第11話 ワインでマウントをとる男

 フリーランスソムリエを始めて少し経った。

今はなんとか食えるぐらいには稼げている状態だ。


「どうもー緑川です」


「やぁやぁよく来てくれた緑川君! さぁさぁ皆さんお待ちだよ!」


 今日の出張先は、すっかり利用客常連となってくれた"浅川社長"のご自宅だった。

 毎月第二土曜日の昼に、浅川亭ではランチワイン会が開かれる。

俺はそのイベントの"出張ソムリエ"としてやってきた訳だ。


「緑川君は元麗国ホテルのトゥール・ドールで働いていた優秀なソムリエでな! 無知な私へワインのことに関して色々と教えてくれるのだよ。彼はまさに私の専属ワイン講師なんだ、がはは!」


 すっかり俺は浅川社長に気に入られていた。

出会った当初は、日髙さんを泣かせるぐらいわがままな人だったのが嘘みたいだ。

 今や、俺の言うことなら素直に聞いてくれる。

最近は間違いを指摘しても、全然怒らないし、むしろ感謝されるくらいだったり。


 それに加えて……


「フリーランスで活動をしております、緑川 智仁です。なにかございましたら是非ご用命ください」


「あらあら、フリーランスのソムリエさんなんて商売があるのね! 実は来週末に私もワイン会をするのよ。是非、依頼させてほしいわ!」


 浅川社長が招く人といえば、それなりにステータスのある人ばかりだった。

ここで名刺を配って、営業活動をしたところ、チラホラとワイン会へのお誘いや相談が寄せられるようになっていた。

フリーランスソムリエの俺にとって、売上の柱になりつつある商売で、こうして直接お客さんと接することができるから楽しい。


 でもやっぱり仕事だから、楽しいことばかりじゃ無いわけで……


「どうも、こんにちはー! シュンヤでぇすっ!」


 ある日の浅川さんのランチミーティングへ、派手な見た目の若い男性がやってきた。

 この人、どこかで見たことあるような……


「あら? 貴方はもしかしてバーチャチューブの?」


「そうでぇすっ! 大人気のシュンヤでぇすっ!」


 そういや、この間李里菜がこの人の"おすすめワインの配信"を見ていたっけ。

値段が安い割に、高級ワインの味がするとか、なんとか言って、人気になっている人だ。


「実は先日、シュンヤ君とご縁があってな。誘わせてもらったのだよ、がはは!」


 浅川さんは自慢げにそう語るのだった。

 

 浅川さんのゲストだから無碍にはできないんだけど……なんとなく、このシュンヤって奴から嫌な何かを感じる俺だった。


 そしてその予感は見事に的中してしまう。


「このワイン3,000円!? ノンノン! そんな安いワインばっかり飲んでちゃ本当の美味しさは、いつまでもわかりませんよ!」


 あろうことか、シュンヤは皆さんが持ち込んだワインに色々と言い始めたのだ。


「うーん! 20,000円のワインっておいしいっ! でも、俺、もっとすごいの飲んだことありますよ! まぁ、俺くらいになると100万円のワインとか? もうそりゃポンポンと!」


 どうやらシュンヤは相当調子に乗っているらしい。

まぁ、確かに、李里菜のような女子大生も知っているくらいの知名度だから仕方ないのかもしれないけど


「浅川さん、こんなワインばっかり飲んでちゃダメですって! 買うなら最低10,000円って、この間お話ししましたでしょ?」


「う、むぅ……」


「みんなお金があるんだから、こんな貧乏くさいワインばっかり飲んでちゃダメだって! もっと高いワインをいっぱい飲まないと! 俺みたいに毎日10,000円くらいの!」


