もう遅い
「さて改めまして、アタシは
場所は変わり、隣駅の繁華街。カラオケ店の一室で盗聴の恐れなしと魔術師二人によって確認されたところでようやく自己紹介となった。どう見ても外国人の外見をした八重樫と名乗った男、同じ花の名前を持つ菫はますます困惑を極めていた。
「……私には男にしか見えないんだけど、実は女なの?」
「アルカ、すごくデリケートな話かもしれないからもっとオブラートに包んで」
「あら、お気遣いありがと。でも全然デリケートじゃないの。おしゃれとか言葉遣いとか好きなものを突き詰めていってたらこうなってたのよねぇ。名前も帰化申請の時に趣味でつけたものだし。あ、ちなみに男よ」
言葉通り何も気にしてなさそうな八重樫のあっけらかんとした反応に菫は安堵しつつ納得した。
彼の髪型やメイクはなかなか派手だが、服はそれを引き立てるようなシンプルなシャツとズボンで、長身なことも相まって綺麗にまとまっていた。外見だけでなく名前や言葉遣いすらもファッションとして楽しんでいる、そんな印象を抱いて、菫は率直にすごい人だと思った。
「八重樫さん、すごくおしゃれだと思います。髪がさらさら揺れてると海みたいで綺麗です」
「えっ、きゃあ嬉しい! 最近の学生ってそんなにお世辞が上手なの? アイス食べる?」
「いえ、カレーも買っていただいてしまったのでさすがに……」
あのカレー屋での大騒ぎの後、八重樫は三人分のカレーをテイクアウトしてすぐに店を出る事になった。店側に迷惑かけて気まずかったのもあるし、人前で話せる内容ではなかったのもあった。
そうして食べ物持ち込み可で密室という条件で、高校生三人とド派手外国人という謎の一行は隣駅のカラオケ店まで移動してきた。部屋の案内をした受付の店員と、ワンドリンク制の飲み物を運ん出来た店員の営業スマイルが消えて困惑していたのが少し申し訳なかった。アルバイト先に接点のなさそうな成人と未成年の組み合わせが来店してきたら通報が頭によぎる気持ちはわかる。怪しいことはしないので安心してほしい。
遠慮する菫に対して八重樫は「気にしなくてもいいのに」と残念そうに眉を下げた。
「菫ちゃんとアルカちゃんに関しては、お詫びも兼ねるつもりだから本当に遠慮しなくていいのよ」
「お詫び?」
「だって、一ヵ月前に使い魔を逃しちゃったのアタシのせいなんだもの」
「はぁっ!? なんで逃したの! そのせいで花火大会全然楽しめなかったのに!」
「本当にごめんなさいね。アタシ、魔術師としてはあまり強くなくて作った檻も拘束も突破されちゃったの。使い魔が一般人を襲うなんてありえないから、昴生ちゃんには迷惑をかけるけど大したことじゃないと思い込んでいて、認識が甘かったし迂闊だったわ。怖い思いをさせてしまってごめんなさい。怪我はなかったかしら」
八重樫の真摯な謝罪と心の底から案じるような眼差しに、アルカはたじろぐ。楽しみにしていた夜を台無しにされた怒りは残っているが、怪我らしい怪我もなく、菫も特に気にしている様子もない上に、一ヶ月も時間が経って燃える勢いは消えかなり燻っていた。そこへ水をかけられたような気分だ。
アルカはメニュー表を見て、「お詫びはポテトでいいよ」とつっけんどんに言う。八重樫は内心胸キュンしながら電話でオーダーした。
「えっと、あの使い魔の話は昴生くんから聞いてたんですか?」
「いいえちっとも。『終わりました、回収した物は送ります』とか、すごく事務的な連絡だったわ。だから無関係な子が巻き込まれてたなんて考えもしなかった。ただちょっと気になることがあったから様子を見にきて、ようやく何かあったって気付けたの」
気になること。意味ありげに八重樫が黙ったままの昴生に視線を投げかけるが、特に何も言わずに話を続ける。
「二人が並んだら一目瞭然。より多く魔力を持ってる方をあの仔が選んだと思えば、何が起きたのかは想像がつくわ。菫ちゃんは、アルカちゃんと一緒に花火大会に行ってて偶然って感じかしら」
「はい、そうです」
「まぁきっかけはわかっても、昴生ちゃんが今もアナタ達と一緒にいる理由が本当にわからなくって……最有力として、昴生ちゃんの言葉足らずのせいでアナタ達が昴生ちゃんが加害者だーって勘違いしてる、と思っていたわ。まさか友達になってるとは」
