一を聞けど十は知れぬ
「それで、結局君自身は自分をどう解釈しているんだ? 片岡」
「……んー、んんんん〜〜……」
昴生に問われたアルカは、片岡アルカとして過ごした半生と、球体として再生された記録のほんの一部分を、どう説明したものかと悩んで唸り声を出す。
別に隠し事をしたいわけではないが、何故と問われても答えられない不明瞭な部分も多い。
アルカの悩ましい声を遮るように菫が軽く手を挙げる。
「順番に説明が難しそうなら、質問に答えてもらうとかどうかな? 答えられるとこは教えて。よくわかんなかったり、答えたくない事は言わないでいいから」
「うん……!」
ぱーっと明るくなった表情につられて菫も顔が緩みつつ、姿勢を正す。
「アルカは前、山の中でアルカのおじいさんに助けてもらったって言ってたよね?」
「うん。私、気付いたら迷子になってて、どこに行けばいいのかわからなくて、爺さんがうちにくるかって言ってくれたから、ついていくことにしたの」
アルカが『爺さん』と呼ぶ養父と暮らし始めた経緯について、菫が以前聞いた『山で迷子になってたところを見つけてもらい一緒に暮らし始めた』とざっくりした内容と、今改めて聞く内容に相違ない。
初めて聞いた時、とんでもない訳ありの気配を察して菫は深く追求しなかった。
養父母について語るアルカがとても幸せそうだったので、それ以前について聞こうとも思わなかった。
菫自身が、兄と暮らし始める前の生活について深掘りを避けていたのも要因だ。
そうして、時間を経て改めて話を聞き、かなり印象が変わった。
アルカが人間ではない、その一点が混ざっただけで増えた疑問点を上げていく。
「アルカがおじいさんに犬だと思われてたのは、その時?」
「うん。でもいつの間にか人の形になってた」
つまり、養父との邂逅時、アルカは人の姿ではなく光っていたようだ。
山の中で遭遇した犬、恐らく光っていたであろう犬に話しかけ、迷子ならばと家に招く。菫は養父の顔も性格も知らないが、かなりの豪胆な人だったのだろうと容易く想像がついた。
「んー……光ってる状態だと写真に映らなかったんだよね。おじいさん、魔術師だったのかな? わたしみたいに窓の目持ってる人だったとか?」
「わかんない、そんな話聞いた事ないよ。まぁ、爺さんはあんまり自分の事、話さなかったからなぁ……。爺さんの話はほとんど婆さんから聞いた話だし、婆さんの話もほとんど爺さんから聞いた話だった」
「わぁ」
養母が知らない範囲であれば、養父について詳しくわからない。そういう意味として事実を語っただけのアルカに対し、聞き手の菫はなんだか微笑ましいおしどり夫婦の話を聞いた心地で、うっかり羨ましさが口から漏れた。
「でも、見えないのを見てたならどっちかだよね。んー……菫か継片って考えたら、継片に近い、かな……?」
「以前の片岡と同じように、素質はあるが知識と技術を得る機会が無かったのだろう」
二人して首を傾げていると昴生が口を開く。
「魔術師の家系に生まれなければ、魔術師として育てられない。独学も可能だが、魔術師としての素質が強い程、力のコントロールが出来ずに早死にする傾向がある。逆に、見える程度の弱さならば、己の素質に気付かないまま生涯を終える。片岡の養親は後者だったのだろう」
「……全然、考えた事なかった。そっか。爺さん、魔術師だったんだ」
駆け出しの魔術師になったアルカは亡き人との見えなかった縁の存在を、噛み締めるように呟いてから顔を上げた。
「えっと、次は何話せばいい?」
