第28話 愚かなる令嬢


(やっぱり決勝戦まで残ったわね、智仁。ふふ……)


 決勝戦開始はお昼休憩を挟んで1時間後。

礼子はネオオーニタ自慢のカフェラウンジで、優雅なランチを楽しんでいた。

そして頭の中では黒い陰謀を巡らせている。


 食事を終えた礼子は早速、控え室へ向かってゆく。

 緑川 智仁と直接話をするためだった。


(なんてたって私はアイツの元婚約者。男の恋愛の思い出は"名前を付けて保存"。この私が色目を使えば、イチコロなのは間違いなし)


 ここで智仁へ取り入れば……決勝戦の結果がどうなろうと、麗国ホテルに関わる誰かしらが受賞したことになる。

 1番、優勝、大賞受賞ーー世間は今までがどうであろうと、そういう肩書きには弱く、簡単に過去のことは忘れてしまう。

そして嬉々として、その栄冠に飛びついて、賞賛をしてくる。


 今、智仁と復縁することこそ、礼子にとっての最大のミッションである。


●●●


 決勝戦は昼休憩を挟み、会場側の調整時間を含めた14時から。

俺は誰もいなくなった控室で、決戦に備えてただ静かに時間をすごしている。

すると13時過ぎあたりに扉が開いた。


「お、お疲れ様……!」


「お疲れさん。ここのランチ美味しかったでしょ?」


 ちょこんと横へ座ってきた李里菜へそう問いかける。

彼女は控えめに頷いてみせた。


「美味しかった。ワインもよかった。でも、すごく高かった……」


「まぁ、国内屈指のホテルだしね、ここ」


「ランチで5000円なんて信じられないっ!」


「それだけ一流ってことよ」


「そんなところでみんなに奢っちゃうクロエ、凄い……」


 どうしてかは知らないが、田崎さんは大学生とは思えないほど、金払いが良い。

乗っている車はかなりグレードの高いミニクーパーだし、この間も信濃リースリングと一緒に貴腐ワインを持ってきて、平気で開けてたりなど。あの子は一体何者なんだろか……?


「トモ、何も食べなくて大丈夫……?」


「うん。大丈夫。ありがとう」


 昼食を取らない俺を李里菜は心配しているようだ。


「満腹になると眠くなっちゃうしね。それに、空腹の方が五感が優れるんだよ」


「……うん。トモが真剣なのわかってる。でも……」


 どうやら俺の心配に加えて、自分だけ良いランチを取ったのを申し訳なく思っているようだ。

ここで田崎さんのお誘いに乗るよう背中押したのは、俺なんだけどね。


「今夜はCAVAとローストビーフ! もちろん、CAVAは李里菜セレクトで宜しく!」


 そう言った瞬間、李里菜の表情が明るんだ。


「そんなので良いの……?」


「ここのランチよりも、ディナーよりも、李里菜のロービーとCAVAのペアリングが至高だと思ってるから!

だから頼むよ。な?」


「わかった! 今夜はCAVAじゃない! シャンパンとローストビーフでお疲れ様会!」


「おやおや? 今日の李里菜さんはお財布の紐が随分緩いね?」


「こ、今夜は特別……!」


 動揺している李里菜って結構可愛いのな。


 にしても李里菜のローストビーフか……楽しみだなぁ。早く帰って食べたいなぁ!


「し、失礼しますっ!」


 と、李里菜の特製晩ごはんを妄想していたところ、控室へ突然日髙さんが飛び込んでくる。

なんか、彼女の背後にチラッと染谷さんの姿が見えたような……?


「どしたの?」


「あ、あの! こちらをどうぞっ! 差し入れですっ!」


 日髙さんが差し出してきたのは、ミネラルウォーターのペットボトルだった。


「おっ、サンキュー!」


「水ぐらいは飲んでも良いですよね! 決勝戦も頑張って……」


 突然、俺の前へ水筒のカップが滑り出てくる。

カップを流してきたのは、李里菜。


「こ、これは?」


「お白湯。もしかしたらと思って、これだけは持ってきた」


「ああ、お白湯ね……」


「冷たいものより、良いと思うけど?」


 なんだよ李里菜さん、日髙さんとは仲良くなったんじゃないのかい。


「あ、あ、そ、そうですよねぇ……それじゃあ私はこれで……」


 と、引き下がろうとした日髙さんだったのだが……押されるようにして、戻ってくる。

なんか、扉の影からチラッと、またまた染谷さんの姿が見えたような……?