「あの……友達ではないんです、本当にクラスメイトで……」
菫としては説明しにくい理由で友人関係を拒絶されているため、この話題は適当に流したいところだ。八重樫はとても嬉しそうに笑顔になっているし、一方で昴生はこれまでになく冷たい視線で菫を睨んでいる。
「そうなのねぇ。昴生ちゃんにとっても優しいクラスメイトがいて、アタシは嬉しいわぁうふふふ」
「…………」
「さて、アタシが知りたかった事は大体わかったわ。先を譲ってくれてありがとう、昴生ちゃん」
「構いません。二人に少々話があるので、八重樫さんは五分ほど部屋を出ていてほしいのですが」
「そうね、お手洗いでも行ってくるわ」
叱られている様子を見られるのは辛いだろうと八重樫は気を利かせて退室し、同時に注文していたフライドポテトが運び込まれた。
「君達は馬鹿か」
ストレートな罵倒であった。ポテトを食べ始めたアルカは反射的にムッと顔を歪めたが、自身の行動を思い出して気まずそうに黙った。
「僕は前もって、魔術師に存在を認識されるなと言ったはずだ。片岡は魔術師として未熟者である事と〈
「……やっぱり駄目だったかな」
「駄目だろう。今並べた隠しておくべき事をあの一瞬で八重樫さんにほぼ気付かれた。今はまだ織部が才能に気付いたばかりの魔術師の卵だと勘違いしている状態だろうが、魔力が全くないことなんていずれ見抜かれる」
現状、昴生から見た八重樫の見解としては『昴生は使い魔の暴走に巻き込まれた時に出会った未熟魔術師の二人の面倒を見ている』だと考えている。しかし実際は鴨とネギだ。菫が魔術師ではないと気付かれれば王手である。
「え、ど、どうすればいい? 学校辞めないと駄目!? 菫と南の島とかまで逃げた方がいい!?」
アルカの発想をそのまま想像した菫は、二人で海を満喫している逃避行とは思えない旅行風景が浮かび、それはそれで楽しそうだなぁと一瞬考えた。現実逃避である。
「その必要ない。織部には店に入る前に実践だと言っただろう」
「あ、そういえば言ってたね。じゃあ、八重樫さんは気付かれても大丈夫な魔術師だったの?」
「僕が知る中で唯一、信頼に足る人だ。今回は考えうる危険はないが、次回以降はない」
勝手に昴生を人間不信なタイプだと思い込んでいたため、菫は少しだけ意外に思った。いや、八重樫が唯一ならばその他は信頼出来ないと言う意味で何も間違いではないのかもしれないが。
少しだけ、羨ましくも思った。そして八重樫本人がここにいなくて良かったと安心もした。全く関係ない菫が聞いただけで落ち着かない気持ちになったのだ。当人が聞いたら、と考えたらいつかの恥ずかしさと居た堪れなさが蘇ってしまう。なんというか重い。重たいのである。
「織部、気がそぞろなようだが、何を考えている」
「へっ!? いや別に変わった事は特に」
「そもそも、何故あんな行動をした。僕が八重樫さんの前に立って視野を遮り、君達は店の出入り口にいた。多少動揺しても誤魔化せる距離にいたのに、何故店内に踏み込んで、」
昴生の言葉を遮るように八重樫が戻ってきた。
「ただいま〜お説教は終わったかしら〜」
「まだ途中です。戻ってくるの早くありませんか」
「そう? まぁアタシ戻ってきちゃったし、アルカちゃんも菫ちゃんも反省してるみたいだから、昴生ちゃんも一回クールダウンしましょ? 頭に血が上ると考えが狭まっちゃうわ」
「……はぁ」
実際八重樫が退室してたのは三分程度だった。状況を俯瞰していた八重樫は少女二人の迂闊さも三人が誰も悪くないのもわかっていたし、悪いのは夏の時も今日もきっかけを作った自分だと考えていた。だからあまり長く席を外すつもりはなかった。
そして、溜息をつく少年が気付いてない部分があることも、察していた。
「でも反省会は必要ね」
「反省会、ですか?」
「そうそう。アルカちゃんも菫ちゃんも魔術師として駆け出しって感じじゃない? 危なーい感じのアタシの前に、ベテランの昴生ちゃんが立っててくれたのに前に出ちゃうのは、ちょっとどころか、かなり危なっかしく見えたわ。アタシが可愛い女の子を虐めるのが好きな変態だったらもう一口でガブリでペロリよ」
「魔術師には共食いする変態な奴がいるの!?」
「比喩、比喩だから! ね、昴生くん、……昴生くん? なんで黙ってるの? いないでしょ!? 本当はいないよね!?」