「じゃあ、アルカは迷子になる前、どこにいて何してたかわかる?」
「んー……何もしてなかったかな。寝てるというか……省エネモードみたいな感じ。それで空飛んでた」
「はい?」
「だから、空飛んでた」
またもや突拍子もない話が飛んできた。
赤いマントを背中につけて大空へ飛び立つアルカを安直に想像しつつ、菫は『何故飛んでいたのか』に繋がりそうな言葉を引き出す。
「さっき、アルカは生まれた経緯に心当たりあるって言ってたよね。お父さんとお母さんがそうだったから、とか?」
「あー……ええと、生まれた、というか作られた、が近いかな」
アルカは緊張を解すために一度小さく息を吐く。
「私はアーノルドが作った方舟の中身だったの」
「……中、身?」
「うん。舟を宙に浮かせる力、傾かないようにバランスを保つ力、陽の下と雲の下に移動する力、風と雷を反らす力、雨雲を探す力、舟の上で植物を育てる力……舟の上の生き物達が生きられるように、アーノルドが方舟に組み込んだ色んな機能が、私」
アルカの答えの後、部屋は静寂に包まれた。
菫は未だに実感が薄く、また彼女が明かした正体についても想像力の範囲外で、どう反応を示すのが正しいのかわからず口を開いては、言葉が見つからずに閉じた。
アルカは口を結んだまま、次の問いを、もしくは二人の反応を粛々と待機していた。
昴生も同様に静かだ。菫は視線をずらして反応を伺うと、口元に手を当てながら伏し目がちに考え事をしているようで、あまり驚いたり動揺している様子はない。彼が深く息を吐く音が静かな部屋に響く。
「……君が、片岡家に養子として迎え入れられたのは数年以内の事だと把握はしている」
「は!? え、うわ、きも」
「その言葉が正しければ、アーノルドの方舟は現代に至るまで空を飛んでいた事になる。だが、目撃情報は一つもない」
「言い訳すらねぇ!」
あ、やっぱりアルカの事もこっそり調べていたのだな。そしてとうとう明かしたな。と菫は口を挟まなかったが、生暖かい視線を流した。
「はぁ~……いや、私ずっと寝てるような状態だったって言ったじゃん。下の事なんて見えてなかったし、どう見られてたのかもよくわかんない」
「地上から何メートル離れていたか、推測でも把握していないか?」
「えー……雲の上にいるのがほとんどだったかなぁ」
「君自身が方舟に携わる内側だとするなら、外側に値するもの……同一種と呼べる生物は存在するのか?」
「外側……方舟本体って事? んー、会った事ない。方舟の中には私しかいなかったし、いないんじゃない? っていうか、普通にいないでほしい。本体に意思あったら全部無視して動かしてたって事になるし。それに、私はアーノルドの動力? で作られてるらしいけど、本体の方は木で作られてたから」
「動力? 魔力ではなく?」
「違いがあるのかわかんないけど、そんな感じに言ってたよ」
「それは君自身が作られた直後の説明か? なら、」
「あ、待って。それは私が山に落ちる直前くらい。えーと……十年くらい前、だったかな」
昴生が続けて尋ねる言葉はアルカが遮るように否定した。前提が違うので答えられないと伝えるための言葉により、室内が再びしんと静まり返る。
情報の嵐に、頭がパンクしそうになる。
魔術師の始祖、かつて世界の沈没から方舟で命を救いあげたアーノルド。
現代の魔術師に叶わない技術を持った未来人であり、遠い過去の救世主で、彼に作られたのが方舟でありアルカであって、アルカは何千年前に作られてずっと空を飛んでいて、雲より高い場所から、降りてきたではなく、落ちてきた?
