第12話 日髙ゆうきの大失敗


「日髙さん、現在オーストラリアのタスマニア島は、ワイン産地として非常に注目されているいんだ」


「オーストラリアといえば南オーストラリアがいいワイン産地だと思ってました」


「まっ、そこは大手メゾンが多くて、主にバロッサバレーの赤ワインは……って、聞いてる?」


「あ、あっ! ご、ごめんなさいっ! ちゃんと聞いてますっ!」


 俺の顔なんかよりも、テキストを見ていてほしいんだけどなぁ……


 ワインバルTODOROKIでランチ営業を終えたあとは、出勤してきた日髙さんへ、ワインの手ほどきを行ったりしている。

あとは2人で今夜出すワインを考えたりなど。


 この子も凄く素直で、まるで乾いたスポンジのようにすぐに吸収をしてくれる。

教え甲斐があるってもんだ。


「おーい、ゆうき。今、染谷さんから訪問したいって電話があったぞ。どうする?」


 キッチンから夜の仕込みの最中だった、店主の等々力が顔を出す。


「是非、いらしてくださいって伝えてください!」


「わぁった」


「染谷さんってのは、マルックスワインインポートの営業さんで、うちの担当なんです。後で紹介しますね!」


 そして待つこと数分。

休憩中の店内へ、メガネをかけたスーツ姿の女性がやってきた。

さすがは大手インポーターのマルックスの営業さんだ。

とてもビジュアルが良い。ちょっと怖い印象があるけど、日髙さん並みの美人さんだ。


「姫ちゃん、久しぶりっ! 元気? 新婚生活どう?」


「元気で、新婚生活は順調だよ! 念願かなっての結婚だったからねぇ……」


 そしてどうやら日髙さんと営業の女性ははずいぶん仲良しさんらしい。

 2人ともビジュアルがいいから、見ているだけで、なんか良いな。

まぁ、李里菜には負けるけども……って、身内贔屓しすぎか?


「緑川さん! この方がうちの担当の白石姫子さんです!」


「だから、私はもう"染谷"だって!」


「あっ、そうだった。つい昔の癖で……」


 白石姫子さん……じゃなかった、染谷姫子さんはニッコリ笑顔を浮かべて、名刺を差し出してきた。


「マルックスの営業第二課の染谷と申します。ゆうきとは前の会社での同僚でして」


「なるほど」


「緑川さんでよろしかったでしょうか?」


「ええ、緑川です。なんで俺のことをご存じで?」


「ゆうきから、お話は伺ってました。とても頼りになる先輩だと。今後とも、おっちょこちょいなゆうきのことをよろしくお願いしますね」


 お互いに名刺交換をしつつ、挨拶を済ませた。

なぜか脇で日髙さんが頬を真っ赤に染めて、染谷さんの肩をパンパン叩いていた。

なんか、日髙さんと染谷さんの力関係がわかった気がした。


「み、緑川さん! 是非、商談に加わってください! 実は私だけだと、いっつも迷って凄く時間かがかっちゃうんですよね」


「勿論! これも契約の範囲内だからな。でも最終決定は日髙さんがするんだよ? 君が自分で提供するワインなんだから」


「わかりました! ありがとうございます!」


 何もかもが順調だった。

あの日までは……



●●●



「おはようございま……うわあっ、な、なんだこれ!?」


 いつもの時間にTODOROKIへ出勤するなり、俺を山積みにされた大量の段ボールが迎えた。


 送り主は染谷さんが勤務しているワインインポーターのマルックス。


「うわぁーん、こんなにどうしよう……」


「どうもこうも売るしか……でもこの量じゃなぁ……」


「おはよう。これは一体?」


 段ボールをかき分けて、深刻な表情を浮かべていた日髙さんと等々力へ挨拶を投げかける。

すると半泣きした日髙さんが、頼るような視線を向けてくる。


「緑川さんっ! おはようございます! これどうしたら良いですか!? ぐすん……」


「と、とりあえず事情を聞かせて?」


……どうやらこの大量の"ボルドーの赤ワイン"は日髙さんが、発注書の記載欄を誤って発注してしまったらしい。

12本頼むところを12ケース。

基本的にワインは1ケース12本入りなので、その数なんと144本!

