3-6

「えっ……」


 信じられない告白だった。

 長年一緒に、師匠を支えて来たモタカ先輩が、突然、補佐官を辞めると言いだしたのだ。

 俺は、翻意を促すべく、口を開きかけたのだが、モタカ先輩は、微笑を浮かべてそれを遮った。そうして、俺の前で頭をさげる。


「お役目の遂行、心より願ってるっす。上閲じょうえつ補佐」


 強い……とても強い、決意の表れだった。

 俺は何も言えずに、歩き去るモタカ先輩の後ろ姿を、ただ見送っていた。

 そんな俺たちに、再びウスク隊長から声がかかる。


「今日中に、別れのあいさつを済ませなさい」


 厳然とした宣告だった。

 近いうちに、クシナを立つんだろうという、俺の予想は、あまりに楽観視しすぎていた。

 当たり前だ。

 神のご意思を、俺は、何だと思っているんだ。

 自分に腹が立って来る。

 だが、それでも、マリアと離れなきゃいけないという不安は、絶望にも似た感情となって、俺の胸をかき乱していく。


 義務感だけで、俺は、あいさつをすべき人のもとへと、気だるげに向かっていた。

 まずは、母さん。

 上閲じょうえつ補佐だった父さんを、すでに亡くしていた俺にとって、母さんが、唯一の血縁者だった。クシナのさとでは、家族という表現は、なじまない。さとの者全員が家族だからだ。


「……」


 母さんを心配させてはいけない。母さんの前でまで、不安げな表情をしていてはダメだろう。

 俺は、無理に気持ちを入れ替えると、ゆっくりと中へと入っていった。

 そんな俺を見て、母さんは力強くうなずく。俺が何を言うでもなく、母さんのほうから話しはじめたので、すでに、日亜知ひあち隊に関する内容を、耳にしていたのだろう。


「お前はもう、若い頃のタクフそっくりだ」

「父さんの?」

「ああ。そんなお前なら、この難しいお役目であっても、必ず果たせると、私は、信じてるよ」

「ありがと……」


 力強い声に、俺は、涙が出そうだった。

 やはり母親という存在は、だれにとっても偉大だ。母さんの言葉で、俺は、ほかのだれでもなく、自分がやらなければならいのだという、強烈な使命感を抱くことができた。


 もちろん、すべての不安が、即座に解消されたわけではなかったが、それでも、俺がやるんだという決意の炎は、確かに灯ったのだ。


 つづいて、幾人かの家族に、あいさつを済ませた俺は、最後にマリアのもとへと向かっていた。石勠いしあわせ見習いとして、マリアが勤めている場所だった。


 その入り口で、俺が何を言おうかと迷っていると、先にマリアのほうから声がかかった。きっと、足音で、やって来たのが俺だと、わかったに違いない。


「ヨキ……」


 言葉は、無粋だと思った。

 だから、俺は、大丈夫だと伝える代わりに、マリアの体を強く抱きしめた。少しだけ驚いたように、マリアは、身を硬くしたが、やがては俺を受け入れ、抱きしめ返して来る。そうして、ひとしきりハグしあったあと、俺は、マリアの顔を見ながら尋ねた。彫りの深いマリアの顔立ちは、何度見ても美しく、流れるような長い髪は、いつも、夜空のようにきらきらと輝いている。


「シムムさんにも、あいさつがしたいんだけれど、どこかな?」

「おばあちゃん? おばあちゃんなら、外に出てるわ。まだ、傷ついた兜割かぶとわりの、治療中だと思うけど……」


「いや、無理にとは言わない。マリアが代わりに、よろしくと伝えておいてくれ」


 言って、最後に俺は、マリアの顔をまじまじと見つめた。


「必ず、無事に帰って来る」

「信じてる」

「うん。今日は、早めに床につくよ」


 寝所に戻った俺は、灯る炎から魔鉱石を外した。たちまち、辺りが闇に覆われる。

 大丈夫だ。

 マリアと結ばれるまで、俺は、死なない。

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