 さすがの浅川さんもタジタジな様子だ。

というよりも、周りの目か。

いつもは上品で朗らかな皆さんからも、どこか悶々とした空気を感じる。

 なんか、このシュンヤってやつ、とんでもないな……李里菜には今度からこいつのチャンネルは見ないように話をしよう。


「おーい、ソムリエ! 俺のグラス空なんだけどぉ?」


「あ、ああ、すみません」


 とはいえ、今日はこんなシュンヤでも俺の大事なお客様だ。

我慢我慢……


「君ってさぁ、ロマネ・コンティ飲んだことあるかい?」


「いえ、流石にロマネ・コンティは……」


「うはっ! マジで!? ソムリエなのに!? しかも君って麗国ホテルにいたんでしょ?」


「ええ、まぁ……」


「それぐらい飲まなきゃダメだって! 君、プロなんだから! ダサいぜ、そういうの!」


「すみません。どこかで機会を見つけて、試したいと思います……」


ーーロマネ・コンティなんて簡単に飲めるか。

いまや一本400万円以上はするし、そもそも手に入らないものなんだぞ。


 段々と俺の我慢も限界に差し掛かっている。

 浅川さんをはじめ、みなさんもこの地獄のような会を"早く終わらせてほしい"と目で訴えかけてきている。


 俺も全く同意。

今日は残りのワインをサクッとサーブして終わりにしてしまうか……


「みなさん! ここで一つ、シュンヤ君と緑川君の実力を見たいと思いませんか!?」


 突然、浅川さんがみなさんへ向けてそう言い放つ。


「有名人のシュンヤ君と、我らが緑川君! どちらが良いワインをブランドティスティングで当てられか見てみたいと思いませんか!?」


 おいおい、浅川さんなんて無茶振りを……でも、どんより沈んでいたみなさんの表情が少し明るんだのは明らかだった。


「良いね、浅川さん! 俺とソムリエの対決! 面白いじゃん!」


 シュンヤのやつもやる気満々だよ……参ったな。


「どうかね、緑川君!」


 なんか浅川さんの顔が非常に怖い……こりゃこの人も、シュンヤの態度にお怒りってところか。

むしろ自分の顔に泥を塗られたのが悔しい様子だ。


「緑川君!」


「あーえっと……」


「緑川君っ!!」


「わ、わかりました。やりましょう……」


 やれやれ、やるしかないか……今後の浅川さんとの取引のこともあるし……


 こうして俺は、シュンヤとブラインドティスティングをすることとなった。


ーーブラインドティスティング。

銘柄を見ずに、グラスへ注がれたワインから、そのワインのことを仔細に分析して、表現することだ。

ソムリエ呼称資格認定試験の試験2次試験の課題でもある。


「今回のブラインドはスパークリングワインだ! どちらが値段の高いものか、2人には当ててもらうとする!」


 浅川さんは2杯のスパークリングワインを指し示し、みなさんへそう宣言する。


「どうぞみなさんご覧ください! 俺はいつも高いワインを飲んでいるんです。こんなの簡単ですから!」


 早速シュンヤはワインの吟味を始めた。

 俺もやや遅れて1杯目のグラスを手に取った。


 ほうほう、なるほど、なるほど……1番は良い感じだな……


 ティスティング自体は筆記も、表現もないのでお互いにサクッと終わったのだった。

もう俺の中で答えは決まっている。


「では……いかがかな?」


 浅川さんの合図に、俺もシュンヤも頷き返す。


「ではまずはシュンヤ君、解答を!」


「こんなの簡単簡単! より高いのは1番! 20,000円くらいの味がするシャンパンですね!」


「なるほど。では、緑川君は!?」


「えっと……2番です。明らかに……」


 見事に評価が割れて、みなさんがどよめきだした。


 そして浅川さんはすごく悪者みたいなニヤニヤ笑顔を浮かべている。


 ああ、やっぱりこれって……


「正解は……2番! シャンパーニュっ!! 1番はCAVA!! 緑川君、お見事! さすがは専属ワイン講師だよ、がはは!」


 みなさんは拍手喝采を俺へ送り、スッキリとしたご様子だ。


「嘘でしょ……2番がシャンパン……しかも40,000円の……? なんで、どうして……」


 対してみんなの前で恥をかいたシュンヤは項垂れてしまっている。

まぁ、俺もずっとコイツの態度にはイライラしていたから、多少はスッキリしているのも確かだ。


「では勝者たる緑川君! なぜ1番よりも2番が高いと思ったのかね?」


「正直に言うと1番も2番も、両方とも素晴らしいワインだと思います。それははっきりと言えます。1番は香りが華やかで、口当たりも爽やかでした。はっきりとしたわかりやすさ、飲んだ瞬間に"おいしい!"と言い切れる造りです。こういう造りのものを"高いワイン"と言いたくなる気持ちはわかります。対して2番は味わいも香りも複雑で、かなり作り込まれている印象でした。ただ……」


 浅川さんを始めみなさんは、俺の解説を聞きつつ同じワインを飲み始めていた。


「2番のワインは飲み込みが少ないと、評価がし難いです。"今おいしい!"と表現するのは難しい段階にあります。でもこのワインは将来的に化けます。あと数年寝かせてから飲みたいです。これものすごくおいしくなります。1番のような"はっきりとしたおいしさ"ではなく"複雑で異次元な美味しさ"に! だからこちらのワインの方が、明らかに値段が高いと判断しました!」


「なんだ、そんなに良いものだったのか……早く言ってくれたまえよ、緑川君……」


 おいおい、浅川さん……良い歳のおじさんが拗ねた風を装ったって可愛くないって。

でも、これはたぶんわざと。浅川さんなりのジョークなのだろう。

現に、他のみなさんには朗らかな表情が戻っている。


 まぁ会の雰囲気が良くなったから良いか。


 さてシュンヤのやつは……?


「おおっと! そういえば、動画編集が残っているんでした! 俺はこれでっ!」


 シュンヤは言い訳を口にしつつ、足早にその場を去ってゆく。

 仕方ないか、みんなの前で恥をかかせちゃったわけだし……



●●●



「トモ、スマホ鳴ってる!」


 ある休日の午後、突然スマホが震えて、知らない番号から電話が入っていた。


 誰だろうと思って出てみると……


『こんにちは。シュンヤこと、三宅 俊哉です。先日は大変お世話になりました……』


「ああ、どうも。どうして俺の番号を?」


『浅川さんに伺いまして……』


 なんかこの間あった時のような元気がない。

もしかして文句の一つでもいわれるのだろうか……


『あの、実は折言ってご相談が……』


「相談?」


『はい。実は俺のチャンネルの監修をしていただけないかと……』


 どうやらシュンヤは自分の無知を自覚したらしい。

そうしてもう二度と、この間のような恥をかかないよう、しっかり俺に内容の精査をしてほしいそうな。


『お願いします、緑川さん! 俺にお力添えを!』


「……わかりました。協力しましょう!」


 と、言うわけで、俺の業務に"有名配信者の動画監修"が加わったのだった。

取引先が増えるのは、駆け出しの俺にはとてもありがたいことだ。



それに……



「? なんでニヤニヤ?」


「ふふ……李里菜さん、今君が見ているシュンヤの動画なんだけどね……なんと、俺の監修なんだ!」


「ーー!! それ本当!?」


「本当、本当! これからもご視聴よろしくね!」


「見る見る! すごいっ!!」


 こうして身近に、俺の仕事の成果を喜んでくれる人がいる。

これほど嬉しいことはない。


 おかげでめっちゃ忙しいんだけど……だけど俺の仕事はこれだけではない。

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