球技大会の翌日

 翌日。時間がゆったりと流れる土曜日の午前。昴生はアルカの暮らすマンションの一室を訪れて、言葉を失っていた。


「それでわたしとしては、アルカの種族は神秘的な精霊とか合うなって思うんだけど、昴生くんはどう思う?」


「……四十度近い高熱による幻覚から生じた織部の妄言だと思いたい」


「ものすごく元気で、しっかり現実だよ」


 顔を片手で覆いながら深々と息を吐き出す昴生に、彼と別れてアルカの部屋を訪れてからの出来事を説明した。

 とはいえ、菫は結局アルカの正体について詳しくわかったわけではない。


 あの後、泣き続けたアルカを宥め、落ち着いたのは日が暮れた後だった。菫は兄に帰らない事と食事の準備がない事を連絡し、昴生には翌日相談のため時間を設けてほしいと頼んだ。

 その後はおおよそいつものお泊まりだった。アルカが菫の傍から離れようとしなかった以外は。そのため一度帰宅するのを諦め、夕食のついでに下着の替えだけを購入して寝巻きはアルカの服を借りた。


 土曜日。当たり前のように部屋着のアルカと私服の昴生。一人だけ昨日と同じ学校のジャージを着ている菫は仲間外れの気分になった。

 夜のうちに洗濯したとわかりつつ、居心地の悪さを誤魔化すため一応匂いを確認しておく。清潔な洗剤の香りがした。


 閑話休題。

 片岡アルカは人間ではない。その事実をじっくりゆっくり時間をかけて飲み込んだ昴生はしぶしぶと顔を上げた。


「生まれた経緯を織部に話してないのは、片岡自身に心当たりがないからか?」


「心当たりは……まぁ、ある。でも昨日はなんか、そんな話してる暇がなかったし。ね」


「ね。昨日はご飯の後、ずっと特訓してたもんね」


「特訓……?」


「そう! わたしとアルカで特訓したの!」


 急激に声色明るく反応した菫が、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの笑顔を寄せる。

 いつも織部宅では、テーブルを挟みそれぞれが椅子に座っていたが、片岡宅には低く小さいテーブルしかなく、それを囲うように三人は床に腰を下ろしていた。結果、いつもより距離が近い。その僅かな距離すら一気に詰められた昴生は逃げ腰になりつつ、話の続きを促した。


「夕飯食べ終わった後で、わたし気付いたの。光の球から人の姿になるアルカが、変身ヒーローみたいですっごくかっこいいなって!」


「…………、……」


「アルカはどっちにも変身出来たけど、どうしても毎回服が脱げちゃって……それはさすがに良くないから、どうにかならないかなって一緒に考えて、何枚か服を駄目にしちゃったりしたけど、何度も練習して出来るようになったの」


「ふふーん、コツ掴んじゃえば何てことなかったけどね!」


「すごいんだよ本当! まぁ、昨日の今日だからまだボーダー柄の服がシマウマ模様になっちゃったりしたけど、練習を重ねたら本当に、戦闘服とかに変身とか出来ちゃうんじゃないかなって!」


「…………そうか」


 もう何から指摘すればいいのかわからず、昴生は頭痛がして額を抑えた。


 片岡アルカは人間ではない。

 それ自体は昴生としても納得出来る部分は多い。第一印象からおおよそ常人の域を越えた、人に擬態する生物ではないかと疑う箇所の方が多かったが――織部菫の隣にいる間は本当にただの少女として脅威は鳴りを潜めていた。一年の時を経て再浮上した疑念に妙な懐かしさを覚える。

 当時の警戒心を呼び起こし、改めて二人の少女を見た。

 恐れ戦く事も拒絶する様子も、何一つ変わりなく、よくわからない事で楽しそうに笑い合っている。……いや、片方のテンションが明らかにいつも以上に高くて、変わったところはないとは言えないのだが。


「織部は変身にこだわりでもあるのか?」


「へ?」


 不思議そうに問われて、菫は目を丸くする。

 アルカは菫から乞われたため、特に疑問もなく被服の分解と再構築の特訓した。昴生の疑問を聞いて、そういえば妙に熱量を持って特訓に付き合ってくれていたな、と気付いた。気付いてしまえば回答が気になり、アルカも菫に視線を向ける。