ぐるぐると、目を白黒と、菫は瞬きを繰り返しながら頭に抱えきれなかった疑問が口から零れる。
「じゅうねん、まえに、おちてきた? け、けが、とかは……あ、ない、のかな? そっか、光の状態だったら、そっか」
「うん、ぴんぴん。あ、まって、ちょっとずれるかも。えーと、えー、五歳だったから、十一? 十二年前? になるかも」
「…………えぇ、と、なんで五歳?」
「え? ……そういえば、何でだっけ。私が言ったような、勝手にそのくらいってなってたような……」
「いや、ごめんまって、……ちょっと待って」
いくつか声を出すと若干冷静さを取り戻せて、菫は口を閉じながらこめかみを指で押し揉む。
思わず変な疑問も飛び出して十年から一、二年加算されたが、どちらにしても誤差だ。少なくとも近年で地上が水に沈んだ歴史はないので、方舟として飛んでいた年月を五歳にするにはサバを読み過ぎだ。……いや、あまり関係ない話だろうか。
菫の頭の容量は限界寸前だが、傍らの学年上位の成績優秀者であれば。希望を込めて視線を向けるが、彼も片手で顔を覆って俯いていた。駄目な気がする。
「……片岡は、何故地上に落ちてきたんだ? 飛行不可能になる事象でも起きたのか?」
顔を上げないまま、疲労感の滲む声で果敢にも質問を続ける様に菫は心の中で音も無く称賛した。
……確かに、これまでずっと空を飛び続けていたのに急に落ちたとは、穏やかではない。ぐったりと頭を垂らしていた菫は顔を上げると、アルカの顔を見る。
「ばつ」
ぽつり。どこか幼い音を残した否定は、菫の知るアルカのものではないように聞こえた。アルカは不思議そうに口元に手を当て首を捻るが、無意識に零れた言葉の意味はわからない。とりあえず問われた事に答えるために、思考の外側に排除する。
「……多分、違う。ちがう、けど……」
青い双眸を瞼で閉ざし、先程覗き見たかつての記録をあさる。
アーノルドの願いを了承し、アルカは高く高く上昇し、大気圏で不要となった脆い本体を燃やし、ばらばらに広がった身をひとまとめにして、何かを目指して、そこに向かって落ちて、落ちて……。アルカは渋い顔で目を開く。
「……なんだっけ。なんか、アーノルドに頼まれたんだったかな……? 力を貸してやれ、って。それで、その誰かのところに行こうとして山に落ちて、でもそこにはその誰かじゃなくて、爺さんしか会えなかった。そしたら、どこに向かえばいいのかわかんなくなっちゃって」
「あ、山で迷子になったのは、そういうていじゃなくて本当だったんだ……」
「う、うん。ちゃんと山に向かって落ちたのとか、会おうとしたのは爺さんじゃないってのは何となく覚えてるけど、何で? って思うと、何でだっけ? みたいな……」
これも望み、望まれた結果の一つ。あるいは、弊害。
『ほっとけ』と言われ、役目を放り投げた記録への接触が阻まれている事実は、もはや片岡アルカの手の届かないものになっている。
こめかみを拳でぐりぐりと刺激しながらアルカは険しく顔を歪ませる。
「うあ~~、気持ち悪っ! なんだっけなぁ、せめて名前……名前だけなら出てきそうなんだよなぁ~! アレ、アレだよ、アレ! なんか最近聞いたような気がするんだよなぁ~! ううう~~!」
次の瞬間、アルカはハッと息を呑んで天啓を得たように堂々と告げる。
「そうだ、――テンセイシャだ!」
「転生者!?」
「そう! 転生者のとこに行けって!」
「て、転生って、アレ? あのよくあるアレ!?」
「そう、よくあるアレ! ……ん? うん、多分そう!」
「じゃあ、アルカには転生した人かそうじゃない人か、わかるって事!?」
「爺さんが違うって気付いたんだから、多分!」
魔術や幻想と呼ばれる種族に続き、輪廻転生の証明を間接的に目の当たりにした菫はやや興奮気味に問い、アルカは思い出せてすっきりした表情で全肯定している。
事実は違うが、この場にその事実を訂正出来る者は一人もいなかった。
「…………、魔術による空中都市――アーノルドの方舟を再建するにあたり、避けて通れない問題が二つ」
頭を抱えていた昴生は、話を聞き終えると疲れ切った声を漏らす。
