第7話 無事解決! 一方、麗国ホテルでは……


「……頭を上げてくれ。君が謝ることじゃない」


 そう優しい声が降ってきて、俺は安堵しながら頭を上げた。


「気を遣ってくれていたのだな。怒ったりするものか。むしろ今は感謝さえしているところだよ。ワイン好きと豪語しておきながら、俺はずっと間違った知識を持ってしまっていた……」


中年男性は朗らかな表情で、俺のことをみつめながらそう言った。


「君のおかげで、自らの間違いに気づけ、新しいワインとも出会えたんだ。大恥を回避できたんだ。本当に感謝をしている。どうもありがとう!」


 やっぱりこの人は、そんなに悪い人じゃないんだと改めて思った瞬間だった。

こういう方にこれからも、ワインを楽しんでもらいたい。

心からそう思う。


「おい、君!」


「は、はい!」


 中年男性は日髙さんを呼ぶなり、すぐさま頭を下げた。


「先ほどは私が無知なばかりに、君に大変失礼なことをした。本当に申し訳なかった」


「あ、いえ! そ、そんな! こちらこそお客さまのお気持ちを察することができず、大変申し訳ありませんでした!」


「迷惑料として、この店で一番上等なシャンパンを出してもらえないか? 気づきをくれたこの彼と、君へお送りしたい。ドンペリニョンでも、クリュッグでも構わないので! どうかよろしく頼む!」