 答えを待つ二人の視線を集めた菫は、一拍置いて、困り顔を赤らめた。羞恥で火照る顔を両手で覆い隠しながら視線から逃げる。


「あ、あぁぁ、いえ、あの、別にこだわりとかそういうのはなく、なんか、なんというか普通にかっこいいなぁって、特別思い入れとか憧れとかあるわけでもなく、ついわくわくしちゃって、つい出来心で……あの、二人の矛と盾出したりするのも、すごいなって思うんだけど、いつも見るタイミングがこう、わくわく出来るタイミングを逃してたりしてたけど、今回はそうじゃなかったから……つい、はしゃいでしまいまして……」


 普段は一般人、しかし誰かのピンチとあれば駆け付けて戦う、子供心を掴んで離さない正義のヒーロー。

 その魅力に菫ももれなく惹かれ、幼い頃変わらず好きなままだったわけではないものの、けして忘れられない感動の一つとして心に焼き付いていた。


 かつて憧れて焦がれたテレビの中の物語が――目の前で、現実に起きた。そんなの、心が高揚するに決まっている。

 これまでは大体身の危機とセットだったが、昨日は他に気にする事がなかった。アルカと二人きりで水を差す第三者もいなかったのもあり、やれ覆面のヒーロースーツよりカラフルで舞台映えしそうな華やかな衣装も合う、武器が矛なら動きやすさ重視に和装も合うなど、思い切り気持ちが弾けた。

 つらつらと言い訳を並べながら遅れて自覚した菫は、とんでもない恥ずかしさに悶えそうだった。


 そんな答えを聞いたアルカは拍子抜けしたように息を吐きつつ、無自覚に追い討ちを仕掛けた。


「何だ。菫が魔術でわくわくしてるのなんていつもの事じゃん」


「いつもの事だったの!?」


「うん。大体いつも目がきらきらしてた」


 しれっとアルカ目線の常識を明かされ、自分の目の輝きなんて知る由もなかった菫はこんなタイミングの暴露に「うばぁ!」と悲鳴なのか呻き声なのかわからない声をあげ、背中を丸めて床に蹲った。


「ま! 菫だって継片の堅苦しい勉強会より、私との実験のほうが何百倍も楽しくなっちゃうに決まってるもんね! だから恥ずかしがることないよ! うん!」


 得意げに胸を張って優越感に浸っているアルカに悪気はない。言っている事も大部分当たっていて、あえて訂正する内容でもないが、菫は呻き声を漏らしながらますます縮こまった。

 昴生はとりあえず、小さくなった震える背中に「……すまない」とこの状況になった発端として謝罪した。




 いつまでも蹲っていられないと顔の赤みがまだ残っているものの構わず菫は顔を上げた。やけくそである。


「アルカ! 実際に光ってる時の姿を昴生くんに見せるついでに、特訓の成果も見せよう!」


「特訓の方が要点なのか」


「おっけーい!」


 軽い返事と共にアルカの全身が発光する。光の色が金色だとわかる頃には顔は消え、長い髪も消え、人の輪郭だけが残る。そしてその輪郭も消えていく。融点を超えた金属のように、光り輝くそれは内側へ内側へまとまっていく。

 そして床の上に光の球が鎮座した。フローリングでも転がる事なく静かに留まる様子は、何度見ても置き型のランプに見える。ボールサイズの満月がそこにあるみたいだ。


「綺麗だよね。この状態でも一応話は出来るんだけど、なんか肘の内側で発声してるみたいで気持ち悪いらしいから、色々気になると思うけど元に戻るまで質問は待ってあげてね」


