第6話 『 リアンとアノンの朝食風景 』

「「いただきます」」


 朝の身支度も済ませ、二人は朝食を摂り始めていた。


 食卓に並べられているのはどれもリアンの手料理だ。自家栽培の野菜ベジタルを使ったサラダ。スクランブルエッグとウィンナーに、黄金色に焼けたトーストと、大凡一般家庭と何一つ変わらない食卓模様だ。


 元々アノンと暮らす為とリアンは幼少の頃から料理を練習していたのだが、諸事情により他者に振舞うことができなかった。家族には尚更で、だから毒見はいつも自分か、数少ない友人2人だった。


「うん。美味しい。美味しい」

「うふふ。今日もいーっぱい食べてね、アノン」


 努力の甲斐も実り、念願の暮らしで無事アノンの胃袋も掴めたわけだ。


 自分の手料理でアノンがほっぺが落ちている所を見ていると、幸福感よりも餌食している感が勝るのは何故か。


 まぁ、それも愛だろうと胸裏で納得すると、それまで弟の食事風景を涎を垂らしながら見守っていたリアンもようやくトーストを齧る。


「うん。今日も素晴らしい出来ね!」

「姉さんの料理は本当いつも美味しいよね。僕なんてまだまだだ」

「そんなことないわ。アノンも日々上達してるわよ」


 しっかりと咀嚼し終えてから嘆息するアノンに、リアンは首を横に振った。


 3年と4カ月を過ぎから、アノンは姉の料理姿に興味を示して料理を手伝うようなった。最初はナイフを使うのも危なかっしかったが、今ではソファーの影から見守るくらには上達した。ちなみに、リアンはアノンと過ごした思い出を毎日のように日記に綴っている為、その日に何が在ったのか事細かに記載している。中には弟のプライベートまで書いてあるので詳細は省くが。


 それを平然と隠す姉の事情はさておき、リアンはアノンに微笑むと、


「アノンの手料理だって美味しいんだから、自信を持ちなさい」

「そう言ってくれると僕としても嬉しい限りだなぁ」


 リアンに励まされると、アノンはホッと安堵する。


 それから食事を再開すると、アノンがリアンが見つめてきた。


 ――アノンたら、朝からお姉ちゃんに見惚れちゃって、仕方がないんだから。


 こんな美人が正面にいたら見惚れるのも無理はないか、とリアンは困った風に吐息する。あーん、でもして欲しいのだろうか、絶対そうだろうと勝手に決めつけると、リアンはフォークに自分の分のウィンナーを突き刺した。


