第2話 クリスマスの朝
深夜、急に目が覚めた。スマホを見れば午前4時過ぎ。
何の音もしなかった。カーテンをめくって納得した。既に雪は止み、二階にある部屋のすぐ下まで、白い雪が詰まっていた。雪は音を吸収する。だからとても静かなのだろう。
雪がここまで来ているということは一階は雪で埋まっている。明日は雪かき確定だ。そう思ってため息を一つついて寝直そうとすると、ふいに物音がした。
部屋の外で凍った雪でも雪崩れたのか、と思った矢先、その音が部屋の中から聞こえたことに気がついて心臓が跳ねた。慌てて見返しても暗い。リモコンでスイッチをつけ、思わずスイッチを取り落とした。
明るく照らされた部屋の中央に、真っ黒な何かがいた。夕食どきに現れたコテージの管理人から分かれた影が急に思い出された。
クネヒト・ループレヒト。サンタクロースである聖ニコラウスに付き従い、聖ニコラウスがよい子にプレゼントを渡す陰で悪い子に悪いものを置いていく。クリスマスの度に投げかけられたおとぎ話が思い浮かぶ。
「お前は悪い子かね」
その瞬間、嫌な予感が全身をかけぬけた。だから、反射的に即答した。
「いい子だ」
「……そうか、ならばよいだろう」
その影はひび割れたような不吉な声で答え、すぅと消えた。まるでそこにはもともと何もいなかったかのように。そしてふいに思い出した。俺はこの黒い影に小さいころに会ったことがある。それもこのコテージで。
あの時は確か子供部屋にいたはずだ。
子供部屋で六人ほどの子供と並んだベッドで寝ていて、同じように夜中にふと眼ざめ、隣のベッドとの間に黒い影がいて、隣の子供に何か話しかけていた。あれは誰のベッドだっただろう。そいつは寝ていて起きなかった気がする。それから俺も話しかけられたような。だめだ、思い出せない。
……そういえば黒サンタは悪い子どもをどこかに連れていくという話も聞いたことがある。
……まさかな。
気のせいだ。きっと寝ぼけてたんだ。
俺は窓の外に広がる白と黒の世界を眺めながら目を閉じた。けれども不吉な予兆に心がざわめいて、なんとなく眠ることもできずに朝を迎えた。
明るくなって窓を開けると、雪の降った朝特有のツンとしたにおいが鼻の奥に漂った。少し寝不足で重い頭をかかえて階下に降りると、そこにはクリスマスツリーに群がり、それぞれに用意された箱を開ける子ども達の姿があった。
子ども達の歓声を聞いていると、背後の階段からも楽しそうな声がかかる。
「おはようパベル、メリークリスマス」
「おはようイリナ、メリークリスマス」
だれからも見えないようにこっそり指を繋ぐ。案の定、一階の窓は全て雪で埋まっていた。こう雪で密閉されると外から冷気が入らないため、かえって暖かい。トーストを焼いてジャムを塗っていると父がやってきた。
「ひと段落したら雪かきをしよう。さすがに入り口くらい開けないと買い出しにも行けない」
「わかった、それにしても凄い雪だな」
ここは高い山の上だが、管理人の住む管理棟には冬用の資材が十分にため込まれている。必要に応じてそこに物資を買いに行く。このコテージにもある程度は備蓄されているが、こう寒いと薪なんかの嵩があるものは、追加で買いにいくかもしれない。
「こんな雪は久しぶりだな。何年前だったかな、お前が誰だかがいなくなったと騒いだ時以来だ」
「そんなことあったかな」
「そうだ、黒いサンタがきて誰かをさらったと言っていたが覚えてないか?」
ちくりと頭の奥に痛みが走った。
「どうだったかな」
「まあうちでまともな若い男手はお前くらいだからな。がんばってくれよ」
来た以上は仕方ない、とは思いつつ、その重労働に嫌気がさす。
午後は地獄だった。
雪かきは普段使わない筋肉を使う。白い雪は高地の強い紫外線を乱反射させ、それが皮膚に突き刺さる。サングラスは欠かせない。乾燥してるから喉も乾く。水分を補給しながら一仕事を終えるころには既に夕方で、一階玄関前に幅一メートルほどの通路ができていた。
思ったより随分時間がかかったな。なんとなく、昨日はもっと早く終わると思っていたのに。
結局一日が潰れてしまった。
だがまあどうせこの雪じゃ出かけられないからな。
ずいぶん疲れたから今晩はぐっすり寝れるだろう。灰色の空が垂れ込めていて、追加の雪を予感させた。スマホのラジオはもう繋がらない。各コテージを繋ぐ内線電話から明日も雪と言う予報が流れた。
夕飯後、イリナと二階に上がり、こっそりキスをした。大人たちは一階の広いパーティルームで酒を飲み、その一部ではカードで賭け事が始まったようだ。父さんと親戚の何人かの大人が興じているのだろう、時折笑い声が聞こえる。
イリナは少し俺の部屋で話をしたいと言った。けれども俺は疲れすぎてもうだめだ。昼間から時間が経って、腰と太もも、ふくらはぎ、肩、どこもかしこもパンパンで熱を持っている。こういう時はとっとと寝るしかない。イリナの部屋の前まで送ってキスをして部屋に戻った。なんだかひどく眠い。体が酷く重い。隠してあった酒を少しだけ引っ掛けると、窓の外には新しい雪が降り始めていた。
俺はグラスを枕元の文机において、いつのまにか泥のように眠りに落ちていた。
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