第15話 『 Lv0 』

 足早に街を駆け抜けて、向かうは我が家。


「アノンアノンアノンアノンアノンアノンアノンアノン」


 呪詛のように弟の名前を連呼しながら、リアンは最速で家の扉を叩いた。


「ただいまアノン!」


 愛しの弟に会える喜びと父親への鬱憤がないまぜになりながら帰宅したリアンは、アノンに「ただいま」と言ってもらうべく声のボリュームを上げた。


「……あれ?」


 しかし、リアンの帰宅報告に家内は静まり返ったままだった。

 おかしい。


「アノンの靴は、あるわね」


 もしかしたらまだ外にいるのかと思ったが、どうやらそれは違うようだ。


 視線を下げれば玄関には今日外出する際に履いたアノンの靴がある。


 家に帰っているならば、例え勉強中でも中断して玄関まで迎えにくる健気なのがアノンだ。


「もしかして工房にいるのかしら?」


 この家の離れに小屋がある。本来の用途は物置庫なのだが、多感かつ好奇心旺盛なアノンの手によって小屋は見事に工房と化してしまったのだ。


 そこにいるならばたしかに返事はないが、けれど靴があるのでやはり違う。


 残る可能性としては……


「ハッ⁉ もしかしてお風呂かしら」


 ピコンッ、と頭の上で閃いたような音がした瞬間、リアンの目が変わる。

 お風呂に入っているということは、つまりあれだ。


「アノンの裸が見えるわねっ」


 ぺろり、と舌を舐めずさるや否や、リアンは靴を脱いで小走りで風呂場へ向かう。


 アノンも年頃の男の子なので、年々お姉ちゃんと一緒にお風呂に入るのを躊躇ってしまう。


 とリアンは思っているようだが、実はそれはリアンの自己解釈だ。


 実際は、一緒にお風呂に入るとリアンがアノンを野獣のような目で見続けてくるから、危機感を覚えて一緒に入らなくなったのだ。


 そんな猛獣の姉は、久しぶりに弟の裸体を拝められるイベントに遭遇して大はしゃぎ。


 廊下を一直線に通り抜けて、リビングを通り抜けた先の最奥に風呂場がある。

 見れば風呂場に光が灯っていて、やはりリアンの推測は正しかった。


「アッノン~! お姉ちゃんが背中を洗ってあげるわ~」


 ガララッ、と勢いよく扉を引くと、リアンは涎を垂らしながら弟のプライバシーなど関係なく侵入する。


 服脱げば良かったな、と後悔しながらもリアンはアノンの裸体を拝めば――


「――はい?」


 弟の入浴タイムに侵入したリアンは、硬直する。

 そんな姉に向かって、アノンは――謎の女の子の髪を洗いながら振り返った。


「あ、姉さんお帰り。……うわっ。ちょっと急に暴れちゃダメだよ」


 ばたばた、とアノンの注意を無視して女の子が髪を振り乱して、飛んだ泡がリアンの頬を叩いた。


 ぱちぱち、と目を瞬かせる。


 自分の最愛の弟が、見知らぬ女と一緒にお風呂に入っている。それも、リアンすら一度もやってもらったことがない体を洗ってもらうというオプション付きで。


 そんな光景を見てしまえば、姉としては大事件以外の何もなくて。


「あばばば……」

「ちょっと姉さん⁉ なんで急に泡吹きながら倒れたの⁉」


 その光景は、気絶するには十分だった。


 ▼△▼△▼▼



「アノン! 誰よこの女狐は!」


 お風呂場事件のその後、リアンは弟に正座させていた。


 弟に正座なんて心が痛むが、しかし、ここでしれっと弟の隣に座っている赤髪の少女との関係をハッキリさせないといけない。


「まさか、ガールフレンドじゃないでしょうね⁉ あ、アノンに好きな人ができるのはいずれ来る未来だとは覚悟しているけれどっ、お姉ちゃんソイツを嫉妬のあまり斬っちゃうかもしれないけど……でも、よりによって幼女って」


 年上と同年代ならばまだしも、まさかのロリに走ってしまった愛しの弟。

 そんなにお姉ちゃんやかましかったかな、と反省していると、


「姉さん。一旦落ち着いて、僕の話聞いてよ」


 と、涙を拭うリアンにアノンが言った。


「じゃあ、その女狐は何なのよ」


 さっきからこの状況をよく分かっていないような素振りをみせる少女を睨みながら問えば、アノンは「この子はね」と前置きして、


「僕が助けた子だよ」

「助けた?」


 アノンの言葉に小首を傾げれば、弟はこくりと頷いて続けた。


「僕も詳しい事情は分からないけど、この子が騎士に追いかけられてて、それで助けたんだ」

「へぇ。騎士に……騎士に⁉」


 アノンの説明を飲み込んだ瞬間、リアンの目がギョッと見開く。


「待ちなさいアノン! 騎士に追われてたって……まさか貴方、騎士と交戦した訳じゃないわよね?」


 アノンの肩を掴みながら問えば、


「うん。戦ったよ」


 やった。


 嘘でしょ、と思いたいが、純粋無垢の瞳が無言でそれを肯定させてくる。


 まぁ、やってしまったものは仕方がない。


「階級は?」

「隊服が緑だったから、たぶん三番目シルバーの人たちかな」


 確かに緑を基調している隊服なら、階級は三番目シルバーで間違いない。


 その程度ならば、アノンならば容易く払いのけるだろう。それが例え、三番目シルバーの騎士を相手にしたとしても。


「億が一もないと思うけれど、怪我はしてない?」

「うん。してないよ。あ、でもファイアボールを食らったせいで服がちょっと焼けちゃった」


 アノンにファイアボール当てた奴殺す。


 と殺意が沸いたものの、誰が当てたのか分からないので殺しようもない。


 ふぅ、と一拍置いて、リアンは優しい声音で、しかし言葉にはそれを感じさせない問をアノンに投げる。


「戦った騎士たちは全員、気絶させた?」

「うん。一応フードは被ってたけど、念のため。逃がして増援を呼ばれるのも面倒だったから」

「そう。いい子ね」


 賢明な判断だと、リアンはアノンの頭を撫でる。


 別にアノンは犯罪者でもなければ顔を隠す必要はない。けれど、アノンはこの世界では生きているだけで不条理に遭いかねないのだ。


「アナタのレベルは誰かに見られるわけにはいかないの」

「分かってるよ姉さん」


 ギュッ、と抱きしめれば、アノンは静かな声音で肯定する。

 このレベルが支配する世界で、アノンは、


「――僕が【Lv0】だってことは、誰にも秘密でしょ」


 リアンの弟アノンは、この世界では〝人〟として認められていなかった――。

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