第23話 『 混浴と誓い 』


 一緒にお風呂に入るのが決まった訳だが、リアンは心の準備があるらしく、なので先にアノンが湯舟に浸かっていた。


「……アイリス、今頃どうしてるかなぁ」


 行方が気になる少女の名前を呟いていると、不意に、カラカラと戸が引かれる音が耳朶に届いた。


「お待たせ、アノン」


 声の方向へ視線を移せば、眼前。そこにはバスタオル一枚で美貌を隠した姉がわずかに恥じらう仕草をみせながら立っていた。


 真珠のように白く、艶やかな肌。すらりと伸びた足は美しい曲線美を描き、タオルでは誤魔化せない豊満な双丘が露わになってしまっている。


 これが世の男ならまさに垂涎滴るような極上の光景だが、しかし今その光景を見ているのは血の繋がった弟だ。


「はい姉さん」


 顔色一つ変えず、アノンは湯汲みを渡した。

 そんなアノンに、リアンはぷくぅ、と頬を膨らませると、


「アノン。お姉ちゃんの体を見て、何か言うことはないの?」



 拗ねた風に聞いてきて、アノンはやはり顔色一つ変えず答えた。

「いつも通り綺麗な肌だね」

「性的には? ……もっと具体的にいえば、ある場所がムズムズしたりしない?」


 何を食い気味に聞いてきてるだろう、と疑問に思いながら、


「べつに、ムズムズする場所なんてないよ」

「はぁ。そんなに女として魅力ないかしら」


 特に異常が起きていないことを伝えれば、何故かリアンはガクリ、と首を落とした。


「大丈夫? 姉さん」

「えぇ、大丈夫よ。ただ少し、女としての自信をなくしただけ」

「姉さんは女性としてすごく立派だと思うよ?」


 そう言えば、リアンは落としていた顔をぱっと上げて「本当に⁉」と聞いてきた。


「う、うん。僕はあまり人と関わることはないからよく分からないけど、姉さんみたいに美人で家事や料理、勉学に優れてる女性のことを理想の異性って言うんでしょ?」

「そうよ! お姉ちゃんは世の男にとっては理想の女性なの! 家事も料理も勉強もできて、さらにスタイルもいいの!」


 と、タオルの上から豊満な胸を叩く姉。


 どうして上機嫌になったかは分からないが、やはり姉は暗い顔より明るい顔の方が似合う。それに、ドヤ顔も可愛いし。


「アノンはそんなお姉ちゃんが大好きよね⁉」

「当然でしょ。僕は姉さんのこと愛してる」

「あっはああああん! アノンから愛してる頂きました!」

「姉さん⁉ 鼻血出てる⁉」


 戦闘でも一切負傷しない姉なのに、何故かアノンの言葉にはよく出血する(一部から)。


 ご乱心の姉は、数分経ってようやく落ち着きを取り戻すと、まだ湯舟に浸かってもいないのに体が熱くなっているらしい。


「アノン。体洗ってあげるからこっちに来なさい」

「えー」

「えー、じゃなくて。今日はお姉ちゃんの言うこと聞くって約束でしょ」

「正確に言えば一緒にお風呂っていう約束だけだよ」

「つまり、一緒にお風呂に入ってる間は私のお願いの有効範囲ということね」


 渋るアノンに、リアンは淡々と己の都合がいいように論破してくる。


「姉さんに体を洗われるの、苦手なんだよなぁ」

「どうしてよ?」


 眉根を寄せるリアンに、アノンは湯舟に顔を半分沈めながら答える。


「……姉さん。隅々まで洗ってくるだもん」


 それが恥ずかしい、というよりは、くすぐったいのだ。それこそ徹底的に、足の先から指の先まで隅々まで洗ってくるのだ。


「当然でしょ。アノンの地肌に触れられる数少ないチャンス……じゃなかった。体を清潔に保つのは当たり前のことなの」

「姉さんは過剰な気がするけど……」

「過剰じゃありません。弟を清潔に保つのも姉としての務めです」


 清ました顔で答えるリアンに、アノンは「これは何を言っても無駄だな」と諦観する。

 それから、はぁ、とため息をついて、


「なるべくくすぐったくないように洗ってよね」

「ふふ。了解」


 浴槽から立ち上がり、微笑みとわずかに涎が垂れているように思える姉の前に座った。


「ぐへへ。アノンの背中。おっほー。たまらないわぁ」


 背中からとてつもない邪悪な気配を感じる。


