第6話 拝啓クレーマー様。甲州ワインの赤はございません!ーーマスカット・ベーリーAと鳥モツ煮。


「さっ、日髙さん、ご案内を!」


「え、えっと、こちら山梨県産甲州市産の"メルロ"です……」


 ボックス席に移動した俺と、クレーマーの中年男性へ日髙さんはおっかなびっくりな様子でワインを注いでいる。


 大丈夫だよ、日髙さん。ここは俺に任せて!……と、心の中で呟いてみたり。


「さぁさぁ、どうぞどうぞ」


「これが甲州ワインの赤か……」


 中年男性は簡単に色合いをみたり、匂いを嗅いだりして、ワインを口へ運ぶ。

この方は、それなりにワインに親しんでいる人のようだ。


「いかがですか?」


「少し軽やかな印象だが、これは良いな! さすがは麗国のソムリエさんのおすすめだな!」


「ありがとうございます。フランスなどと違って、爽やかな印象が日本らしいですよね。"山梨県の甲州市勝沼町"の風景が目に浮かぶようです」


「ほう、君も山梨へ? 奇遇だな! 実は私も、ぶどう狩りの季節はいつも勝沼町へ行って直接、こーんなにも大きいシャインマスカットを買いにだな……」


 中年男性は満足げに自慢話を披露し始めた。

うんうん、機嫌は治ってきたようだ。

こういうお客さま、丁重におもてなしをするのが一番だ。


さて、そろそろ頃合いか……と思い、俺は日髙さんへ目配せをする。


「た、ただいま! すぐに抜栓しますっ!」


日髙さんはすぐさま、もう一本のボトルを抜栓する。

うん、抜栓の手つきも慣れてて良い感じ!

君、本当はすごく良いソムリエールなんだよ! 自信を持って!……と、心の中での呟きパート2。


そしてタイミング良く、キッチンからも"飴色をした美味しそうなつまみ"が出されてきた。


「鳥もつ煮と……山梨県産マスカット・ベーリーAです」


 日髙さんが"マスカット"と言った途端、中年男性は若干眉間に皺を寄せた。


「あの緑色をした甘いマスカットではないのでご安心ください。これベーリーとマスカット・ハンブルクっていうブドウの交配品種なんですよ」


「そ、そうなのか……?」


「はい! 親の名前が半分ずつ貰って、"マスカット・ベーリーA"なんです。この末尾のAは型式みたいで、BとかCもあったらしいですよ」


「そ、そうか……さすが麗国のソムリエさんだ……お詳しい……」


 やっぱりこの辺りじゃまだまだ強いんだな、麗国ブランド。

まぁ、元麗国の従業員で、思うところは多々あるんだけど……でも、この難局を乗り切るためには、使えるものは使わせていただく。


「ささっ、日本を代表する赤ワイン、マスカット・ベーリーAをどうぞ!」


「んっ!? この香りは……っ!!」


 香りを嗅いだ途端、中年男性は嬉しそうに顔を綻ばせた。

そして迷わずマスカット・ベーリーAのワインを口へ運ぶ。


「華やかな香りと、樽のニュアンス……これほどとは……!」


 かなり満足な様子だ。よかったよかった。

このまま一気に畳み掛けちゃうぞ!


「こちらの鳥モツ煮とのペアリングをお試しください。本当に美味しいですから!」


 ワインを飲んだ直後の中年男性は、すぐさま飴色に光る鳥モツ煮を箸で摘んだ。

途端、さっきまでのお怒りはどこかへ行ってしまったのか。


「うっ……」


「う?」


「うぅぅぅまぁぁぁいぃぃぃー!!」


 おおっと!? まさかここまでリアクションとは!

お城でもぶっ壊しそうな感動っぷり……って、これわかる人、今いるのかなぁ……。

李里菜は絶対に知らなさそうだよなぁ……。


「最高のペアリングだよ、君っ! やはり地のものは、地のもので合わせるのが最高だな!」


「俺も全くそう思います!」


「さぁ、君も飲みたまえ! 一緒に楽しもうじゃないか!」


「良いんですか?」


「これは俺からの奢りだ! 遠慮せずに! さぁさぁ!」


「ありがとうございます! それじゃ遠慮なく!」


 俺と中年男性はマスカット・ベーリーAと鳥モツ煮のペアリングを楽しみ始めた。

すごく機嫌も良さそうだし……そろそろ頃合いだろうか、パート2。


「……にしても、"甲州ワインの定義"ってややこしいですよねぇ……」


 俺はややしみじみといった声音を発した。

中年男性も何事かと耳を傾けてくれる。


「いや葡萄品種に"甲州"ってのがあるじゃないですか、白ワイン用の葡萄品種で。で、その産地の多くが山梨県の"甲州市"。甲州って名称が地名と葡萄品種の両方で使われてて、ややこしいなぁって」


「確かにな」


「お恥ずかしながら俺、以前までは"甲州市から産出されたワインが甲州ワイン"って思ってたんです。でも、よく調べてみたら【甲州ワインの定義とは、甲州市産の甲州種を使った白ワイン】だけらしいんですよ」


「ーーッ!! そ、そうなのか……?」


 中年男性は驚きに次いで、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。

 どうやらようやく自分の誤りに気がついたらしい。

でも、このままじゃただ俺がマウントを取った状態なので、相手には嫌な気持ちを抱かせてしまう。


「なんだか騙してしまった様で、本当にすみません。先ほど飲んでいただいた"甲州市産のメルロ"は甲州ワインの定義から外れてます。生産量も非常に少ないですし……だから、山梨の、甲州市の赤ワインといえば"マスカット・ベーリーA"のものを選ぶのが定石なんです」


「……」


「でも、あなたのように是非、"日本のワインを楽しんでみたい"という方には誠心誠意、ソムリエとしてお答えしたいと思ってまして……だから最初の一杯は、マスカット・ベーリーAではなく"甲州市産のメルロ"を選ばせていただきました」


「…………」


「ただ誤りを正さないのも、いつかきっと貴方に大きな恥をかかせてしまうと思ったんです」


「………………」


「お気を悪くしたら本当に申し訳ありません。俺のことを嫌な奴だと思っていただいても構いません。ですが代わりに、正しい知識を持った上で、これからもワインを楽しんでください。どうか、よろしくお願いいたします」


 ソムリエは何故ワインを語るのか。

それは相手を論破するためではない。

マウントをとって偉ぶるものでもない。

楽しませるため……いや、一緒に楽しむためだ。

 一杯のワインを通じて、瞬時に心を通わせる。

お客様にワインを通じて最高の時間を提供する。

今の俺は職業の上ではソムリエではない。だけど気持ちはいつもソムリエでありたい。


「……頭を上げてくれ。君が謝ることじゃない」

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