第29話 裏切られる黒松
(このまま全問正解で、一気に優勝を掻っ攫ってやる)
黒松 健二は喫煙ルームで紙巻きタバコを吸いながら、スマホの画面を確認するのに余念がなかった。
スマホの画面には決勝戦に供出される赤ワイン5本の銘柄が映し出されている。
これさえあれば、どんな状況であろうとも必ず勝利できる。
その暁には、自分を虐げていた古巣を見返せる。そして自分を無能扱いしている礼子を跪かせることができる。
だからこそ、今の黒松にとって圧倒的な勝利こそ必須条件だった。
(さて、そろそろ精神統一の時間にするか)
黒松は喫煙室を出て、控室へ戻ってゆく。
すると丁度、BTG決勝戦の会場準備をしている"後輩従業員"と鉢合った。
「よぉ。準備ご苦労さん」
「せ、先輩。お疲れ様です……」
「おいおい、俺決勝戦進出なんだぜ? おめでとうの言葉ぐらいないのかよ?」
「すみません……」
黒松は後輩から不穏な空気を感じ取った。
どうやら黒松の不正による決勝進出に良心の呵責を覚えているようだ。
ここまできて、大勝のメソッドに水を刺すわけはゆかない。
「ほれ」
黒松は財布から万札を取り、後輩の胸ポケットへ忍ばせる。
そしてがっちりと肩を組み、後輩を引き寄せた。
「妙なこと考えるんじゃねぇぞ」
「……」
「心配するな。バレやしないって。優勝の暁にゃ、良い店奢ってやるっての」
「…………」
「優勝すりゃ、俺は麗国ホテルの重役間違いなしだからよ、お前も引っ張ってやんよ。鶏口となるも牛後となるなかれ、だよな?」
「し、仕事が残っているので失礼します!」
後輩は黒松の肩を振り解き、足早に去っていったのだった。
(まぁ、アイツは昔から臆病もんだ。ビビる必要はないな)
黒松はそう思い、再び控室へ向けて歩き出す。
●●●
(これはだめだ……こんなことは絶対に……!)
今更の良心の呵責だった。
だけど、まだ引き返すことはできる。
その結果、自分は相応の罰を受けることだろう。
しかし、一生この罪に、そして黒松に怯えて暮らすのはもう懲り懲りだった。
「すみません、皆さん……!」
彼は意を決して、抜栓するよう頼まれていた5本の赤ワインへ手を伸ばしてゆく。
●●●
『BTG参加者の皆様へご連絡いたします。14時から開始予定の決勝戦を17時からに変更いたします。各位、集合時間をお間違いのないよう、宜しくお願いいたします。繰り返しお伝えします。BTG参加者の皆様へ……』
そんな館内放送を聞いた黒松は、思わずコーヒーの入ったカップを落としてしまった。
急いで控室を飛び出しす。
可能な限り情報を集めようと、古巣を駆け抜けてゆく。
「はい! 急なお願いで大変申し訳ございません……!」
「手配できた! 駅前のOSIROリカーだ! 今すぐ取りに行ってくれ!」
「ありがとうございます! 今すぐ向かわせますので、宜しくお願いします!」
事務室の扉の向こうからは、必死な声が溢れ出ていた。
従業員はホテルの格を損なわなよう走らず、しかしかなり焦った表情で次々と外へ出てゆく。
「もしもし、染谷です。緊急事態です。今メッセージへ送ったワインですが、すぐさま手配願います。私が直接走りますので!」
インポーターの営業らしい女性がスマホを耳に当てつつ急足で、黒松の脇を過ってゆく。
なんとなく状況を察した黒松は愕然とした。
(アイツ、やってくれたな!)
怒り心頭な黒松は館内を駆け巡ってゆく。
後輩を探し出し、どやさなければ気が済まなかった。
しかし、後輩は一向に捕まらず、時間だけが悪戯に過ぎて行くのだった。
●●●
「まずはこの度、協会が用意をした課題ワインが全損したというトラブルが発生したため、決勝戦の開催に時間を要してしまい誠に申し訳ございませんでした。ご協力いただきました関係各位へは厚い御礼を申し上げるのと同時に、こうしたトラブルが二度と発生しなよう管理体制をより一層強化してゆく所存です」
17時、BTGの決勝戦は司会の長谷川氏による、謝罪より始まった。
実際、ワインの破損は開催時間順延以外、参加者にとって特に不利益は無い。
だがしかし、たった1人だけ、黒松 健二のみは例外であった。
(大丈夫だ。俺は経験豊富で、更にネオオーニタで働いていたんだ。情報がなくとも俺ならば優勝を……!)
「では気を取り直して! BTG決勝戦を開始いたします! 栄えある優勝を勝ち取るのは緑川選手、麗国選手、黒松選手の誰になるのか! それでは15分間のティスティングを始めてください!!」
会場の空気が一気に引き締まった。
そして真剣なティスティング時間が開始される。
黒松はまずは外観を確認し、香りを確かめるのだが……
(クソっ! タバコの匂いが強過ぎて、うまく香りが取れん!)
黒松は何度もグラスを回し、ワインを揮発させて、香りを取ろうと試みる。
だが、やはり服や体に染み付いた紙巻きタバコの匂いに邪魔されてしまう。
呑気にタバコなど吸っている場合ではなかった。
しかしそうは思えど、後の祭り。
全て油断をした黒松の責任に他ならない。
(香りはあてにならん! ならば味わいで……!)
黒々とした赤ワインを口へ運んだ。
酸の存在はかろうじて感じることができた。
しかし、口の中にべっとりこびり付いた、タールが味覚の邪魔をしてくる。
(まずいぞ、これは……!)
今、目の前に並べられたワインがなんなのか。
どんなに素晴らしい香りがして、どんなに甘美な味わいをしているのか。
その全てが黒松にとってはわからなかった。
(いや、諦めるな。俺ならできる。一流の俺ならば……!)
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