「お、お水もどうぞ! これを私だと思ってグビグビと!」


「ッ!? ト、トモ! このお白湯も私! 飲むっ!」


「ど、どうしたんだい、2人とも?」


 なぜか俺はお白湯とミネラルウォーターに迫られていた。

なんなのよ、この状況……


「Nice Boat……!」


「ク、クロエ! 頭見えてるのです!」


「緑川さんの大事な決勝戦なんだから何事も起こりませんように! 神様、仏様!」


 なんかワインラバーの会の三人も覗き込んでいるし。

こういう時は……


「ちょっと、トイレ!」


 撤退に限る、と控室を飛び出してゆくのだった。

 そうして用をたし、控室へ戻ろうとした時のことだった。

背後から迫ってきた誰かに肩を叩かれる。

驚いて振り返ると、俺の頬へ綺麗にネイルされた指先が沈み込む。


「相変わらず引っかかるわね、智仁」


「れ、礼子!? なんだよ、お前っ!!」


 急いで指を振り払い、距離を置く。

 そんな俺の様子がおかしいのか、麗国 礼子はクスクスと笑っていた。


「一緒に決勝進出だなんて、光栄だわ。さすがは智仁ね!」


「……」


「もう、そんな怖い顔しないでよ?」


「……なんのようだ」


 俺は努めて冷静に声を絞り出す。

 まるで交際をしていた時のような麗国 礼子の振る舞いに、動揺してしまっていたからだ。

 みんなの前では気丈に振る舞っていた礼子。

でも実は甘えん坊で、少し子供っぽくて……そんなギャップの虜になっていたのは間違いない。


「ちょっと、話があって……」


 礼子はやや声の鎮めた。

そしてやや潤んだ瞳で、俺のことを見上げてくる。


「私たち、やり直せないかな……?」


「やり直すだと?」


「うん。今日再会して、改めて思ったの。やっぱ私は智仁のことが大好きなんだなぁって!」


「……」


「そしたら2人でまた、シャンパン2000本事件の時みたく頑張りましょ! 私と智仁ならきっと、今の苦境を乗り越えられるわ!」


「…………」


「今、ちょうど支配人の席が空いているのよ! だから智仁には是非……」


「トモ、なにしてるの?」


 不意に俺と礼子の間に、李里菜の声が割って入って来た。

 礼子の偽りに笑顔が一瞬ひび割れたのを俺は見逃さない。


「この子は?」


「姪だ。李里菜って言って、今一緒に暮らしている」


「そうなのね! 麗国 礼子よ! 宜しくね、李里菜ちゃん!」


 礼子は握手を交わそうと、李里菜へ手を差し出す。

しかし李里菜はその手を取らず、代わりに礼子を鋭い眼差しで見上げた。


「貴方がトモにとってどんな人なのか、私には良く、わかりません。でも、私にわかって、貴方にわからないこと、一つありますっ!」


 パンっ! と鋭い音が響き渡った。

礼子が驚きの表情と共に、眉間へ皺を寄せる。


「な、何するよの!?」


 李里菜に差し出した手を弾かれた礼子は怒りをあらわにする。


「トモ、怒ってます! 貴方のこと嫌だって思ってます!」


 あらら、言いたいことを女の子に、しかも姪っ子に言われちゃったよ。

やれやれ……


「まっ、そういうことだ、麗国さん」


「ーーッ!?」


「お前とまた手を取り合うとかまっぴらごめんだね。潰れかけのホテルの支配人になんて興味はないんだよ!」


「クッ……!」


 先ほどまでの作り笑顔はどこへ行ったのやら。

 麗国 礼子はまるで夜叉のような顔つきで俺と李里菜の睨んでくる。


「こ、後悔させてやる! この私の提案を拒否したことをね! 首を洗って待っているといいわ!」


 麗国 礼子は怒り心頭な様子で踵を返し、ヒールを慣らして去ってゆく。

 嵐は去ったか。やれやれだぜ……つうかアイツ、どこの悪の組織の女性幹部よ。


「李里菜さん、代弁はとっても嬉しかったんだけどさ、さすがに暴力はダメでしょ?」


「私は握手拒否した。下げなかったおばさんが悪かった。邪魔だと思ったから弾いた!」


 案外李里菜って武闘派なんだろわかった瞬間だった。

そういうところは母親譲りというか……。


「李里菜」


「ん?」


「ありがとう。だから頑張るよ。君のために!」


「ーー!! そ、そういうこと軽々しく言わないっ!」


 顔を真っ赤にする李里菜って、本当に可愛いのな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る