「……変なことしないでよ?」

「し、しないわよ~。……理性が保っている間は」


 ジロリと睨めば、リアンは下手な口笛を吹く。小声で何か言っている気がしたが、それに突っ込んでいるとキリがないので意図的に無視した。


 辟易とした風に嘆息すると、タオルにボディーソープを染み込ませる音が耳朶に届いた。


「はい。それじゃあ体洗っていくわよ」


 はいはい、と適当に相槌を打ったのを合図に、背中にタオルの柔らかな感触が伝った。


「アノンの背中。本当に大きくなったわね」


 ごしごし、と背中を洗う姉が、嬉しそうにそう呟いた。


「まぁ、身長は伸びてるからね。それでも、姉さんにはまだ届かないよ」

「ふふ。すぐ私なんか越せるわよ」


 と姉は言うが、リアンは女性の中でも身長は高い方だ。なので、アノンが急激に成長しない限り、姉を身長で追い越すのは夢のまた夢の話だ。


「アノンは自分より背が高い女は嫌?」

「そんな理由で嫌いにはならないよ。それに、背が高いと凛々しく見えるから、僕は好きだよ」

「ふふ。なら背が高くてよかった」

「姉さんは小さくても威圧がすごいから大きく見えそうだね」

「あらそれどういう意味かしら~。アノンはお姉ちゃんのこと、威圧が凄まじい怪力ゴリラだとでも思ってるの~?」


 背中を洗う手にわずかに力がこもった。


「そんなこと言ってないでしょ。姉さんが威厳あるのは王族として必然。時期王女なら猶更」

「アノンまでそんなこと言って。この家にいる時くらい、一人の姉として見て欲しいわ」

「それこそ今更だよ。僕はずっと、姉さんのことは姉さんとしか見てないよ」

「……アノン」


 姉が現国王、ヴォルフ=グレアの娘で、グレアスフォール時期王女など最初から知っている。


 けれど、アノンにとってリアンは、ずっと優しくて頼りなる最愛の姉なのだ。そこに王女も国の事情も関係ない。


「僕が姉さんを守るから、だから姉さんは、ずっと笑顔のままでいて」

「――――」


 顔は見ず、そう告げる。


 アノンの言葉に、リアンからの答えは返ってこなかった。


 ただ、背中を洗っている手が止まったことだけ分かると、突然その背中に柔らかな二つの感触が広がった。


「アノン」


 耳元で、名前を呼ばれた。


 後ろからぎゅっ、と抱きしめられていることに気付けば、アノンは俯いたまま姉に応じた。


「……なに?」

「今だけ、今だけでいいから、貴方の温もりを感じさせて」

「姉さんの好きにしていいよ」


 肌と肌が、隙間なく触れ合う感触。リアンの滑らかな肌が、タオルよりも心地よくアノンの肌に馴染んでくる。


「お姉ちゃんね。アノンが成長してくれるのは嬉しいの」

「……うん」

「でもね、私の為に、無茶だけはしないで欲しい」

「姉さんの為だけじゃないよ。これは、僕の為でもある」


 耳元で囁く銀鈴のような声に、静かな声で応じる。


「僕が、姉さんを守りたいんだ。姉さんは僕の為に色々頑張ってくれたでしょ。だから今度は、僕の番」


 同じ瞳の色が、今はお互い同じ髪色に隠れて見えない。

 今、姉がどんな表情をしているのかは分からないけれど、それでも伝えたかった。


「僕は姉さんのことを愛してるから。その愛する人の為に頑張るのは当然だって、教えてくれたのは姉さんでしょ?」

「……えぇ。そうね」

「だから僕も、愛する姉さんの為に頑張る。それを、どうか見守っててほしいな」


 言い切れば、数秒沈黙が降りる。


 そして、抱きしめる腕がさらにギュッと力を込めて体をより密着させると、ふふ、と微小が聞こえた。


「分かったわ。私がアノンを見守っててあげる。だって私は、貴方のたった一人の姉だもの」

「うん。僕の姉さんは、姉さんだけだ」


 抱擁する姉に、リアンは口元を緩めながら告げた。


 今日は、姉に無茶を聞いてもらったから、この抱擁も姉が満足するまでアノンから解くことはなしない。


 姉が弟に無償の愛情を注ぐように、弟もまた、姉へ無償の敬愛を伝えるのだった。

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