ーードンペンニョン、クリュッグ。言わずと知れた、最高級シャンパンの銘柄だ。

小売価格でも数万円はくだらない。しかもここ最近、段々と入手が困難になってきている。


まぁ、さすがにこのクラスのお店で、ドンペリやクリュッグは在庫していなかったけど。

でも、久々にとても良いシャンパンを楽しむことができた。


 ここでの飲み食いは俺の分も含めて中年男性が気前よく支払ってくれた。

これでお金を使いすぎて李里菜に睨まれることはないかな。


「今夜は楽しかった。また来るよ! 緑川君、また無知な私へ色々と教えてくれたまえ」


「ええ、是非! また飲みましょう! 【浅川さん!】」


「あ、ありがとうございました! またお越しください!」


 そして中年男性ーー【浅川さん】は上機嫌な様子で帰ってゆく。

 なんで名前を知ったかというと、最後に名刺をいただけたからだ。

しかもこの地方ではそこそこ有名な自動車販売会社の社長さんだった。


 時間は……20時か。かなり長居をしてしまった。

そろそろ帰らないと、李里菜が心配しそうだな。

さて、俺もそろそろお暇を……


「あ、あのっ! 今日は本当に、ほんとうにぃっ! 助かりました! ありがとうございましたぁ!」


 日髙さんは大きな声で、深々と頭を下げてきたのだった。


「色々これからも大変なことがあると思うけど、頑張ってね」


「はいっ! やっぱり試験で合格しただけじゃ、ソムリエとして全然ダメなんだって、痛感しました!」


「気持ちはよくわかるよ。俺も最初の頃はかなり揉まれたわけだし。でも慣れればなんとかなるもんだから。日々精進! これね?」


「はいっ! 頑張りますっ!」


 こう見ると日髙さんって本当に美人っていうか、可愛いな。

再就職できて、お金に余裕があったら、またこの店に来たいなぁ。


「あ、あの、緑川さん……?」


 突然、日髙さんの口から俺の名前が出てきてびっくりした。


「あ、ち、違いましたか? お名前……さっきのお客様がそう言っていたので……」


「いや、緑川で合ってるけど……」


「そうですか! 良かったぁ!」


 笑うと日髙さんの魅力100倍増しだった。

 李里菜といい勝負ができる美人さんだ、やっぱり。


「で、何か?」


「あ、あの、ですね……もし良かったらです、もし本当に良かったらなんですけど、緑川さんに……」


と日髙さんが、何かを言いかけた時のこと。

店内へ大きな拍手が響き渡った。


 そして厨房の奥から、にゅっと大男が姿を現す。


「さすがは、麗国ホテル トゥール・ドォールの元ソムリエだな、緑川」


等々力とどろき……? もしかしてこの店って、等々力の店だったのか!?」


厨房から姿を現した、大男の名は【等々力 慎二】


俺と同じく、元麗国ホテルのシェフだった男だ。


「つーか、てめぇ! いるなら出てこいよ! 日髙さん大変だったんだぞ!?」


「一瞬そうしようと思ったさ。でも、なぜか俺の店に緑川がいた! ならお前に任せた方がいいと思ってな! ぬわははは!」


「なんで客の俺に頼るんだよ……」


……相変わらず無茶苦茶なやつだよ、等々力って……



●●●


ーーその頃、麗国ホテルでは麗国 礼子が、黒松 健二を激しく叱責していた。


「健二さん、この結果はどういうことかしら?」


「も、申し訳ございませんでした、礼子さん……」


 黒松健二は頭を下げることしかできなかった。

 シャトーマルゴー2009年をセールスするよう命じられてから早二週間。

現在ボトル提での供はゼロ本。

苦肉の策でグラス提供をし、辛うじて数杯販売できただけだった。


 この結果に礼子はいたくご立腹である。


「がっかりだわ……元ネオオーニタのソムリエでも、たいしたことはないようね」


「つ、次こそは必ず!」


「別にもう良いわよ。ここからは私がやるわ!」


「礼子さんが!?」


「今日はもう帰りなさい。お家できちんと反省なさい!」


「っ……!」


 礼子は黒松へそう一方的に言い放ち、更衣室へ向かってゆく。


 所詮、ソムリエなどのワインの能書きを垂れて、客へ提供する、ウェイターの延長線上のようなものだ。

簡単な仕事だ。誰にだってできる。

そう思っている礼子は自らソムリエとして、店頭に立ち、シャトーマルゴー2009を売ろうとしていた。


「この私が客へワインを出してあげるのよ。上手く行く筈だわ」


 幸い、緑川 智仁と交際していたおかげで、多少なりともワインへの覚えはあった。

それに大体の客は、女というだけで甘く見てくれるだろう。

更に自分は、時々メディアでも取り上げられる、若くて美しい次期麗国ホテルの社長候補。

そんな自分が直接客へサービスをしてやるのだから、ワインごとき簡単に売れるはず。

礼子はそう踏んでいた。


 メイクをし直し、ビシッとタキシードを着込んで、最後にお気に入りの香りの強い香水を振りかけ、準備は完了。


「良い感じね。ふふ……私って何を着ても様になるわねぇ!」


 鏡で自分のソムリエールの姿を見て、ご満悦な礼子だった。


 かくして麗国 礼子はソムリエールとして、ホールへその一歩を踏み出してゆく。


「なんか、凄く香水臭いんだけど、誰か付けてるの?」

「バカっ! 黙っとけ! 礼子さんだよ!」

「はぁ……マジか。参ったなぁ……」


 従業員たちは、自信満々な礼子をみて、強い不安を抱いていたのだった。




★★★参考ワイン★★★


*googleのショッピングでヒットし、購入できるものをご紹介しております。

*価格・ヴィンテージは2022年冬のものであり、価格変更が生じている可能性があります。


【サントリー フロムファーム マスカット・ベーリーA ¥1,853】

*現在ジャパンプレミアムからフロムファームへブランド変更されております。


【岩の原葡萄園 深雪花 ¥2,497】

*新潟県のワインです。ベーリーAの生まれ故郷です。

フラグシップである「ヘリテイジ」も値段は高いですがオススメです。


【白百合醸造 メルロー樽熟成2020 ¥3,520】


【フジッコワイナリー フジクレールメルロー ¥2,200】


 実はここ、ワインの選定にとても難儀しました。

2022年時点で、欧州系の黒葡萄(カベルネソーヴィニョンやメルロなど)最適地は長野県だからです。

山梨ならば北杜市などといった標高の高い地域地域での栽培が盛んです。

勝沼町産メルロ100%のワインはほとんど存在しません。

2022年の日本ワインコンクールでも、欧州系の葡萄を使ったワインでは、長野県産のものがトップを総なめにしました。

実際、長野のメルロは本当に美味しいです。

 ですのでベーリーAを封じられた状態での、甲州ワインの赤というオーダーは非常に難しいのが本音です。

どうか皆さん、『甲州ワインは甲州種を用いた白ワイン』ということを覚えておいていただければ幸いです……本当に……現場は日髙さんのように泣いちゃうくらい大変なので……。



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