第5話 美人ソムリエールの日髙さんとクレーマー

「じゃあ、行ってきまーす」


「待ってっ!」


 台所からバタバタと李里菜が出てきた。

そして綺麗に縛った包みを渡してくる。


「もしかして……?」


「お弁当っ! これから作るって決めた!」


「ありがとう。でも、これからって……」


「大丈夫っ! 家計のためだから!」


 李里菜は自信満々に胸を張って見せた。

 どうやらこういうことは李里菜の趣味のようなものらしい。


「わかった。じゃあこれからもよろしく!」


「うんっ! でも今日はレポートの資料検索で遅くまで学校いる。だからお夕飯はそれぞれで! 外食でも……良いよ?」


「了解。勉強頑張れよ」


「うんっ! トモも無駄遣いしない、でね?」


 そう釘を刺され俺は苦笑いを浮かべつつ、家を出た。


 にしても、手作り弁当にお見送りかぁ……。

これじゃまるで新婚夫婦のような。

ってぇ、何考えてんだ俺は。李里菜は姪っ子で唯一の家族だ。

でも、こういうのってやっぱりすごく嬉しいものだと思う。

礼子と付き合っていたときは、こんなこと皆無だったもんな。


「さぁて、そろそろ本気で焦って再就職をしないと!」


 俺はあえて明るく、自分へ発破をかけた。

 さっさと再就職をしないと、李里菜との楽しい生活があっという間に崩壊してしまうだろう。

だから1日でも早く再就職をしたいのだけれど……



"不採用通知"


 この度は弊社社員採用へご応募いただき誠に……


 そしてまたしてもスマホへ舞い込んできた、不採用通知のメール。

これで通算20通目だ。

 まぁ、ここの会社さんとは面接時にご縁がない気はしていたけど……。


 30歳、経験は宿泊業のみ、ソムリエ有資格者。


 これだけではなかなか再就職が厳しいのが現状だった。

今後の李里菜との生活を考えて、時間が不規則な飲食業や宿泊業を避けているからかもしれない。

 更に李里菜の大学のことを考えると、おいそれと引っ越すこともできないので、地元で職を探している。

 もっと都会ならより多くの選択肢があるだろう。ソムリエに特化するとなると、山奥にあるリゾートホテルなんかも狙い目だが、これも引っ越しを伴うので、選択肢に入れられない。


