第二章:疑似的な『恋愛関係』のある生活

2-1 料理はあまり慣れていないんです

「頭、いてえ……」


 ずきん。ずきん。

 脈と同調して頭蓋骨を締め上げるように痛む。完全完璧にだ。

 昨日はいささか飲みすぎた。


 何故か?

 俺の〝歓迎会〟を同僚であり幼馴染の江花晴海えばなはれみと、同じく同僚であり元・推しアイドルの月城つきしろさんが開いてくれたからだ。


 ――元・推しアイドル。


 そんな言葉で彼女のことを表現するには言葉が足りなさすぎる。

 

 あの時代のすべての中心にいた偶像に。

 空に浮かんで幻想的に輝いていた【月】であるキミに。


 ――俺は人生を賭して夢中になっていた。


 単に、推し、だとか。好き、だとか。

 そういった感情を越えた存在だったのだ。


 。過去形。


 そう。キミは人気絶頂の最中、突として芸能界を引退した。アイドルを引退した。

 まさしく青天の霹靂へきれきだった。俺の世界は終わったように思えた。


 だけどそのあとひょんなことから――俺は【月】と再会することになる。


 コスモス・プロダクション。

 もともと彼女が所属していた芸能プロダクションに、酒豪幼馴染・晴海の紹介で俺は就職することになった。


 そうしたら

 

 住む家を探していることを伝えると『一緒に住みませんか?』とすることになった。

 そして居候先のマンションで【秘密の部屋】を見た。部屋はありとあらゆる恋愛物語ラブ・ストーリーで溢れていた。『憧れなんです』と彼女は言った。『〝罰〟を受けてください』と彼女は願った。

 

 ――いつかくる〝本番〟のために、私のになってくれませんか?


「……はは」


 そうして時間は現在に追い付く。

 俺は月城さんが所持する高級マンションの最上階住宅ペントハウス――その【手前側】にある自分の部屋のベッドで痛む頭を抱えていた。


「どこまでが……〝夢〟だったんだ?」


 そうだ。昨日は俺は間違いなく飲み過ぎていた。

 〝罰ゲーム〟として月城さんと【疑似的な】になる――そんなものは罰ゲームどころか〝ご褒美〟だ。

 そんな都合の良いことがあるわけがない。俺は一体、どの場面から〝夢の世界〟に飛び込んだんだ?


「ふうむ……」


 首を捻って考えていると、どこかから料理の良い香りが漂ってきた。

 今日は入社以来初めての休日オフだ。時計を見る。朝の8時半をすこし回ったところだった。二日酔いさえ除けば、いつもより睡眠時間は随分と長く取れていた。

 

「隣の部屋で朝ごはんでも作ってるのか……?」


 そう呟いてふと気づいた。隣の部屋もなにも。

 この超巨大なでは、隣の部屋も、そのまた隣の部屋も彼女のマンションの1フロアなのだ。

 そこから美味しそうな香りが漂ってきたということは――


      * * *

 

「あ、おはようございます」


 月城さんがキッチンに入ってきた俺を見つけて言った。

 彼女は兎柄のエプロンにえんじ色の三角巾さんかくきん姿だった。うっすらとメイクもしているようだ。

 いずれにせよ尊い。どのあたりが尊いかって、家での料理なのにきちんとをしているあたりが激しく尊い。

 さらに尊いポイントをプラスするなら、一生懸命〝料理本〟を広げている姿もK点越えで尊い。なんだこの生き物は。朝から俺を萌え殺す気か?

 

(そういえば、月城さんが料理を作ってるところはじめて見るな)


 同棲が決まってからの間、俺は文字通り早朝から深夜まで家には帰らず多忙な毎日を送っていて、基本的には定時勤務である月城さんとは完全に生活リズムが合わないでいた。(お陰でその間の食事はすべて外食かコンビニだった。時折現場のケータリング弁当を食べられるのは有難かったが……それにしたって食べる時間も不規則だったし、不摂生な食生活極まりなかったな、とあらためて俺は思った)


「お、おはようございます。いい匂いですね」

 月城さんはぴくりと三角巾の端を揺らした。「朝ごはんの用意をしていたんです。もう少しでできるので、座って待っていてください」

「……へ?」

「恥ずかしながら料理の経験はあまり少なく……最近一生懸命レシピを見ながらしているんです」

 

 一時は芸能界の頂点トップに君臨していたアイドルだ。

 あらためてマネージャー業の端をかじってみて分かったが、全盛期の月城さんはそれはまあだったことだろう。そんな中で〝自炊〟をするのはなかなかハードルが高いので料理経験が少ないのも致し方ないと思った。社畜は数分でも〝睡眠時間〟を確保するために、人間的な生活を営む時間がどんどん犠牲になっていくのだ。自炊よりも外食か出来合できあい品の購入、もしくは出前や宅配。お金はかかるが、そっちの方が買い物や料理の手間も時間もかからず、その分を貴重な睡眠時間に回せる。


 というか。

 そんなことよりも。


「もしかして……俺の分も用意してくださってます?」

 月城さんは一瞬首を傾げてから、可笑しそうに言った。「ふふ。当たり前じゃないですか」 

「――す、すみません。ありがとうございます」


 俺は嬉しさやら気恥ずかしさやらで頭を掻きながら食卓の椅子を引いて座った。

 机に肘をついて、オープンキッチンで月城さんが料理する姿を見守る。

 途中でそれに気づいた月城さんが『ハッ』として、恥ずかしそうに料理本で自らの顔を半分隠した。


「あ、あまり見ないでください……緊張してしまいます」


 

 俺の中で尊さが弾け飛んだ。



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