小さい店なのでなかなかの数だ……


「返品できないの? 染谷さんには連絡した?」


「しました。今、色々対応を検討してくれてるみたいで……」


「ど、どうも……」


 と、タイミングよく染谷さんがやってきた。


「姫ちゃん! 救いの神っ!」


「……」


「姫ちゃん……?」


「ごめんっ、ゆうき! 返品、支社長にダメって言われた! このワイン、返品不可って条件で特価だったから! 本当、ごめん!」


 染谷さんからの絶望的な宣告に、日髙さんはその場へ崩れ去る。


「力になれなくてごめん。私も一緒に捌くの手伝うから……」


「ああ、もうどうしよう……もう私が全部買わなきゃ……」


 しかしこんな大変な時に関わらず、店主の等々力はひょうげた表情をしている。

そしてその不穏な顔つきを俺へ向けてきた。


「おい、等々力まさか……」


「お前の出番だな、緑川!」


「やっぱし……」


「なぁに、お前だったらできるだろうがよ? なにせシャンパン2000本事件の犯人で且つ解決者の緑川 智仁だからな!」


「そ、それは言うなっ!」


 まぁ、確かに俺も麗国の新人時代に、日髙さんと同じようなミスを犯したことがあった。

あの時は、本当に大変だったけど、イベントを組んだりなんなりして、なんとか全て売り捌くことができたっけ。


「緑川さん、お願いですっ! ゆうきのことを助けてやってください! 会社が関わらないことだったら、なんでもします! だからっ!」


「緑川しゃん……!」


 染谷さんと日髙さんからも、懇願の視線が寄せられる。


ーーここまで頼られちゃ、やるっきゃないっしょ!

それに俺は一応ワインバルTODOROKIのワインコンサルタントな訳だし。


 ならまずはこのボルドーの赤ワインがどういうものか試してみないとな!


【フランス・ボルドー地方】


 同国の南西部に位置する世界的に有名なワイン産地だ。

61シャトーなんて、格付けもあるぐらいの激戦区。

ここではメルロ、カベルネソーヴィニョンといった複数の葡萄品種をブレンドした赤ワインが特に有名だ。

 今回日髙さんが誤発注してしまったのは、ボルドーの赤ワインだ。


「さてと……」


 まずはケースから一本取り出してみる。

見たことも聞いたこともない生産者だった。


 この時すでに、俺は嫌な予感がしていた。


 抜栓し、グラスへ注いで一口。


 色合い、香り、味わいも悪くはない。

悪くはないのだけど……


「無難すぎる味わいだな。はっきりいうとつまらん。なんでこんなワインを発注した?」


 物事を割とはっきり告げる等々力は、鋭く日髙さんへ言葉を向ける。


「すみません。お客さんが気軽に楽しめる赤ワインが欲しいなって思いまして………」


「緑川、お前もこのワインをどう評する?」


「……カジュアルなワインだと思う」


 つまり俺も、"特徴らしい特徴が見出せないワイン"だと感じていた。

ちなみにシャンパン2000本事件の時は、該当するシャンパンが凄く個性的だったので、そこに焦点を絞った結果捌き切れたという経緯がある。


「お肉料理とはよく合うかと……」


 すかさず染谷さんがフォローを入れてきた。


「確かに牛肉や羊肉との相性は良さそうだ。でも、このワインへ肉料理を出すのは価格的にちょっとキツイ」


 結果、今この場で解決策を見出すのは難しいという結果となった。

 とりあえず夜の営業時間も迫っているので、ワインを片付けた。

俺もそろそろ李里菜が帰ってくる時間なので、該当ワインを一本持ち帰り、策を練ることにしたのだった。


●●●


「ただいま」


「おかえりなさいっ!」


 もやもやした気持ちであっても、李里菜のお出迎えを受ければ、一瞬で気持ちが明るむ。

本当、こういうとき家で誰かが待っててくれるって嬉しいもんだな。


「赤ワイン、買ったの?」


 李里菜は興味津々と言った様子で、俺の手元にある赤ワインへ視線を寄せてくる。


「ああ、これは仕事先で貰ったんだよ。ちょっと色々あってね」


「それ少し貰っても、良い……?」


「飲みたいのか?」


 李里菜はフルフル頭を横へ振った。

そして悪戯っ子のような笑みをしてみせる。


「貰っても?」


「良いよ」


「ありがと!」


 李里菜は赤ワインを受け取ると、そそくさと台所へ駆けてゆく。


 

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