「――――――」


 アルカの光を見下ろしながら、昨晩教えられた情報を昴生にも共有するつもりで話しかけたが、反応がない。

 振り返ると昴生は床にいるアルカを見ていなかった。驚愕に見開いた目は、菫を含めた部屋全体を見回している。


「……昴生くん?」


 継片昴生の目には、床に座る織部菫と光と共に姿を消失させた片岡アルカ。

 そして、部屋全体に広がる光の霧が見えていた。


 瞬時に、この霧を吸い込んではならないと働いた直感に従い、片手で鼻と口を覆い呼吸を止める。

 片岡アルカは人間ではない。膨大な魔力を詰め込んだ少女の形をした何か。器が無くなれば詰め込まれた魔力はどうなるか、考えずとも触れて実感する。

 この霧は、少女を構成する魔力そのものだ。

 片岡アルカが散らばっていく、キラキラと火の粉のように、塵のように。

 この凄まじく鮮やかな嵐の中で肺いっぱいの空気と共に取り込んでしまえば、どれほど、どれだけの、人智を超えた力を、


 ――吐き気がする。


「ちょっ、昴生くん!? アルカ、一旦ストップ、戻って!」


 突然口を押さえながら玄関に向かって駆け出した昴生の反応に菫は驚き、慌てて追いかけた。

 靴も履かず、扉の施錠を解くとほぼ同時に部屋の外に飛び出した昴生はその場で立ち止まった。菫は彼にぶつかりそうになった閉じかけの扉を押さえ、予想外過ぎる反応に仰天しつつも様子を伺う。


「えっと、大丈夫? なんか生理的にきつかった?」


「ちょっと驚きすぎじゃない? まぁ、菫みたいにじっくり見て触ってこられても困るけどさー」


 片岡アルカの形を取り戻し、二人を追ってきたアルカがいつもの調子で声をかけると、昴生はゆっくりと振り返る。二人の少女が並んでいる見慣れた光景を視認して、ようやく呼吸と共に手を下ろした。

 指が離れると彼の頬に爪が食い込んだ痕を見つけて、菫は密かに息を呑む。どれほど強く口元を押さえていたのだろうか。


「……本当に、大丈夫?」


「問題ない。それより、織部の話と僕の見た物に大きな齟齬がある。認識の調節をしたい」


 菫の心配をよそに昴生は踵を返し部屋に戻ろうと玄関に再び踏み込んだところで立ち止まる。


「外の汚れを付けた靴下のままと、裸足。どちらの方が家に上げる衛生面で嫌悪感が薄い?」


「……えっ? えいせ、ええと、どっちがばっちくないかって話? 別にどっちでもどうでもいいけど……えぇ……そんなの気にするとこなの……?」


「どちらも不衛生だと感じるなら、替えを用意して来るが」


「いいって。めんどいって。というか何かその言い方、私がお前を汚れ物扱いしてるみたいじゃん。言いがかりなんですけどぉ」


「人の家に上がる際の一般的なマナーだと、」


「はいはいわたしも靴下のままもう一度お邪魔しまーす、話の続きは座ってからにしよう!」


 狭い玄関でぎゅうぎゅうの中、互いに眉を顰めながら言い合いでも始まりそうだったので、昴生ごとアルカを部屋の奥に押し込みながら菫はしっかりと扉を閉めた。


 短い通路を通り元の位置にそれぞれが腰を下ろせば、アルカは改めて文句を言うほどではなかったようだが、すっかり機嫌を損ねて口をへの字に尖らせる。

 昴生もこだわる必要がないとわかれば、早速本題を口にした。


「織部の話では、バレーボールほどの光る球体と聞いたが、僕の目には片岡の姿が消えると同時に室内に霧が発生した」


「霧? 部屋が真っ白になっちゃったの?」


「いや……全体が薄らとぼやけるだけで視覚的に問題はなかった。霧自体もあちこちで七色に光っていて、白い印象はあまりなかった」


「霧に七色の光……何だか雨上がりの虹みたいだね」


 昴生が見た光景を言葉通りに想像すると、幻想的で美しい情景のように思える。そのまま口にすると睨め付けるような視線を向けられた。

 確かに、明らかに菫の見たものとは全く違うし、彼の反応がただ綺麗な景色を見た反応ではないのは、言われずとも察する。


「うーん、何で全然違うように見えたんだろ」


「え? そりゃ形を持たないもの見たらそうなるんじゃない? 爺さんも多分私を犬だと思ってたみたいだから、見え方バラバラなんじゃない?」


 アルカのあっけらかんとした言葉はなかなか受け入れ難い内容だった。

 そもそも、形を持たないもの、と表現されるもののイメージがわかない。形がないなら想像が難しくて当然なのだろうが……。


 不思議そうに首を傾げているアルカを見て、菫は新たに得た実感にしみじみと呟いた。


「なんか……アルカって本当に人間じゃないんだね」


「今更ぁ!?」

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