

「勉強になります、先輩」

「またいつでも頼るといいよ~。あ! てかてかそういうなゆたちゃんは! ……って思ったんだけど、ずっとだったんだもんね。その間は? 本当になんにもなかったの?」

「はい……

「そっかあ。でもさ、もう恋愛禁止じゃなくなったわけでしょ~?」


 どきり。

 那由の鼓動が高鳴った。


「これから、今までの青春の分も取り戻せるような〝アツアツの恋愛〟ができるといいね~」

「……は、はい。そうなると、いいのですが」

「あ! もうこんな時間! せっかくだし、次はお酒の席でたっぷりやろうね、

「は、はいっ」


 那由がこくこくと頷いた。

 

「ではでは~! 我々ふたりに〝燃え上がるような青春〟が訪れることを祈って……かんぱ~い!」

「か、乾杯、ですっ」


 那由はアイスティーのグラスを。

 晴海は微かにとろみのある液体の入ったグラスを。


 互いに空で軽くぶつけ合って、ちりんと高らかな音が鳴った。

 

     * * *

 

 食堂からデスクに戻ってきた。

 那由は午後から会議があり、その準備をしている。

 ノートパソコンを胸の前に抱え、椅子から立ち上がり、晴海に向かってぺこんと頭を下げた。

 

「江花さん、本当にありがとうございました……!」

「いえいえ~またやろうね~」


 晴海は空でひらひらと手を振った。

 那由は律儀にもう一度ぺこりと頭を下げてから、会議へと向かった。

 

「あれあれ? そういえばなゆたちゃん、いつの間に才雅のことで呼んでたんだろ……」


 そんな疑問がふと晴海の頭を過ぎった。

 口元に指先を当てて、考えるようにしていたが――

 

「ま、いっか~!」


 それ以上は深く考えずに、晴海も仕事へと戻ったのだった。



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