二人の警戒心が予想以上に低い事態を鑑みて、勝手な妄想で恐怖を植え付けたほうが良さそうだと判断した昴生は黙って目を逸らした。実際いないとは断言出来ないし、費用対効果も悪くなさそうだった。
「そうねぇ、何が一番悪かったか思いつくかしら」
「……やっぱ、矛出したこと……?」
「ええと……考えもなく突っ込んだところでしょうか……」
靴を脱いでソファーの上で正座し本格的に叱られるための姿勢になってしまった迂闊少女達に八重樫は真面目な顔を取り繕えず破顔する。何せ彼は叱るつもりも説教を解くつもりもなく、ただ引き出したい言葉があっただけなのだ。それを聞けた、口も綻んでしまう。
「どうして? 全然悪くないじゃない」
「え、でも」
「だってそれ、アルカちゃんと菫ちゃんは、昴生ちゃんを心配しただけでしょう?」
その一言で、時が止まったように三人が硬直した。
アルカは予想だにしていない言葉に零れ落ちそうなほど目を見開いてフリーズした。菫はそうかもしれないが考え無しだったよなと言葉のまま受け止めて反省していたところで、そこから派生する問題に気付いた。気付いてしまって、昴生を見れなくなった。
「これからも友達じゃなくていいけど、昴生ちゃんと仲良くしてあげてね」
関係に名前など瑣末な事。呼び名がなくても、誰かのために盾となり矛となり、手を伸ばせるのだ。それを知っている八重樫は、それを知らなかった幼く青い子供達を微笑ましく見る。
「…………、織部」
ひんやりとした声に名指しされて菫は俯いたまま体が跳ねた。はい、はい、わかっておりますそうなりますよね、はい。昴生の顔を見れなかったが、声色からげんなりとしているのが想像出来た。
「君の友人になるつもりはないと言っただろう。理由も話し、君自身も納得したように見えていた」
「はい」
「なら、何故、そう……筋が、通らないだろう」
「うん、わかる。ちゃんとわかってます。ごめん。わかるけど、なんかもう遅かったみたいです!」
友達になれないと拒否された、理解はしている。だが結果はあの行動である。
昴生の言葉をそのまま使うなら、拒絶されたせいでわかりやすく表面化しなかっただけで菫の中ではとっくに友達だったのだ。しかもアルカを追いかけた時にはまだあった恐怖や躊躇いが、タガが外れたように一切なかった。案じてくれた危なっかしさが悪化していた。面目なかった。
顔を上げられなくなっている菫の頭を見て、昴生は苦々しい顔で何かを言いかけては飲み下し、隣のアルカに視線を向けた。アルカもアルカで視線を部屋の角に向けて昴生と顔を合わせないようにしていた。
「片岡」
「いや違うから。別に継片の心配とかしてないから。八重百合さんの勘違いだから」
「なら君の言葉で原因を明確にしてくれ。何故あんな行動を移した。しかも、矛の素に髪を使うなんて……どう考えたらそんな発想になる」
「なんかこう、よくわかんないけどカッとなった。あの時何も持ってなかったし、長いやつなら髪の毛でいいと思ったし出来たし」
「……確かに、可能だろうが、そんなデタラメな仕組みを実現させるために、どれほど魔力を、術者への負担を考えて」
「もー! はいはい言いつけ守らなかった私が悪かったですぅ! 次からは継片なんて見捨てますぅ! それでいいんでしょ、おしまい!」
その怒りは心配してたと暴露しているのと同じだ、と菫は思ったけれど口に出せる余裕は無かった。
しかし、残念ながら昴生もアルカの稚拙な嘘に気付いてしまった。困惑しかない。彼女達と親密になるつもりは全く無く、相応の対応をしていた。いざという時、昴生を切り捨てたとしても、彼女達の柔い心の締め付けが緩むように。菫は説明して理解させ、余計な手出しが不要だと思えるほどに嫌悪を隠しもしないアルカ。どこにも問題はない、はずだった。
「……気が、狂ってるのか? 君達は……」
昴生は疲れたように溜息混じりに、いつかのように毒を吐くが、今回はアルカも噛み付かずにひたすら部屋の角を睨みっぱなしで、菫も床と自分の足元を見ながら黙するしかない。
生温かく気まずい空気で押し黙った高校生達を、八重樫はそれはそれは楽しそうに眺めていた。
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