1-20 月城なゆたと秘密の部屋

 一か月ほど暮らしたマンションの中で

 

 そんなことがあるのだろうか? あるのだ。


 もちろん月城さんのマンションが広すぎるということも大きいが、その時の俺自身も結構〝酔っぱらっていた〟のだった。

 見た目上は冷静クールぶって、飲みすぎる晴海や月城さんのことを心配するポジションを保ってはいたが、なにしろ憧れだった元・推しアイドルと初めて飲み会をご一緒したのだ。飲む速度は確実にいつもよりハイペースだった。(世界七不思議のひとつなのだが、男は好きな女性の前だといつもより多めにお酒を飲んでしまうものなのだ)


 というわけでその結果。

 肝臓によって分解しきれていない分のアルコールは足にふらりと、頭にぐらりと、思考にぼんやりと……


「……あれ? ここ、どこだ?」


 月城さんのマンションは構造上ざっくり2つに分かれている。玄関から入って【手前側】と【奥側】だ。(実際にその間には扉が一枚ある)

 【手前側】はリビングダイニングキッチンやお風呂、洗面所にトイレ、そして【俺の部屋】ともうひとつ空き部屋がある。

 そして【奥側】はになっていて、基本的に俺はそこに入ることはなかった。だから奥にどれだけの部屋があるのか? 何の目的の部屋があるのか? を俺は知らなかった。


「しまった……ここ、


 足元と視界が揺れている。まずい。思った以上に酔いが回っているみたいだ。

 俺は慌てて戻ろうとするが、どの扉がいつもの【手前側】に戻るものなのか分からなくなってしまった。

 

「ううん……このドアか?」


 がちゃり。

 焦点が合わなくなってきた視界の中で、そのドアノブをひねった。


「……うおっ」


 扉を開けた勢いのまま、俺はドアの枠につまずいて前のめりに倒れてしまった。

 

「いてて……うん? なんだ、ここ」


 すくなくとも月城さんの寝室ではなさそうだった。窓はない。ウォークインクローゼットにしては服は見当たらない。

 正面には何かのポスターが張られ、両壁にずらりと〝棚〟が並んでいるようだった。


「……書斎、か?」

 

 俺は少し気になって、いけないことだとは思いつつも壁を探って電気をつけてみた。

 

「……っ!」

 

 LEDの天井灯が部屋の全貌をあらわにした。

 書斎、というよりはだった。

 俺の目に飛び込んできたのは――ありとあらゆる種類の【恋愛物語ラブ・ストーリー】の所蔵だった。

 

 揺れる視界でどうにか周囲を見渡す。

 本棚には漫画――『君に届け』『ハチミツとクローバー』『花より団子』『となりの怪物くん』『ホットロード』『僕等がいた』『めぞん一刻』『きょうは会社休みます。』エトセトラ。小説もある――『君の膵臓をたべたい』『いま、会いにゆきます』『世界の中心で、愛をさけぶ』『植物図鑑』『ノルウェイの森』『夜は短し歩けよ乙女』『おいしいコーヒーのいれ方』『イニシエーション・ラブ』『アジアンタムブルー』エトセトラ、エトセトラ。それらを原作とした実写映画やアニメのも大量にあった。ポスターは『ローマの休日』『ゴースト/ニューヨークの幻』『きみに読む物語』『ラブソングができるまで』『美女と野獣』『タイタニック』――洋画のものが多い。


 原作にメディアミックス、オリジナル作品――

 その部屋にはありとあらゆる【ラブ・ストーリー】が集められているようだった。


「……本当に、月城さんの部屋なのか?」


 クールでミステリアスないつもの月城さんの姿が脳裏に思い浮かぶ。

 確かに自分自身が恋愛映画やドラマに出演することはあったが……そのにしては数が多すぎるし。

 何よりこの空間には〝愛〟に近しいナニカがあるように感じた。まるで俺が月城さんのグッズを大切にたっとびながら保管しているような――。

 