「一つは解析不足。構想があろうと技術が伴わなければ当然作れない。〈
「……?」
突然、質問ではない事をつらつらと語り出した昴生にアルカは怪訝そうに首を捻り、困った視線を菫に向ける。菫もよくわからないと首を傾げている間に話は進む。
「次にエネルギー問題。方舟を維持に必要最低限の魔力と、コントロールする人材がいない。仮に完成させたとしても、運用出来なければ置物以下だ。海上に固定出来れば土地に代用も可能だろうが、安全面など無い。費やしたコストを回収出来る見込みすらなければ維持していく事すら立ち行かなくなる」
「……え、ん? んん?」
「ええと……多分、前に聞いた話、かな? 方舟自体が見つかっても、すぐ空中都市を作る事は出来ないっていう」
夏祭りの翌日に語られた魔術師という存在と、アルカが手にしてしまった〈
菫は口にしながらおぼろげな記憶を引っ張り出して、ひっかかりを覚える。
解析不足とエネルギー問題。
これは彼が以前、方舟が見つかったとしても空中都市に繋がるまでに時間を要すると語った内容の詳細なのだろう。
未知の技術への精通、一つの島ほどの大きさを浮かせる膨大なエネルギーの見当…………。
「そうだ。これまではそうだった。だが、片岡の話が事実なら……この百年の膠着が一変する」
片岡アルカは人間ではなく――膨大な魔力を持つ方舟の中身である。
「本体は木材、エンジンは再利用、――それで、アーノルドの方舟を再建する条件が揃う」
淡々と、泰然と、継片昴生は事実を告げる。その声色が、菫には苦しんでいるように聞こえた。
俯いたままの少年と、事実を突きつけられた少女。どちらに視線を向ければいいのか、何を言えばいいのか言葉すら思いつかず、焦点が定まらない。
「……冗談じゃ、ない」
「それは、こちらの言葉だ……」
魔術の叡智、失われた方舟の欠片、始祖の遺物。
それが、一人の少女という形で現存していた事実が今、判明してしまった。
見つかってしまった遺物も、見つけてしまった魔術師も互いに顔色悪く、悪夢の中にいるような声を絞り出した。
「それと、もう一点」
「ま、まだなんかあるの?」
「僕は今まで、君自身の力は膨大な魔力だと思っていた。だが、君の力はあまりに強すぎる。その出力の差が魔術師の知る魔力と、始祖の力である動力の違いであれば……そこに、明確な違いがあった場合、君の力は消耗する一方にならないか?」
魔術師は、失った魔力を呼吸のように時間を経て蓄える事が出来る。昨日の昴生が一日の時間を経て、いつも通りの外見を取り繕えるように。
もしも、片岡アルカを構築する動力と呼ばれるものが魔力と似て非なるものであったなら、今日に至るまで魔術師達が辿り着けなかった原因の一端だとわかる。
同時に、彼女が力を行使するたびに目減りしていく動力への対処は彼女を作り上げたというアーノルドにしか出来ない。
現代の魔術師である昴生が出来る措置も手段も存在しない事になる。
「君が蓄えていた力を数値として一億と想定するなら、これまで魔術によって消耗した量は百にも満たないだろう。およそ百万分の一……今まで、君の力がわずかに減ったままだとしても誤差程度にしか思わなかった。その自覚はあったか?」
「…………も、うすこし、わかりやすく、言えないの?」
アルカの答えに、昴生は歯噛みする。
「片岡が人間であれば、放置していい問題だった。だが、君は動力と呼ばれる力で作り上げられた存在で、魔術によって消耗するのが動力であれば、君自身の寿命を削っている可能性がある」
魔力と、動力の違いを、当の片岡アルカですらわかっていない。例え消耗する量がごく僅かだとしても、無限ではない。
魔力を蓄えられなくなった魔術師はただの人間に戻るだけだが、片岡アルカは動力そのものが存在の支柱だ。
「……アルカは、魔術を使い続けてたら、消えちゃうかもしれないの?」
先程まで、酷く愉快に、彼女の姿の変異を楽しんでいた菫は、その意味を理解して気を失いそうだった。
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