「ほら、アノン。あーん……」


 愛情たっぷりにアノンの口にウィンナーを運ぶと、


「そういえば姉さん。今日、制服ってことは学院に行くんだよね?」

「あーんじゃないのねぇぇ⁉」


 しれっと差し出したフォークをよけられて、自分の予想と違ったアノンの反応にリアンは勢いよくテーブルに頭突きした。その様子を見ていたアノンは、


「ねえさ――――ッん⁉ 急にどうしたのさ⁉」


 目を白黒させて叫んだ。


「な、なんでもないのよアノン。ただ、お姉ちゃんの考えとアノンの考えに相違があって、お姉ちゃんショックでテーブルにアタックしちゃっただけ」

「僕と意思疎通ができないからってテーブルに頭突きしちゃうのはよくないよ? でも、あれだけ派手に頭突きしたのに料理が無事でよかった」


 顔を上げながら言い訳すれば、アノンは眉根を寄せて姉を叱責する。

 アノンははぁ、と吐息すると、奇跡的に大惨事を回避した料理たちに安堵する。

 それからアノンは「ほら」と椅子から少し腰を浮かすと、


「姉さん、おでこが少し赤くなってるよ」

「おふぅ」

「今度は急に顔が赤くなった⁉」


 心配された事実と、おでこを撫でるアノンに、リアンは堪らず頬が緩み切る。グッジョブテーブル、と内心で親指を立てつつ、リアンは姿勢を正すと、


「心配してくれてありがとう、アノン。お姉ちゃんも無事だから心配しなくていいよ」

「本当かなぁ。まだ頬が少し赤いけど……」

「それは条件反射よ」

「なんのさ……」


 もちろん、アノンに触れたことによる体の反応だ。基本、リアンはアノンに触る時はそれなりに覚悟がいるのだが、こうやって不意打ちをされると体が火照ってしまうのだ。


「私の体はアノンに触れると勝手に喜んじゃうの」

「そんなに僕に触られるのが嬉しいなんて、姉さんも変わってるね」

「そんなことないわ。いい、アノン。女は好きな異性に触れると嬉しい気持ちになるの」


 アノンはトーストを齧りながらふーん、と生返事。

 それからしっかりと咀嚼したあと、ごくりと喉を鳴らして、


「姉さんのその言い方だと、まるで姉さんは僕のことを好きみたいに聞こえるんだけど」

「ふふ。その認識で何も間違ってないわよ。私はアノンのことを大好きなの」

「僕も姉さんのこと愛してるよ」

「もうっ、朝から嬉しい事言ってくれちゃって! お姉ちゃんにそんな事言ったらキスだけじゃ済まないわよ!」

「キスなんてしたことないでしょ……うむ⁉」


 照れ隠しでウィンナーを口に突っ込めば、アノンは唐突に口に入った固形物に目を白黒させる。なので、当たり前のようにせき込んだ。


「コホッ……ゲホッ」

「アノ―――――ンッ⁉」


 戦犯が自分だというのに、リアンは絶叫する。そして慌ててリアンの口に果水を含ませると、アノンはこくこくと喉を鳴らした。


 カップの果水が底が見えるほど少なくなると、ようやくアノンは乱れた息を整えた。


「ふぅ」

「ご、ごめんなさいアノン。私ったら、嬉しくてつい……」

「いいよ。ちょっと驚いたけど、これくらいじゃ死なないしね」


 彼の中では死ななければ大抵のことは許容範囲で、だから滅多に感情を起伏させることはない。それがリアンは懸念していることもあり、だから今回ばかりは姉を叱ってもよかったのだが、


「アノン……私を本気で怒ってちょうだいっ!」

「えぇ⁉」


 自ら叱責されることを望むリアンに、アノンは瞠目した。


「お、怒るっていってもなぁ。僕、姉さんの事好きだから怒れないよ」

「心臓に80のダメージ! ……いいから! 早く私を叱って! できれば蔑む感じで!」

「どうして姉さんは叱られる側なのにオーダーできるの?」


 それはそっちの方がぞくぞくできるから、という感想は胸に閉まっておく。とにもかくにも、リアンは叱責を万全の状態で受け入れた。


 そんな姉にほとほと困りながらも、アノンは仕方がない、と吐息すると、


「えーと、こんな感じかな……何やってんだまぬけ。危うく俺の服が汚れるとこだったじぇねえか」


 普段は一切怒らないからか、アノンは眉尻を寄せながらリアンを叱責した。

 その慣れていない感じが、また途轍もなくたまらなかった。


「こんな感じでいい? 姉さん」

「…………」

「姉さん? おーい、姉さーん?」


 アノンが目の前で手を振るも、リアンは顔を俯かせたまま微動だにしなかった。

 まるで石のように固まってしまったリアンは、数十秒経ってようやく口を開くも、


「あ……」

「あ?」 

「ありがとうございます。とても、眼福でございました」


 そう言い残して、幸せそうに倒れた。


「姉さん⁉ 姉さ――――――――んッ⁉」


 朝の食卓に、アノンの絶叫が響く。

 この家には姉弟二人だけしかない。それなのに、どこの家庭よりも騒がしかった。

 これが、アノンとリアンの姉弟の食事風景だった。

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