 しかしこのままだと本気でまずいと思った。

最悪、李里菜との生活を諦めざるを得なくなってしまう。


「いやいや、弱音は吐くな。文句を言うまえに、動いて勝ち取るんだ。理想を……!」


 厳しいソムリエ試験受験時から、俺はそう肝に銘じて進んできた。

 俺はその言葉を改めて口にし、今日も職安へ足を運ぶ。


ーー結局、その日も目ぼしい求人は見つからず、転職アドバイザーには苦笑いされてしまう始末だった。


 李里菜の手作り弁当がなければ、今日はさすがに心が折れていたかもしれない。


 もはや四の五の言っている場合じゃない。

 この際、ワインと全く関係ない職を選ぶ必要がありそうだ。

そうすれば、最低限李里菜との生活の維持は……


 色々考えながら町を歩いていると、目新しいワインバーが目に留まった。


【ワインバル TODOROKI】


 なんかすげぇ、名前のワインバルだな。

まるでアイツの苗字みたいなお店だ。


 今夜の夕飯は李里菜からそれぞれと言われているし、今夜はなんとなく飲みたい気分だ。

李里菜に怒られない程度の予算で、今夜はここで頼むとしよう。

そしてこれからのことをゆっくりと考えよう……


「いらっしゃいませ!」


 店へ入るなり、非常に可愛らしい店員さんが明るく出迎えてくれた。

 目元はくっきりまるみを帯びていて、とても好印象だ。

店の黒いエプロンをしているが、それ越しでもスタイルの良さが伺える。

ショートボブの髪も、少しボーイッシュな印象のある彼女にはピッタリだ。

そしてエプロンに付けられた店の照明を浴びて、燦然と輝く真新しいブドウの形をしたソムリエバッチが目を引く。

おそらく、去年あたりにソムリエ試験を合格したんだろう。

名札には【日髙】と書かれている。


「あの、お客さま……?」


「あっ、すみません。一名で!」


 うっかり【日髙さん】のことを凝視してしまったようだ。

でも、こんな美人がいきなり現れりゃ、嫌でも見ちゃうよなぁ……。

 俺に続いて開店直後にもかかわらず、ポツポツお客さんが入ってきている。

みんな美人ソムリエールの【日髙さん】目当てか? なんてね。


 カウンター席に通された、割と丁寧に作られたメニューリストを手にとった。

l

 ふむふむ、日本のワインと海外のワインが半々といったところか。

チョイスもこうしたカジュアルな店にしては悪くはない。

そしてつまみ類も結構こだわりを感じる。特にこだわりを感じたのが、


「へぇ、鳥もつ煮やってんだ」


 鳥もつ煮とは、ニワトリのモツを醤油と砂糖で照りがつくまでしっかり煮込んだ山梨県発祥の料理だ。

たしかだいぶ前にB級グルメの大会でグランプリをとったことがあったけ。

濃厚な鳥レバーの味わいと、甘辛いタレの味付けはつまみにぴったりだ。

そしてこういう"甘辛いタレの風味"によく合うワインこそーー【マスカット・ベーリーA】


 でもマスカット・ベーリーAのワインはボトル提供だけか。

ボトルで頼むとそれなりの値段になってしまう。

こんなの頼んだなんて言った日にゃ、我が家の勘定奉行"李里菜様"が卒倒してしまうだろう。

 でも鳥もつとベーリーA……飲みたいなぁ。どうしよう……


「だから、マスカットなんちゃらじゃなくて、俺は"甲州ワインの赤"が飲みたいんだ! あんたソムリエだろ!?」


 ふと、隣からちょっと身なりの良い中年男性の嫌な怒号が聞こえてきた。


「え、えっとですから……」


 そして一方的に怒鳴られて、かなり萎縮している日髙さんの姿が。


「何も俺は難しいこと言ってないだろ!? 最近、テレビとかで"甲州"って書いてあるワインがあるだろ! それの赤をくれって言ってるだけなんだから!」


「あ、あの、ですから、甲州の赤は……」


「ボルドー赤、ボルドー白とかいうだろ! それと同じ注文をしているだけじゃないか!」


「で、ですからマスカット・ベーリーAを……」


「だから、俺はマスカットなんて飲みたいくないんだって言ってるだろ! "甲州の赤ワイン"が良いってさっきから何度言わせるんだ! 君、本当にソムリエなの!?」


 うわぁ……ひっでぇ。

しかも日髙さん、さっきまであんなに元気だったのに、今にも泣き出しそうだ。

 店長か誰か助けてやれよ、と思うものの、誰も出てくる気配が見えない。


「もう良い! こんな店っ!」


「あ、あ! お、お客様っ!」


 中年男性は怒り心頭な様子で店を出て行こうとする。


 こんなの見せられた日にゃ……やるっきゃないっしょ!


「あのーすみません」


「なんだ、君は、いきなり!?」


 それでも俺の一声で立ち止まってくれている限り、この中年男性はとりあえず話は聞いてくれそうだ。

それに良い時計もしてるし、靴も上等だ。小金持ちっぽい。


「先ほどからお話を伺ってまして。良かったら"甲州ワインの赤"をご一緒できないとか」


「なに?」


「このお店魅力的なワインが多いんですけど、ボトル提供がほとんどなんで、1人じゃ飲みきれないなって思ってまして。どうですか? ここでお席がお隣同士になったのも何かのご縁ですし」


「君は一体なんなんだ?」


「失礼しました。俺、緑川 智仁って言います。これでも一応ソムリエで、以前は麗国ホテルに勤務してました」


 麗国ホテルの名前を出した途端、中年男性の表情が和らいだ。

悔しいけど、あのホテルはこの辺りじゃ誰もが憧れる高級ホテルだからだ。

この地方限定だけど、"元従業員"でも、割と影響力があったりする。

実情は結構ブラックなんだけどね。


「日髙さん、注文を!」


「え……? あ、はいっ!」


 日髙さんは慌てた様子で駆け寄ってくる。

さぁて、久々にやっちゃいますかね!

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