「……おわっ⁉」


 気管から変な声が出た。

 驚くのも無理はない。物色をしていたら、いつの間にか部屋の入口にが立っていた。


「あ! ご、ごめんな、さい! 帰り道が、分からなくなって、」

「………………」


 月城さんは黙っている。


「すぐに戻るつもりだったんですけど……俺も小説とか映画とか、好きなんで、はは……」

「………………」


 月城さんは、黙っている。

 当然だ。いくら悪気はなかったとはいえ、勝手に自分のパーソナル・スペースに入られ物色ぶっしょくされていたのだ。

 何かしら怒られても仕方ないだろう。土下座して謝ろうと構えた瞬間――


「ここは――私の【秘密の部屋】だったんです」


 月城さんが、囁くような声で語り始めた。


「え?」

「だれにも見られないようにしていた――私だけの部屋。秘密の場所」

「……」ごくり。俺は唾を飲み込む。

「秘密を見られたからには――〝罰〟を受けていただけますか?」


 ばつ。

 と月城さん言った。


 その2文字がうまく脳内で像を結ばない。

 ばつ……罰?


 混乱する俺の脳内はそのままに、月城さんは続けた。

 

「あの。中本さんは、その――昔、江花さんと〝お付き合い〟をされていたんですよね……?」


 す、っと彼女は音もなく廊下から一歩部屋に入ってきた。

 影になっていた表情が明るくなる。その全貌が分かる。


 そして俺は、彼女のその表情を――見たことがある。


「お、お付き合いって言っても、その……」

「どうなんですか?」

「は、はい! して、いました」


 ふう、と月城さんは意味深な息を吐いた。


「そんなな中本さんに――ひとつ、お願いがあるんです」

「へっ⁉ 恋愛経験豊富、ですか……?」


 ここで暴露しておくと、実はお付き合いといってもそれはの頃の話であったのだが……今のどこかしら異常めいた雰囲気の中でそのことは月城さんには言えなかった。


「あの、ですね――私、んです」


 恋愛禁止。

 それはアイドルであれば避けて通れない暗黙の了解ルール

 〝みんなのアイドル〟であり続けるためには必ず守り通さなければならない鉄の掟。


 しかし。

 月城なゆたは、アイドルを引退した。


 そうすると必然的に――恋愛禁止の規律からも解放されたことに確かになる。

 

 のだが。


「……え、えっと、それはつまり、どういう……?」


 俺の思考は混乱する。

 アルコールが回っていないシラフの状態だったとしても、うまく理解できなかっただろう。


 月城さんは恋愛禁止が解けた。それを今ここでとして――〝罰〟としての文脈で言い放つことの意味。

 それは一体なにを表しているのだろうか。

 

「私――実は、恋愛ものの物語が大好きなんです」


 月城さんは部屋をぐるりと見渡しながら、淡々とした声で。

 それでいて、中に激しく燃える炎のたぎりのようなものを含ませながら言った。


「ここにある作品はすべて何度も見返しています。私は昔から――そんな〝物語のような恋愛〟に強く、強く憧れていたんです。ですが、私はアイドルでした。当然、恋愛禁止の身分の私が〝恋愛〟をすることはできません。そうしてようやく――恋愛禁止のかせが外れたんです」


 月城さんは、この部屋に入ってきてから変わらぬ表情で。


 俺のよく知る表情で。


 ――、その魅惑の表情で。

 

「ですのでつまり、こういうことです」

 

 った。

 

「中本さん。いつかくる〝本番〟のために――私のになっていただけませんかっ?」

 

 ――え?


 俺は目を百回くらい瞬かせた後に。

 

「……はいいいいいいいいい⁉」


 思い切り困惑の声で叫んだ。


 ――どうやらお酒が入るとのは、月城さんも同じなようだった。

 

 だけどやっぱり。

 そんなもの



 

 断る。

 わけなど。


 


      * * *

 

 

 

 こうして俺と月城さんの間に。


 

 ――疑似的な【恋愛契約】が結ばれた。




==============================

推しとの同僚&同棲に加えて〝疑似恋愛〟まで始まりました……!


これにて第一幕が終了です。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!


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(今後の執筆の励みにさせていただきます)


引き続き本作をよろしくお願いします!

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